ストライキ
西武デパートで久々のスト、しかし「ストを知らない子供たち」も多いだろう。
JRになる前の国鉄は毎年ストをやっていた。電車が止まるのだから、影響は大きい。電電公社にも労働組合があり、毎年ストを構えていたが、電電公社がストをしても電話は使える。(交換機は自動で動いている)
研究所で私が組合役員に選ばれたのは、NTT誕生前夜。研究所がストをやったとしても、世間に何の影響もない。それでも、研究所でも、ストの準備をしていた。決行の直前に中止命令がくるのが恒例。それでも「民営化反対、労働条件改善、ストライキ!」のビラを撒いて準備した。
白々しく思っていたのは、民営化に反対しているのに、発行されるNTT株を手に入れようと、みな血相を変えていたからだ。昼休み、証券レディたちがやってきた。当時はどの部屋にも自由に入れた。民営化反対の横断幕を掲げた組合事務室にも。どこの証券会社だったか忘れたが、派手な服のベテランレディが手帳を片手に、応接の中央に座る。周りを購入希望者が取り囲む。
「で委員長は二株でいいの」
予約したいが、いくらになるか分からない。何株申し込むか、希望者たちは悩んだ。(結局、初値は一株百六十万円になった)
組合役員の任期は一年だが、翌年、支部の役員に選ばれてしまった。NTTになったら、もうストはないと思っていたが、やはり準備するという。私は以前書いた論文がオランダの学会で発表できることになり、英語のプレゼン作りで徹夜していた。そして、オランダに出発するちょうどその日が、スト決行予定日だった。
スト決行になっても出社する組合員を「スト破り」と呼ぶ。研究所の正門にバリケードを築き、組合役員が見張る。バリケードと言っても看板とロープだけ。しかも中止になると分かっているから、緊迫感はない。お祭りに近い。そんなバリケードの横を、私はスーツケースを押して出て行った。組合の仲間たちが手を振って送ってくれた。
正門を出てみると、広い世界には爽やかな風が吹いていた。生温い井の中で組合ごっこをしていた鬱憤が晴れた。
妻は東芝で年何回も海外出張していたが、私はこれが初めて。それが組合役員と重なり、民営化と重なり、そして妻が妊娠。そんな多忙なある日、夫婦で珍しく寝坊してしまった。慌てて駅まで走ると、山手線が止まっているではないか。
「きょうはストだったのか」
ホッとして、朝食を食べにアパートに戻る。テレビをつけると、ストではなくテロだった。鉄道の信号線が切断されていた。バスを乗り継いでゆっくり出社。テロにおかげで事なきを得た。(西武デパートでも、当日寝坊する人がいるかも知れない、などと妄想してしまう)
労働組合のストも、軍事行動も、英語では同じStrike。やむにやまれず、命がけで決行するわけだが、現場の庶民、兵士たちには、したたかに生き延びてくれと思う。
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