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3/1(金)組み合わせとはなにか


私はいま、週の5日くらいをライターとして記事を書いたり編集から任せてもらって記事を作ったりしていて、
その合間に週の6.5日くらいマフィンのことを考えている。
足すと11.5日になるが、もちろん週は7日なので、日々どちらもをいったりきたりしながら過ごしているような状態である。

マフィンをdoyoubiとして作り始めて丸5年、基本的に始終味の組み合わせのことを考えている。これがどの仕事より趣味よりも自分の頭の中を占めているかもしれない。「考えなきゃ」と追われながら考えるときもあるが、基本的にはそれが体に染み付いたルーティンワークのようなので、生きているかぎり蒐集していくのかもしれない。
それを出す場所としてマフィンがあって良かったと思う。食べてくださる人がいてありがたいことだと思う。

今週月曜は3回目のensoでのワークショップだった。

3回目にして、今回が一番達成感があった。お客さんの反応を見ていてそれを感じた。もちろん自己満足の部分もまだあるけれど、ものすごく皆さんが「組み合わせ」について考えてくれた。
今回から説明の仕方を大きく変えた。私が今まで考えていた「組み合わせを考えるルート」を、本当にそうなのか?と自分に問いながらもう一度考え直してみて、もう少し細分化して、その経緯を言語化してみることにした。

これは書籍の最初にも書かれる部分で、自分の頭の中を形にするような作業で、感覚的に考えているマフィンの組み合わせをなぜそうなのか人にわかりやすく説明することは、難しい作業でもある。

それで、毎回本当に不思議に思うのは、それぞれ皆さんの考える組み合わせが本当に、私にとっては「突拍子もない」ものであること。
今回は「ねぎ」をテーマに私が20弱の具材や調味料を用意して、食べてみて合うと思うものを組み合わせていただいた。
ある方は白あんとマヨネーズを混ぜ合わせてねぎのマフィンに入れてくださった(味は意外と普通においしかった、そう)
ある方は酒粕と味噌を混ぜ合わてねぎのマフィンに入れてくださった。
その他いろいろなことを試してくださっていて、いろんなマフィンが生まれた。本当に偽りなく、私がその中で「私もそれ考えてた!」とドンピシャだった組み合わせはひとつもなかった。もちろん、どれもちゃんとおいしそうだった。

多分人の数だけ組み合わせがあって、その人にしかわからない法則性があり、納得があり、組み合わせが生まれる。

直感的に「おいしそう」と感じる組み合わせもあれば、「それは一体?」と一瞬怪訝に思うものもある。もちろん食べてみなければわからなくて、意外とおいしかった体験が成功経験になり、また新しい組み合わせの引き出しが広がる。

そもそも「おいしそう」と「一体それはおいしいの?」の差はなんだろう。その人自身の固定観念にすぎないとも思う。誰かにとっての当たり前は、その人にとっての当たり前ではない。それを作るのは生きて来たいろいろな経験、食体験、性質、体の状態。だから本当に無限に組み合わせの好みがある。

私の組み合わせを面白いと言って頂ける数だけ、私の組み合わせを怪訝に思っている方もいると思う。組み合わせは自己表現でしかないのだろうと思う。ただ私は「おいしい」と思うものを作っていて、それが「おいしい」をこえて「面白い」になっていただけるならそれはやはりありがたいことだと思う。

組み合わせってなんなのだろう。人はどうやってそれを考えるのだろう。
ワークショップは今、ひとテーブルにおさまる人数で、私が皆さんと会話ができる範囲でやっている。でも欲を言うなら本当は1対1でやりたいほど。
その組み合わせをなぜ考えたのか、昔行った旅行の思い出や、家庭の味や、好きな味や、食べ方や。いろいろな人の食の話が全部じっくり聞きたい。多分それは全ておもしろくて、聞くたび1本ずつ記事が書けるぐらいに興味深いと思う。

人の食の話を聞きたいという欲が、自分の中にはずっと昔からある。よく考えればそれは「マフィンを作りたい」を上回るくらい強い欲かもしれないと思える。
組み合わせを発信し続けるのは、人が作る組み合わせの背景にある食のエピソードを知りたいからなのかもしれない。

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