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ADDress Life —多拠点生活のすすめ—

ADDress Life に至るまで

 2022年が、昨日終わり、今日、新たな年が始まった。
 思い返すと、月並みな感想だが、昨年一年もあっという間だった。
 実は、年の前半はある程度勢いがあったが、後半はちょっと息切れした、という印象がある。
 特に、11月1日、コロナ感染が判明して、1週間寝ていたのだが、その間に思ったより内省的になっていたのかもしれない。というより、自分の現実に改めて目を向けると自然鬱々とした気持ちにもなったのだ。
 しかし、それは有る意味では自然なことだったのかもしれません。
 普段は重苦しいことは一旦忘れて、とにもかくにもそれなりに元気に非常勤の仕事やその他いろいろやらなくてもいいようなことまで手を出して、明らかにくだらない親父ギャグを連発していられるのは、有る意味で状況としてはとてもラッキーなことなんだろう、と思えてくる今日この頃、この年始めです。
 ところで、先ほど昨年の前半は勢いがあったが、後半は息切れした、と書いたのには、思い当たる点があります。
 何年か前から、二拠点生活、のようなものに漠然とした興味を持っていて、時にはターンズなんて雑誌を買ったり、あるいはDouble Local なんて本を買ったりして、自分なりの生活の見直しの一環として暮らしのあり方を考えていたのだが、(たぶん)一昨年、ADDressというサービスがあることを(他にも、それぞれ有る程度は似ている、宿のサブスクリプション・サービスが複数あることを)知って、興味がにわかに現実味を帯びた、ということがあった。昨年のぼくの勢いにも、息切れにも、そのサービスが関係しているように思うのだ。

 しかしながら、当初はそのサービスを使うのはもう少し先(具体的には2023年の春以降)と考えていた。それは主に、非常勤の仕事が10年に及び、区切りをつけても良いと考えていたため、その後に、ADDressを利用した多拠点の生活を試してみたい、と考えていたから、だった。ただ、昨年の初頭にある出来事が有り、その結果、以降の予定が一気に焦点を失い、ぼやけてしまう、ということがあった。辞めるつもりだった非常勤の仕事だが(先方が続けさせてくれるなら、ということだが)、2023年度以降も続ける必要が生じてきたのだった。なんだが、よくわからない書きようで申し訳ないが、ある人物のプライヴァシーにもかかわることだからここでは詳細は省く。とにかく、辞めるつもりだった今の非常勤職を続けられるものなら続けないと、考え方が変わった。

 余談ながら(まあ、余談ばかりなんだけれども)、非常勤の仕事についても少し述べておく。

 そもそも2013年の春に遡る。

 2005年の春に長く勤めたある私立大学の事務職を離れて以来、ぼくは定職には就かずに、暇を持て余すような生活を送っていた。父と母、それぞれの介護がベースにあり、オンライン古書店を立ち上げたり、近くの大学(またも大学だ)でアルバイトやボランティアを行ったりしていたが、なにしろ時間はあった。実は、せっかく実家に帰ってきたものの、父は一年と少しで亡くなってしまったし、母は認知症が進んで、自宅でひとりで看る訳には行かず、市内のグループホームに入居してもらうことになって、いつの間にか、それほど時間を取られることもなくなっていたのだ。

 で、2013年の春は、ちょうど大学のアルバイトが終わる、というタイミングで、ある人から市の広報で募集している「地域づくりコーディネーター」というものに応募してみたら、と誘われたのだった。結局、その時点では何をする職種なのかもよくわからなかったその仕事に応募して採用され、もうすぐ10年になる、というわけだった。週3日程度の仕事で、出勤日は有る程度自由になる、わりと自分の裁量に任されている部分がある仕事で、何をやるのか、予め決まっていない面もあり、だからこその難しさややりがいもある、そういう類いのちょっと変わった仕事だと言えるかも知れない。

 さて、固定日が決まっていない非常勤の仕事とは言え、それを辞めれば大幅に日々の自由度は上がることから、毎月定額を払えば全国にある200以上の宿(と言っても、フツーのホテルを想像すると大分違う)に泊まり放題になる(とは言ってもそれなりのルールや制約はある)ADDressというサービスをフルスペックで使えるのではないか、と考えてわくわくしていたのだが、その夢は今年の1月に急にプシュンとしぼんだ。ああ、せっかくのADDress Lifeが遠のいてしまった。
 と、一度は仕切り直しを余儀なくされたのである。

 因みに、定額とはいくらか、というと、具体的には4万4000円(税込み)というのがスタンダードな利用プランであった。これを安いとみるか高いとみるか、はそれこそ人に拠りけりということだろうが、この金額で光熱費等も含むので、残りは主に食費と移動にかかる旅費と考えると、単身者用の安価なアパート並の利用料で、全国を泊まり歩く生活が可能になる。
 これは決して高くはないだろう。少なくともフルに活用できるならば。
 仕事はリモートで出来る、という人や、そもそも仕事をする必要がないし、自由に使える時間がたっぷりある、という学生や定年後の熟年の方などには良いサービスではないか。または、何か目的があって、長くても数か月の短期の利用に留めるならそういう利用の仕方も有りかも知れない。ただし、それらの条件に合う人となると、自ずと限定されることになりそうな気がする。

 ぼくの場合も、土日も含めて週3日相当の時間、今日は地域の会議で2時間、明日は午前中デスクワークで職場に行って、翌日は休みを取り、土曜日はまた地域の会議で午後はつぶれる、日曜日はワークショップで1日、みたいなばらぱらに散らばって仕事を入れるスタイルで働く、今のコーディネーターの仕事を続けながら、ADDressを(フルに)利用するのは難しいと考えた訳だった。

 えーい、残念だなぁ。

 でもまあ、仕方がないか。

 と言う訳で、ぼくが秘かに心積もりしていた、今年春からのADDress Lifeは残念ながら見送り、かけた。
 ただ、そこで天の邪鬼な考えが心をよぎったのだ。
 「でもこれじゃ、いつADDressを始められるかわからない(もう残りの人生も少ないというのに!)。いっそのこと、思い切って無理やり、すぐに始めてしまったらどうだ?」と。
 そう思ったのが2月だったか。
 そして、実際には5月のゴールデンウイークにフル活用出来るように、4月後半から利用開始すべく、ADDressに申請したのだった。(実はADDressの利用には審査があり、すぐに開始というわけにはいかない)
 しかし幸い審査に通って、ぼくは4月の下旬から、ADDressの会員になった。
 やったね。晴れて急転直下、やけくそADDress Lifeの始まり、というわけだった。

ファーストコンタクト



 なにしろ、上記のような働き方であることもあって、フルタイムの方々に比べれば遥かに余裕はあるのだが、リモートワークでもなく、さりとてまとまった休みはさすがになかなか取れない、と言う中で、ゴールデンウイークのまとまった連休は貴重であり、ADDressを始めるにあたっては逃したくないタイミングだった。そして実際に、GWには鎌倉、小田原、清里、軽井沢という四つの拠点をめぐる旅に出て帰ってきた。それぞれ2泊程度しか出来なかったのだが、拠点ごとに見える風景がまったく違い、とは言え、ADDressの仕様によるゆるやかな共通点も見えて、初心者として戸惑う面もあったものの、大変面白かった。

 しかし、まずはそのGWの直前、4月の末に初めて利用した時のこと、ADDressというサービスとのファーストコンタクトのことから語りたい。

千倉町の海岸を望む


 一番最初にどこに行こうか。
 それはなかなか難しい問題だった。アドレスとはいかなるサービスか。ホームページを見れば、もちろん大体のことはわかるのだが、正直かなり変わったサービスではあり、実際に使ってみないとなかなか本当のところはわからない、と言う気がした。そこで、まずはあえてADDressの宿の中から、数は少ないホテル型の宿を選んで、普通に宿泊客として泊まってみたいと思った。選んだのは、ぼくが住んでいる千葉県の南の突端、館山の宿だった。そこに一泊のあと、少し移動して、(行ったことがない)千倉というまちの宿に2泊することにした。
 館山A邸(ADDressでは、宿の名称を〈地名+アルファベットでA、B、C…〉と付けていく)は、ホテル連携の宿、という位置づけで、 ホテルの1室だけをADDressの部屋として貸し出す形になっている。実際行ってみると、普通にフロントでチェックインして鍵を受け取り部屋に入る。全く普通のホテルの利用と同じである。なんだか拍子抜けするぐらいに普通の感じだった。
 おそらくホテル側にしてみれば観光で混みあうシーズンというのは限られており、オフシーズンは部屋を遊ばせておくぐらいだったら、ADDressと連携して部屋を貸すのはメリットになる、ということなのだろう。 もちろん、ADDressサイドにしても、きちんとしたホテルと連携して、手間ひまかからずに宿を提供できるわけで、基本双方に取り良いことの方が多いと推測できる。

鎌倉B邸の共有スペース

 ただし、本来のADDressはそういうサービスではなく、ホテル連携は全体の10パーセント程度くらいだろうか。聞くところによると、ADDressの最初のスタートは、少子高齢化と人口減少が進む世の中で、全国各地に続々と生まれている空き家を何とかして活用できないか、と言う問題意識から生まれたと言う。具体的には、誰も住まなくなった空き家をリノベーションして、宿として蘇らせる。例えば、一軒丸ごと改修して内装を改め、有る程度までフォーマットを揃えた、ベッドやゴミ箱、洗濯機や掃除道具、エアコン、そして玄関の鍵など、一通りのADDress仕様ともいうべき形を整えた上で、キッチンや居間は共有スペースとして、それ以外の部屋は利用者の居室として、一部屋ずつ利用できるようにする。
 さらに、これはADDressの最大の特徴かも知れないが、そのADDress仕様の宿の管理運営を行う〈家守〉がいるのだった。
 ヤモリとは何か。

 あの、台所の窓の外側にペタリと張り付いた可愛いシルエットの……では、ない。
 ADDressには、上記のようなホテル連携や、空家活用の宿のほか、ゲストハウスやシェアハウスとの連携、更に最近ではキャンプ場との連携など、様々な形での宿の提供が含まれているのだが、そのどれにも宿の管理運営と利用者との応対を行う家守がいる、という形だ。その家守の形態も様々で、自宅の一部屋をADDressに提供する、というものもあれば、リノベーションで再生したADDressの自社物件に手を上げて家守の仕事を請け負う(その物件に自ら住むこともあれば、必要に応じて通う等の形もある)家守もいる。ホテルやゲストハウス、シェアハウスとの連携物件にもそれぞれ独自の形で家守がいる。
 利用者からすれば、ADDressのHPで宿の概要や宿泊の予約等、大部分のことは出来てしまうのだが、ひとことでADDressの宿とは言ってもこれだけ形態が違うと宿の利用方法はやはりかなり幅がある。何かあれば家守さんに連絡を取って尋ねたり、解決を依頼したくなることもあるのが実情だ。更に、家守さんの立場にも幅があることを反映し、必要にして十分な管理運営、という立場で関わる家守さんもいれば、逆に宿そのものに家守さんの個性が色濃く反映しているような宿もある。自宅の一部を提供しているような場合は、それが当たり前とも言える。

旅先で土地の食べ物を楽しむ。小田原で

 さて、ADDressのシステムの話は一旦置いて、千倉A邸に行った時のことを語ろう。
 千倉A邸へは徒歩で向かった。駅から20分は優に歩く。荷物はいささか重かったが、見知らぬ土地を歩くのはそれ自体なかなか楽しい。途中、海岸に寄って海を眺め、海辺の店で食事をして、ゆっくりと向かった。Googleマップを頼りに入り組んだ道を歩いて、昼下がりに千倉A邸に着いた。
 住宅街の一角にあった。なんの変哲もない(という言い方もなんだが)一戸建ての家だ。
 家は静まり返っていた。本当にここで良いのか? 
 とも思ったが、ほどなくADDressのロゴマークを発見。更に勝手口のようなところにキーボックスも発見。教えられていた暗証番号で鍵をとり出し、扉を開けることが出来た。
 「こんにちは。ご免ください」
 後から考えると、千倉A邸はいささか例外的であったと思う訳だけれど、本来の玄関ではなく、そこはキッチンスペースだった。ぼくの声は家の中に吸い込まれて消え、特に返答はなかった。どうやら誰もいないらしい。(普通は玄関から入ります。もちろん)
 しばしためらったあと、ぼくは家に入った。
 事前に家守さんとのメールのやり取りで、通いの家守さんであり、当日は不在である、ということは承知していた。
 ただし、千倉A邸は戸建ての中に複数の部屋をADDressとして提供しており、自分以外にも利用者がいる可能性はあったのだ。でも、どうやら誰もいない。

 キッチンに上がる。8畳ほどの部屋に椅子とテープル。流しと冷蔵庫、いささか変わったゴミ箱。でも普通の台所だ。ところがどうも、ぼくは落ち着かなかった。何故って、これってまるで人の家に忍び込んでいるみたいじゃないか。勝手に(じゃないけれど)鍵を開けて誰もいない家の中をうろついているのだ。
 いや、そうじゃない。ぼくは立派な(かどうか知らんが)ADDressの利用者なんだ。ぼくの部屋である103を探そう。……
 細かく語っていると切りがないので、あとは簡単にすませるが、ぼくは103で初めてADDress流のベッドメイクの仕方を覚え、更に冷蔵庫とか、ゴミ箱とか、至る所にADDress利用のルールが貼ってあるのに気がついて、なんとなく仕組みがわかっていくことになる。一、二時間してようやく落ち着く。夕食は、台所で買ってきたものを温めたりして、ひとりで食べた。利用者の手書きノートなどもみつかり、読んでみる。Wi-Fiがあるので、パソコン仕事も不自由はない。夜になり、すっかり自室でくつろいでいた21時を過ぎた頃、何か台所とおぼしき方でごそごそと音がする。
 これは……。

小田原城をバックに自撮りした

 一瞬迷ったが、部屋のドアを開けると、ちょうど向かいの部屋に入ろうとしていた初老の男性と顔を合わせる。
 「ど、どうも。お邪魔しています…」と言ったかどうか、もう覚えていない。
 挨拶だけして、お互いに部屋に戻る。
 今では、こんなことにも馴れてしまったが、なんとも不思議な感じだった。

 この男性とは、翌日の夜、やはり遅く帰ってきた男性とキッチンの机を挟んでゆっくり話をすることが出来た。どんなことを話したのかはすっかり忘れてしまったが、確か植物だか、なんだかの採集をしてる(あるいは、写真を撮っていたのかも)、とおっしゃっていたような気がする。いろんな利用の仕方があるもんだなぁ、と思った。
 これが、まあ、言ってみればぼくとADDressとのファーストコンタクトだったわけだ。

京都・鴨川を望む

ADDressって何? —ぼくの場合、そして貴方の場合—

 その後、先に触れたように、GWは4か所ADDressの拠点をめぐる旅に出た。鎌倉B邸、小田原A邸、清里A邸、軽井沢A邸と移動した。どの拠点にも持ち味があり、戸惑ったりびっくりしたりも挟みつつ楽しく旅が出来た。
 それから8か月(うち、一か月は休会月としたが)。述べで33回の旅(とは言っても、多くは2泊3日程度の短い旅)に出た。あまり遠くには行っていない。自宅は千葉県にあるが、北は花巻、南は京都が最遠であった。今年は何とか、もう少し先まで足を延ばしてみたいものだと思ってはいる。
 もうひとつ、触れておきたいことがある。
 GWの旅から帰ってきたあとは、まとまった休みも取れないことから、近い拠点に2泊程度で行って帰ってくる、というパターンが増えた。最初のうちこそ、少しでも遠くへ、という意識があったと思うのだが、仕事ほかのやりくりをつけて行くのは大変だった。ところが、ある時に物理的に遠く行き、非日常を求めるのばかりが旅ではない、と気がついた。
 どういうことか。

 自宅から近い拠点は、片道一時間以内の場所に何か所かある。であれば、そこに泊まりつつ、仕事に通えばどうだろう。

須賀川はウルトラQやウルトラマンの生みの親・円谷英二さんの故郷

 ぼくの場合、自宅も職場も同じ市内にあるのだから、いささかオカシな話ではあるのだが、仮に2泊3日するとして、出発日の午前中は普通に職場で仕事をして、午後自宅に戻り、準備をして夕方ADDressの宿に向かい、その晩泊まり、翌日はその宿から職場に向かい、仕事をして、夕方にはまたADDressの宿に戻る。2泊目をして、翌日は朝また職場に行って仕事をして、夕方に自宅に戻る。

 ということが普通に出来る。
 もちろん、職場から少し歩けば自宅に帰れるのだから、変な話ではあるのだが、これで職場に通う、という月並みな日常が変わってしまう。何だか星新一のショートショートにでもあったような話だ。もちろん、非日常を体験できるはずの2泊3日の間にまで仕事を入れなくてもいいじゃないか、と言えばもちろんそうなのだが、宿と(リモートではなくリアルの)仕事をこのようにクロスさせてしまうことで、ぼくのADDressライフは自由度が上がり、結果ぼくの日常そのものが言ってみれば異化され、かつADDressというサービスが日常に溶け込むことになったのかも知れない。
 また、その結果として自宅と職場のある市から近い宿のリピート率があがることになった。先ほど、述べ33回の旅と書いたが、そのうち、2回以上利用した拠点が四つある。そのうち三つがドア・ツー・ドアで一時間内外で職場に通える拠点になる。
 こういう利用の仕方はADDressとしてはいささかイレギュラーなのかもしれないが。

震災遺構として小学校を見学することが出来る

 さて。
 ADDressといういささか風変わりなサービスの、更に特殊な利用の仕方を強調してしまったことになったかも知れないが、要はADDressにはまだいろいろな可能性が隠れているのかも知れない、ということでもある。実際に8か月間使ってみての感想は、面白い、である。
 宿の形態がそれぞれかなり極端に違うこともあるし、それを管理運営する家守さんの個性がまた違う。また、ADDressの利用者同士が触れあう機会も多い。そして、それらすべてを包み込むように、普段は行かないそれぞれの土地の個性が加わる。
 ADDressというサービスをどのように楽しむか、はそれこそ人の数だけ楽しみ方があるのかもしれない。
 ただ、鎌倉B邸の家守のきょんさんがあるインタビューで語っている通り、「ADDressの特徴は均質化されていない滞在体験。観光だけではなく、家守やその土地にいる方々、同じようにさすらう会員同士の偶然の出会いから始まる交流の楽しさ。家々の個性や偶然性を楽しむことこそが、このADDressのサービスを満喫するコツです。」ということになるだろう。

 ある意味では、人を選ぶサービスだという側面も確かにあるだろう。

 ADDressにちょっと疲れた時にはホテル/旅館型の拠点に普通にチェックインするなどしてチェンジ・オブ・ペースを図る、なども良いと思う。月額定額サービスとなると、つい頑張って使わないと、みたいなことになりがちで、冒頭に述べたようにぼくは半ばヤケクソで無理やりADDressというサービスを利用し始めて、どうしても難しければ半年くらいで利用を諦めよう、と思っていたのだが、なんとか続いたし、張り切り過ぎた(?)前半の疲れが出た後半は上記の仕事をADDressにクロスさせて利用する裏技(?)なども使って少しずつ、自分なりのADDressとの付き合い方を作ってきたとも思う。
 また、ADDress自体もまだ若いサービスであり、利用プランが新しくなったり、同伴サービスが改定されたり、運営側も苦心している様子が見える。なんだか危なっかしい部分もほの見える。利用者同士でADDressというサービスについて議論になったりすることもある。批判する人もいれば、擁護する人もいる。だが、そのいずれもがこのADDressというサービスに愛着や、無くなって欲しくない、という思いを抱いていることが多いことが伺われる。



「日本各地に広がる深刻な空き家問題と、近年注目されはじめているリモートワークなどの新しい働き方。
 ADDressは、多拠点居住という新しいライフスタイルを提案する事で、全国の空き家問題を解決しながら豊かな社会を実現したい。
 そんな想いから生まれました。」

 ADDressのHPにあるこんな言葉が、はたしてどこまで実現されているのか。その一部は確かに実現されているかもしれない。だが、また別の側面では、当初の想いは忘れられかけているのかもしれない。
 むろん、理念は理念。そう簡単に実現されるはずもない。しかし、理念を忘れては元も子もない、ということになりかねないはずだ。
 ADDressは、最近、『多拠点生活における「社会的インパクト評価レポート2021-22」』なるレポートを出している。ある種の自己点検だ。ADDressというサービスが今後どうなっていくのか。
 初心を忘れずに、しかし、果敢にアップデートもして。
 利用者は勝手なことを言う。
 申し訳ない。でも、期待して、言わせて下さい。

#ADDresslife2022




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