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1週間休むつもりが、3ヶ月休職することになった
有給を使って、1週間くらい休んでもいいかもしれない。
「海の日」の祝日がある週がいい。
とにかく、少し休んでからまた考えよう、という浅知恵で、
「やはりちょっと仕事が重なってくると息切れを起こすから、1週間くらい、一度立ち止まってみてもいいと思っている。」と、zoomの、産業医面談で持ち出すと、男性医は、わたしが仄めかした「1週間」についてはまるで聞かなかったかのように、
「1ヶ月なんて、休んだ気にならないうちに復職の準備をすることになるから、2、3ヶ月だね。」と言った。
「倒れた不憫な人」の、役割に飽きた
その日、後ろには心療内科の予約も入れていた。こちらはクリニックに行かねばならない。自転車で30分ほど駆けて行くうちも、迷いがあった。
女医に、産業医面談で話した内容をそのまま伝えると、「では、今日は診断書を作る時間にしましょう!」と、「では、今日は時短のよだれ鶏を作りましょう!」みたいな手際で、女性によく見られる、手のひらを軽く合わせるような仕草までしながら、今までの受診内容と、ここ数日の私の体調を、パソコンに打ち込んで、休職に必要な、診断書を、目の前で作ってくれた。診断名には、「抑うつ状態」とあった。「病」じゃないのね。「状態」なんだ。
遡って。
産業医は、「すぐにとは言わない、7月末からでもいい。」と言ってくれていたが、目の前の心療内科医は、明日からでもドクターストップをかけてくれるようだった。きっと、わたし以上に、今すぐにでも、休息に駆け込まなければ危うい、という容態が、あるためだろう。
わたしは、産業医の言う、やんわり引き継ぎを行って、満を辞して7月末から休むべきか、女医の言う、明日にも緊急避難してしまうべきか、決めかねた。
決めかねている自分を、一歩引いて眺めると、改めて、嫌気がさした。戦力外が決まった状態で、月末まで、休職してもいないうちから、自分の休職について、話題や思考が向くのは、冗長だ。5月に倒れてから今日までの2ヶ月ほど、「働き過ぎて壊れた人」の役割を演じてもう飽きてきた。
「せめて、週明けからでお願いします。」
診断書によって、次の週から、9月末まで休職することになった。
これ以上、もとはできたことが「できない」、周りができることが「できない」を、長期間にわたって、自分に覚え込ませるために時間を費やすのは、自己肯定感の危機だという考えが、「休みたい」気持ちを焚き付けていた。
「自分の状態について、どうしたらいいかわからない。」
「判断ができない、状態こそが、症状。ぼくのところに診察を受けにくる、10人のうち、3人は、もうほんとうに休んだ方がよくて、君はその中に入る。」
それまで、医師といえば、どちらかと言うと、悪いところは悪いところとして、まだ動ける部分を差して、「大丈夫。」と言ってくれる人であると思っていたが、動かなくなった部分を診て、「休む」ほうへ背中を押す役割もあるのだなと、知った。
押すと水が溢れるスポンジ
仕事についての期待や、葛藤は、すでに遠のいていた。自分を常に刺激していた感情によってではなく、医者がかけてくれた、「本当によく頑張ったし、自分の状態を客観視できてえらい。」みたいな、柔らかい言葉に対して、涙もろくなっていた。
失恋直後は常に自分の半分が元恋人の視点をなぞろうとしていたのが、ある日を境に自分を取り戻し、物事の輪郭や、色や、バイタリティーが、自己愛のためだけに還元されて痛いほど癒される、時間が動き出して回復に乗り出して行く、過程を思い出した。
人事に「休職」を報告すると、一両日中に手続の内容が知らされた。
ノートパソコンや社員証、ゲートのパスカードを労務に送る、社内連絡やプロジェクト進捗用のメッセージアプリの各種グループから退出するなど、期間中は一切仕事から切り離される。会社員として「初期化」されていく。
夏の熱射でじっくりカラメリゼされた木の葉の香ばしい匂いが、冷たい風に乗って届く頃には、わたしはまっさらな、ただし新品ではない「再生品」になって社会に復帰していくのだろう。
一連の作業を、もし、5月の、不調真っ只中で、頭も煮えたぎっているさなかに対応することになっていたら、自分のこころと座標を取り戻すのに、やはり2ヶ月くらいかかって、本当の意味で休息するためには、さらに数ヶ月必要だろう。
そう考えると、産業医や、心療内科医と、時間をかけて話し合い、状態を症例と結びつけて異常さを納得し、人事にも数ヶ月にわたって自分の状態を伝えていた、上司にも直球で自分の考えを伝えていた、全工程が、休職という、本来は望ましくない結果においての緩衝材になったと思っている。みんなやれることはやった。
それでもダメだった。
ロングスパンでみれば、完成の途中
不眠や頭痛をはじめとした、投薬を要する不自由はあるものの、主たる原因である、過重労働、パワハラ、モラハラを受けていた、2023年明け前後と比較して、気分は好転している。
どこかで別に書く機会があればいいが、20歳のころには1時間も立って歩けないほどに体力も精神も挫折を味わっており、今の会社に入るまえにも半年ほど失業していたので、仕事も据え置き、手当も、多少の経済余裕もある状態で夏休みをいただいたことになる。挫折というよりは。
前職に輝かしい経歴があるわけでもなく、鳴り物入りで入社したのでもない。ある日小さなチームの片隅に派遣として加わり、呼ばれるまま異動し、ご高配に賜り、チビチビと積み重ねで現在に至り、養う家族もない。
「こうなったらいいな」という社会の像はあるけれども、一方で、今まさに自分が味わっているような、肉体の病、精神の病、歴戦のビジネスパーソンたちの叡智をもってしても解消できない組織の病が根源にありつつ、一方で理想の社会を謳うことに絶望を感じてもいる。
挫折はないけれど、絶望はしている。自分を駆り立てて希望を描こうとしている力が湧いてくるのは、絶望を知っているからとも言える。
体を壊すほど仕事に打ち込んだのだから、仕事が人生の全てだったのでは?と考えることもできるが、少し違う気もする。
今この仕事ができる機会はもう2度と来ないから、一期一会、全力投球していた。運命としてこの会社にいて、この仕事を与えられているので、この時間が通過してしまえばもう戻ってこない。できること、学べることを、与えられた時間の中で、全部やろうと思っていた。
本質的には自分にとって重要ではないから、それでも任された、感謝と謙遜で、取り組んでいた。
過去形で言っているけれども、立ち直ったわたしは、どんなふうに仕事を捉えるようになっているのだろう?
性質と付き合いながら、大人になった。
休養に入って、気分転換に札幌の丸善ジュンク堂を地下から階上まで歩き回った。気になっていた本や、ちょっとした雑貨をカゴに放り込んでいった。
お目当てはこちら。2巻が最近発売された。
へたくそなのに、読者が受け取るべきグルーヴを何一つ邪魔してない作風に惹かれる。ついでなので、施川ユウキ氏の作品も紹介したい。
思いっきり笑いたいなと思って漫画を買ったほか、落ち込んでいるような、いないような、冷静なような、そうでもないような自分に合っているようで、うつ状態を一歩引いて見られそうな本も手に取った。
数週間前に発売されたらしい。
「考えがまとまらない」「メモも取れないくらい、数秒前のことも覚えていられないほど記憶力が低下する」など、わたしも一時的にでも危ういところにいたと自覚できた。常態化するとなると、当事者にとってはどれほどの不安と苦痛だろう。
「死にたいというより、消えたい」とか「悲しみと興奮が同時に襲ってくる」とか「何の前触れもなく虚無の大波が襲ってくる」って、30代になるまでに普通にあったっけ・・・。
傾向の多くは、失敗するたびに、考えて、考え方も成熟して行くにつれて、落ち着いていったから、「病気」というよりは、過度な傾向くらいに捉えていて、さらに、20代は、職も定まらず、よく言えば気楽に過ごしていたから、今より相談できる人もなく、野ざらしで、具体的に助けを求める語彙も謙虚さもなかったにも関わらず、よくぞ、生き抜いてこられた。わたし。お疲れ様。
わたしは病気じゃない、でも、生きて行くことが途方もなく感じる、という感覚を、形に表れている隙間を手繰り寄せて編んだような、パウロ・コエーリョの小説。
何もしなければ良かった、という選択は落とした
考え方、物事の受け止め方、マインドフルネス、食事、整体、筋トレ、散歩、勉強、ロジカルシンキング、クリティカルシンキング、読書、リーダーシップ、息抜き、趣味、報告、連絡、相談、人事、産業医、心療内科、投薬、
わたしの周りに問題が立ち上って半年ほど、あらゆることを試した。
それが全部ダメだった。
今まで、挫折するたびに、「やらなかったこと、できなかったこと」が気掛かりになったことはあった。しかし、ここまでやり尽くしても、ダメなものはダメだった。
これ、全部やってたら、そりゃ、いっぱいいっぱいにもなるさ。
じゃあ、何もしなければよかったのか、物事をあるがままに受け止めるためには、「距離」が必要だった。「仕事を辞める」みたいな選択肢が。
「何もしないで去る」「自分にできることを試してみる」の2択だったから、後者を選び、心は砕かれた。
Take your broken heart, make it into art.
砕かれた心をもって、アートに変えなさい。
「心が砕かれる」状況を受け入れ、次のまだ見ぬ仕事を、次こそはと完成に導くために、英気を養いたいと思う。
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