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サラバ! 物欲 <2> (創作大賞 お仕事小説部門)

燃えたぎる物欲。

数日後、部署の上司である先輩と一緒に店にまわることになった。僕の勤務している会社は、メーカーということで様々な卸先や業態との取引がある。専門店、代理店、百貨店、ショッピングセンター、直営店。
今日は、勉強の一環として大型ショッピングモールの視察に同行させてもらうことになった。
集合時間は、朝の8時半に事務所。社用車で移動する。

僕は集合時間の10分前に到着。出発の準備を整えているところに先輩から声をかけられた。
「おはよう」
「おはようございます! 」
「よし、じゃあいこうか」
先輩は社用車の鍵を僕に渡す。地下の駐車場へとエレベーターで向かった。
エレベーター内で先輩と2人きりになり、最初に口を開いたのは先輩だった。
「あそこの店は初めて?」
「はい、初めてです。楽しみにしてます! 」
「おう、そうか。うちの店以外にもたくさんお店があるから、面白いと思うよ」
「はい! 」
先輩は僕の方には顔を向けず、点滅するエレベーターの表示を見ながら答えた。
「地下、2階です」
チャイムと共に扉が開く。ちょっとした小旅行の始まりだ。
阪神高速で約一時間。僕は先輩を隣に座らせて、少し緊張しつつ車を走らせた。 緊張していたのは、何も運転しているからだけではない。この狭い空間に先輩と二人っきり だったからだ。
僕が話すことを探していると、先輩の方から話題を振ってくれた。
「こっちに来て、半年ぐらいになるけどもう慣れた?」
「えっ……そうですね。仕事のペースは少しつかめてきましたが、まだまだ慣れないことも多いですね」
僕は先輩の優しさに少しほっとしつつも 続ける。
「でも 先輩方のおかげで、楽しく仕事できてますよ」
僕の言葉から少し間を開けて、先輩が答えた。
「そっか。なら良かった。仕事を楽しむことが一番だからね。その気持ちは何年経っても忘れないでほしいな」
僕はまっすぐ前を向いていたが、隣で先輩は少し笑っているような気がした。 思いもよらぬ先輩の一言で、ぴんと張り詰めた車内の空気も溶けだしていく。次第に僕らは、お互いの話を取り交わすようになっていった。

話が盛り上がるころにカーナビが目的地近くに到着したことを告げる。
「もう着いちゃいましたね……」
「ああ。以外と混んでなかったね」
先輩が言うように、当初予想よりもかなり早めに着いた。そのおかげで僕たちはだだっ広い駐車場の中で、一番店内入口に近いベストポジションに車を停めることができたのだ。 開店15分前。 周りを見渡しても、平日のこの時間帯にはさすがにまだ車は少ない。
「とりあえず店がオープンするまで、ちょっと待機しようか」
「はい! 」
ここで、一旦会話が途切れる。
車内は、エンジンの小刻みな振動とかすかに聞こえるラジオの音にしばしの間支配された。僕はここでようやく先輩のほうに顔を向けた。
「あっ……」
なんと先輩は目をつぶって静かに寝ていたのだ。か、仮眠? 僕は苦笑いしながら前に向き直る。まあ、この時間をどう使おうと、先輩の自由だ。10時になったら起こしてあげよう。僕はスマホを見ながら時間をつぶすことにした。

僕らが待っている間、モールの駐車場には1台、また1台と車が入ってくる。やはり、地域でも人気の場所なのだろう。僕はその光景をぼんやりながめながら入口に目を向ける。自動ドアが開き、ぽつぽつと人が流れていく。お、開いたか。先輩は隣でまだスヤスヤ寝ている。やれやれ……僕は先輩を驚かせないように、静かに肩をたたく。
「先輩、オープンしましたよ」
もう一度、ポンポンと肩をたたくと先輩はびくっとした様子で目を開ける。
「ああ、ごめん。ごめん。すっかり寝ちゃってたね……それじゃあ、行こうか」
先輩は大きなあくびを片手で抑えながら、助手席のドアを開く。僕らは店に向かうことにした。
巨大なショッピングモールの一角に、僕らの会社の直営店舗がある。入口近くのエスカレーターで上がって2階、僕は少し先を行く先輩の後について行った。もちろん、このショッピングモールも店に行くことも生まれて初めてだ。
歩くこと数分。開店直後ということあり、それぞれの店の前にはスタッフが立ち、僕らが通り過ぎるたびに丁寧にお辞儀をする。なるほど、こうやってお客様をお出迎えするのか。僕は感心していると、少し遠くに見慣れたブランドサインが見えてきた。
「ほら、あそこだよ」
先輩が指を差す。近づけば近づくほどに、黒く鈍光するロゴの輪郭がはっきりしてくる。このブランドが会社の屋台骨を支えているんだ……そう思うと、現場で働く仲間により一層の敬意を表したいと思った。
「おはよう、あっ、店長、お疲れ様。」
先輩は店に着くとすぐに声をかける。
「おはようございます! 」
女性の店長が温かい笑顔で返した。僕も続く。
「お、おはようございます! 」
「彼は新入社員の福田くん。今日はメールした通り、勉強のために視察に越させてもらったんだ。よろしくね」
「福田と申します、よろしくお願いします! 」
「福田くん、よろしくね」
ひとしきり挨拶が終わると、先輩が切り出す。
「店長、早速だけど、お店を見させてもらうけどいいかな? 」
「もちろんです! ごゆっくりどうぞ」
先輩は僕の方を向く。
「じゃあ、商品を見ていこうか」
「はい! 」
ここは直営店。欲しいモノがあれば、社員価格で購入できる。勉強ついでに買い物もできるとなれば、一石二鳥だ。ヨシッ、いいヤツがあれば買っちゃえ!
僕の心の奥底から、何がグツグツと煮えたぎり、せりあがってくる。そう、物欲だ。実はこれが楽しみのひとつであった。こんなこと言ったら会社に怒られてしまうかもしれないが、僕は仕事の一方で物欲を満たすために1ユーザーとして、この場にいる。ワクワクを抑えながら、先輩の後ろについて順繰り商品を手に取っていった。
「うわっ、これ、かっこいいですね! 」
手に取ったシャツを見て、僕は思わず口にしてしまう。仕事でも普段でも着れそうなシャツをみつけた。僕は興奮そのままに、自分の胸にあてて丈や幅を確認した。
すると先輩は表情を変えないまま、反応した。
「うん、それは売れ筋だし、長年の定番だからね」
先輩の薄い反応を気にすることなく、僕は目に入る商品たちを次々に物色していった。もはや、商品やお店の勉強どころではない。まるで商品の目利きをしているような感覚だった。
「いやあ、これもいいですね! なんにでも合いそう」
僕はパンツをじっくり見ながら、大きな独り言をつぶやく。
もう、メーカーの思うつぼだな……そうとわかっていても、釘付けになってしまう。止まらない物欲を垂れ流しながら、売り場を練り歩いた。そんな僕の姿を見かねてか、先輩がもらした。
「そんなにたくさん欲しいものがあるんだね。俺はちょっといいなあ、と思っても買うまでには至らないかな」
先輩は手にとったハンガーをラックに戻す。
「えっ、そうなんですか……意外ですね。社員の方はみんな商品が欲しいと思うのが当然だと思ってました」
「いや、まあ……欲しい商品はあるんだけどね。だってさ、新しい商品はそれだけで良い商品だけど、全部が全部自分にとって『いいもの』とは限らないでしょ」
先輩の言葉に、僕は商品を持ったまま固まってしまう。
「ど、どういうことですか」
「まあ、俺もキミと同じくらいのときには、たくさんの商品を買ってたよ。でもね、あるとき気づいたんだ。メーカーが作る商品は素晴らしいモノばかりだ。より軽量で、心地よくて快適で、丈夫で、綺麗に見えるデザインで、撥水・吸水速乾機能があって……日々進歩するこれらの機能って、本当に自分に必要なんだろうかって疑問を持ってね。必要以上に求めているんじゃないかって」
先輩はそこまで話すと、更に表情を緩める。僕は固唾をのんで、次の言葉を待った。
「だって商品が使えなくなるのはずっとずっと先だから、たくさんあっても使いきれないよね?……それに、長く一緒にいても居心地がいいのは家族であり親友であるように、『自分にとって本当に良いもの』は長く着続けられるモノじゃないかなあってね。キミが欲しいと感じたモノは、キミにとって本当に良いものかな」
「あっあっ……」
僕は先輩の問いかけに答えられず、うめき声をあげることぐらいしかできなかった。
「ごめん、ごめん。難しい質問だったね。気にしないで、続けて」
先輩はそう言うと、トコトコと売り場の奥へと歩いていった。
だめだ……今先輩の言葉を考えていたら、選ぶ時間がなくなってしまう。
僕はブンブンと頭を左右に振り、モヤモヤを断ち切った。
さあ、続き続き……気を取り直して、商品探しを再開。何メートルか歩いたところで、着用シーンを演出した何体かのマネキンが視界に入る。
「おお……」
僕は立ち止まり思わず声をあげた。僕の反応に気づいた先輩がすかさず近づいてくる。
「これはね。今のシーズンテーマに沿って打ち出しを変えてるんだ。二週間に一回とか……天気とかでも変えてお客様の反応を見たりしているんだよ。服単体だけで陳列するだけじゃなくて、マネキンにも着せこむことで、自分の未来の姿をよりイメージしやすくしているんだ」
僕は先輩が言うように、マネキンが着ている服と自分を重ね合わせ、想像してみた。すると、服を得ることで実現できる未来に、僕の心は次第にワクワクしてくる。すると、マネキンはより一層輝きを増したのだ。マネキンが放つ光は、まるで神々しい何かに見えるほどだ。先輩の言葉に一度は沈んだ物欲が、昇り竜の如く湧き上がってくる……
くぅ……これは……欲しい。
一度刺激された物欲に、もはや成す術はなかった。僕の喉から出てきた第三の手は、マネキン近くの棚に置いてあるモノを乱暴につかみ取る。デザイン、色、サイズ、素材感。何を取っても申し分無い。
僕は、何かに取り憑かれたかのように、早足でレジへと向かった。
「お! もう、決まったんだね! 」
声をかけてきた先輩の横を、無言で会釈をして通り過ぎる。
今すぐにでも手に持った服を自分のモノにしたい。僕の心はその一心で突き進んだ。店長の待つレジカウンターに商品を突き出した。
「……これ、お願いします」
「はい、ありがとうございます! あれ、キミ。何だかさっきと雰囲気変わったね? 気分でも悪いの? 」
「……いえ、大丈夫です」
勘の良い店長だ。こんな不躾な表情の僕に対して、今もなお笑顔で接してくれる。なんとなく申し訳ないと思いながら、会計が終わるのを待った。
「はい、ありがとう。いっぱい着てあげてね」
「……ありがとうございます」
店長から両手で紙袋を差し出され受け取ったところで、ようやく僕の心のザワメキが収まっていく……
僕を支配して動かしていた物欲もいつの間にかすうーっと消え、満足へと姿を変えたのだった。僕が買い物を終えたところ、先輩が僕のほうに近づいてくる。
「先輩、ありがとうございます。おかげで素敵な服に出会うことができました」
「そりゃあ、よかった! 俺は結局何も買わなかったよ。欲しいものがないというか……」
先輩は苦笑いをこぼす。えっ、これだけたくさんの商品があるのに、欲しいモノがないなんておかしいんじゃないですか。僕は出かかった言葉をぐっと飲み込む。
まあ、それは人それぞれだけど、何で……メーカーはモノを作ったり売ったりする立場なのに、欲しいモノがないなんて、自社の商品に魅力を感じないなんて、社員失格じゃないのか……
僕はどんどん疑い深くなっていく心をまた抑え込んだ。
「じゃあ、そろそろ行こうか。せっかくだし、他の店も見てみよう」
「わかりました! おねがいします」
僕たちは店長に挨拶をして店をあとにした。
「また、いつでも遊びに来てね。田中さんもお元気で」
「じゃあ頑張って」
手を振る店長の笑顔がまぶしい。
「はい! 店長! また新作が入るころに伺います」
僕は冗談ではなく、本気で言った。ここでまた素敵な商品に出会えると信じているから……

先輩の物欲


空腹が気になる頃、僕は事務所でデスクワークに勤しんでいた。今日の12時までに提出しないといけない報告書があったからだ。
「さあ、ペース上げないと間に合わないぞ……」
提出期限は刻一刻と近づいてくる。全神経をキーボードとマウスに集中させた。カタカタカタカタ……
結局、昼休みを告げるチャイムと同時にメールを送信するのがやっと。なんとかギリギリで提出することができた。
「はあー終わった……」
僕は大きく伸びをすると、背中越しに声をかけられる。
「なあ、福田君。昼ごはん、行く? 」
「はい、行きます! 」
僕は伸びをしたまま立ち上がり、事務所から出た。

事務所はオフィス街の一角にあり、昼時はサラリーマンでどこも混雑している。なので、意外に重要なのが、店を事前に決めておいてからのスタートダッシュ。十二時と同時に事務所を出て、目的の場所まで最短距離で行くことだ。このセオリーからすると、今日は失敗。僕らは回転が早そうなうどん屋に入ることをしたに入ることにした。
「ここらカレーうどんがうまいんだぞ」
先輩は 得意げに言った。
「へーそうなんですね」 
僕は感心しながら答える。
「カレーうどんの中に出汁を入れて、甘味をつける。 そして締めはセットのおにぎりを浸して、カレーライス風に食べる。これが俺流の食べ方。めちゃくちゃうまいよ。やってみる?」
「いいですね。僕もチャレンジしてみます! 」僕も先輩に習い、券売機でカレーうどんプラスおにぎりセット購入した。
少しずつ少しずつ席に座る順番が近づいてくる。 そして、とうとう店に入ることができた。
「お客様、何名様?」
カウンターの中から、おばちゃんに勢いよく声をかけられる。
「2名です」
「ちょっと待ってねー」
しばらくすると、また1人また1人とサラリーマンが席を立つ。
「ごちそうさん」
「はい、ありがとうございました! 」
やっぱりうどん屋は回転が早いな……
僕は 改めてそう感じた。
「はい、お待たせしました! 2名様、こちらのカウンター席へどうぞ! 」 
おばちゃんの声が店内にこだました。
「お水はセルフでよろしくお願いします」
「はーい」
僕は返事しながら二人分の水を冷水機に汲みに行き、先輩の前へ差し出す。
「ありがとう」
僕らは席に座った。カレーうどんが来るまでは 、もう少し時間がかかりそうだ。
カウンターの中で忙しくなく働く人たちをボーッと眺めていると、先輩が口を開く。
「今日君をお昼に誘ったのはこの前 一緒に行った店のことがどうしても気になってね」
えっ……先輩が一緒にお昼に行こうと言ったのはそんなことが目的だったのか。
僕は驚きのあまり、背中を大きくのけぞる。狭い通路側の壁にぶつかってしまった。
「ドン」
その瞬間、うどん屋では本来聞こえては来ないだろう鈍い音が放射状に広がた。僕は周りのサラリーマンから突き刺すような目線がこちらに向いているのに気づく。僕は気まずさに思わずうつむいた。
「だ、大丈夫? 何が何でも驚きすぎだろ」
先輩は少し慌てていた。いやいや、あなたのせいですから……
「大丈夫です。ちょ、ちょっと意外だったものですから……」
「そうかな。まあいいや……せっかくだし うどんが来るまで ちょっと話すね」
「はい、お願いします」
「この前も言ったと思うんだけど、俺も今の君のようにたくさん服やスニーカーを買ってたんだけど、いつの日か買わなくなってしまった。いや、買いたいという欲求がなくなってしまったんだ。
だけど理由ははっきり分からなかった。物欲なんて自然になくなるもんだと思ってた」
先輩の瞳は、立ち上る湯気の一点を見つめている。

「実を言うと、俺も……お金がたくさんあったら、スニーカーを思う存分に買いたいと思っていた時期もあった。スニーカーだらけの家にしたかったんだ。そして君が入社してくるよりだいぶ前に、念願叶って家の中にシューズクロークを作ったんだ。これで、自分のコレクションを一度に見ることができるようになった。初めて見た時は それはもう感動したよ」
先輩は当時を思い出したのか、天井を仰ぎながら微笑を浮かべる。
「自分のコレクションが 整然と綺麗に並んでいるところなんて見たことがなかったからね。もちろんスニーカーのコレクションは自分の給料から買ったものだし、自分が費やしてきた労働の対価でもある。つまりこれが働いてきた証だったんだ。一足一足に思い出は詰まっている。会社に出社する前にシューズクロークを覗くと、なんだか元気が湧いてきたものだよ。今日も仲間を増やすために頑張るぞってね。でもね……」

そこまで饒舌に一気に 話した先輩の言葉が詰る。すかさず 僕は先を話すように、促した。
「それでどうなったんですか? 」
「ああ、そうだね。その満足は残念ながら何日も続かなかったんだ。初めは興奮して何度も見ていた シューズクロークも、気がつくと当たり前の風景になってしまったんだ。あんなにテンションが上がってたのにね。本当に不思議だった。なんだか気分が高揚しなくなっちゃってね……」
そ、そんな事って……先輩の言葉はまるで僕の将来の夢をいとも簡単に打ち砕くような発言に思えてならなかった。僕は空腹のせいでイライラしているのか、先輩に言い返してしまった。
「でもそれは先輩の感想で、人それぞれですよね? 今の僕はそうは思いません。好きなものと暮らすことはとても素晴らしいことだと思っています。それに、うちのブランドの商品に囲まれて嬉しいとお客様に思ってもらえれば、僕らも嬉しいじゃないですか」

「確かにそれはそうなんだけどね」
先輩はそう言うと、黙り込んでしまった。
タイミングを見計らうように2人のカレーうどん定食が運ばれてくる。
「カレーうどんセット2つ、お待たせしました! 」
モクモクと立ち昇る湯気にカレーの香ばしい香りが溶け合い、僕らの口と鼻に入ってくる。
もう……我慢の限界だ。
先輩との舌戦はひとまずお預け。まずはお腹を満たすのが先だ。紙エプロンをつけて、
「いただきます」
2人の声が重なる。僕らは顔を見合わせ、苦笑いを浮かべた。張り詰めた空気を湯気が和らげる。
「ところで 先輩。このカレーうどんの出汁って何に使うんですか? 」
「あーこれね、これは辛さを調整するための甘みがある出汁だよ。この出汁を入れると甘みが出る 他にとろみも出てね。味変にも使えるよ」
「そうなんですね! 美味しそう 僕もやってみます! 」
ハフハフ……カレーのとろみのせいなのか、熱はなかなか逃げていかず、熱いままだ。おかげで、なかなか食べるスピードが上がらない。
隣を見てみると先輩はすぐに出汁を入れて食べている。僕も先輩に習い出汁をたっぷりかけ、うどん、カレー、出汁が絡み合うようにゆっくり混ぜていく。麺を持ち上げると、湯気が目の前に広がる。今だ!僕はふぅーっと息を吹きかけ、箸を口に近づける。
……僕らは、カレーうどんと死闘を繰り広げた。結果、カレーのシミという返り血をほんの少し浴びることとなった。まあ、それはいいとして、先輩との話が中途半端なところで打ち切られてしまった。
僕らは、店から出た後も無言のまま事務所に向かう。空腹は満たされたが、心にはモヤモヤがかかって何とも気持ち悪い。
ぼくが横を向いて視線を送ると、先輩は少しためらう様子で口を開いた。
「週末の日曜、暇? 予定ある? 」
あまりにも唐突な言葉に、僕はまた、驚きを覚える。でも今度は壁にぶつからなかった。
友達とか知り合いがいないとわかってて聞いてるのかな……
僕は先輩のちょっとした優しさを感じた。
「えっ特にないですよ。何かありましたか? 」「もし週末空いてるなら釣りでも行かな?  車で どっかまで迎えに行くからさ」
先輩からありがたいお誘いだ。
「え、いいんですか。 僕、釣りの道具は何も持ってませんよ」
「 いいよいいよ。手ぶらで来てくれたら。じゃあちょっと、朝は早いけど6時に駅集合ね」
「は、はやいですね」
「釣りの朝は早いんだよ。場所取りもあるし、時間が少しでもずれると釣れなくなっちゃうこともあるし」
「そ、そうなんですね。 分かりました、楽しみにしています! 」

 さっきまでの舌戦はどこへやら……僕らは会話を楽しみながら、オフィスビルのエレベーターへと乗り込んで行った。
〈3〉に続く。


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