「骨は拾ってやる」

 と前回言われたのは、シリコンバレー赴任の四年前、電話明細の新システムの初期検討に任命されたときだ。呼び出されて「メンバで交換屋はおまえだけだ。わかってるな、骨は拾ってやる」だった。
 私以外は、銀行システムなどを経験した「コンピュータ屋」だ。NTT社員全員が電話を知っているわけではない。そして、「交換屋」はコンピュータ屋と区別したがった。私自身はコンピュータが専門と思っていたが、最初に配属された交換機が全国に導入され、すっかり交換屋に区分されていた。「交換代表として思う存分やれ、失敗を恐れるな」と解釈した。
 これまで概要設計まで完了したシステムを詳細設計から引き継いできた。まったくの初期検討から参画するのは初めてだった。まずメンバに電話明細をレクチャーからだ。
 それまでの交換機は、電気や水道のメーターと同じ原理だ。メーターがいくつ増えたかで料金請求していた。いつ、どこへかけたかは分からない。だから、家族間割引のようなサービスは不可能だった。たとえば、深夜割引の率を変更するにも、開始時刻を変えるにも、全国の交換機のプログラムを更新しなければならなかった。
 電話も競争になり、多彩な料金サービスをスピーディに始めたい。交換機から明細情報(いつ、どこへ何秒かけたか)を料金センタに送り、センタ側で計算する改革が急がれていた。担当したのは、交換機からセンタに明細情報を転送する部分だった。単純じゃないか。概要設計に一カ月もかからないと思ったが、仕様を固めるのに一年かかってしまった。
 もめたのは信頼性だった。コンピュータ屋さんは銀行をイメージし、明細情報を絶対に捨てない。交換屋は、異常があれば非課金にして済ませる。何をどこでどう割り切るか、システム設計の根幹のこだわりに、なるほど出身の文化が出る。電話明細は1件廃棄しても数十円から数百円の損失だ。一方、銀行システムでは振替一件が億円かもしれないのだ。
 電話が最も多いのはクリスマスで、一日一億件を越える。翌日、あるお客様が電話局にきて解約を申し出たら、前日分まで精算する。つまり、明細一億件を一晩でセンタに届けておく必要がある。正常なら屁でもないのだが、ハードディスクが故障するかもしれない。回線が切れるかもしれない。
 回線が切れてもディスクに蓄える。復旧してから再送すればよい。でも、クリスマスかもしれない。翌朝に間に合う速度で再送できるのか。そして、そんなときにディスクが故障するかもしれない。回線を二重化し、ディスクも二重化し、それでもすべて故障するかも、と議論は果てしなく続いた。私だったら「昨夜はいろいろ大変だったので、その辺りの料金はいただきません」と割り切って済ませる。しかし、ディスクを復旧し、回線を切り替え、翌朝になんとか間に合わせたい人たちの執念で、一万年のオーダの不運にも対応できる設計になった。
 ハードディスクは数年で故障するので、二重化し、予備を用意しておく。光ファイバ回線は交通事故や河川の氾濫で切断される。だから、元々複数のルートに分散してある。それらがすべて切れるのは、よほどの惨事である。「そんなときには電話料金なんてとれませんよ」私は主張した。
 研究所の新人研修のとき、交換機の高信頼化を題材にしたグループ討議があった。プログラムから見ると二重化したハードの管理は面倒だ。「本当にそこまでやるべきか」と私だけ反論したが、高信頼化で保守を軽減し、コストを下げるのが正解だと叱られた。
 一万年オーダの高信頼化は当然バカ高くなる。日本製品を使うなら、まだメーカ育成の意義もある。しかし、高信頼UNIXサーバを米国から調達するという。米国から圧力があったのかもしれない。そして、日本全国の交換機からセンタにデータを集める、その回線を効率よく運用するために、新たにフレームリレー交換機を開発するまでに発展した。
 大がかりなシステムになり、当初の私の予想から予算は桁違いにふくれた。分厚い概要設計書を持って関連部門を回った。新システムの必要性、重要性に異論はなかったものの、具体的に数字を示すと驚かれた。特に覚えているのは四国だ。明細情報を送る専用線2本を別ルートで用意してくださいと話すと、それだけで四国から本土への電話全部を運べるという。「なんだか釈然としない」と首をひねる四国の担当者を説得したが、私も釈然とはしていなかった。
 一万年オーダの信頼性を追求するのは愚かだと訴えたが聞き入れられず、仕様が固まり、開発を始めるところで、私はフレームリレー交換機の開発のほうへ異動を申し出た。
 福島の原発事故を知ったのは、NTTを退職し、ロンドンで遊んでいたときだった。食材を買いにスーパーに行くと「日本人か」と呼び止められ、家族の安否を聞かれた。慌てて東京の妻と娘に電話したが通じなかった。無事はSNSで確認した。
 千年に一度の地震で、送電線の鉄塔は倒れ、発電機は海水に浸かり、原子炉は爆発した。東京電力の記者会見をインターネットで見ながら、信頼度設計に明け暮れた日々を思い出した。原子力村でも、誰かが「骨は拾ってやる」と言ったであろう。しかし、死んでもお詫びのできない事故もある。上司の言葉をあてにして、お詫びできない問題に挑戦したら、結局は同罪ではないか。上司は早晩退職してしまう。
 そういう私も設計だけして異動してしまった。NTTを退職し、イギリスにウィリアム王子の結婚式を見に来ている。日本の電話はどうなっているのか、明細は。公衆電話を無料にしたというニュースはあっても、「明細が届かない」「料金が請求されない」は聞こえて来なかった。やっぱり。
 一万年オーダの高信頼を追究して空振りしたNTTと、千年オーダも無視して原発を爆発させた東京電力、どちらがいい? しかし、技術屋としては、どちらも間違った設計だ。
 ノーザンテレコム社では、過剰品質を議論していた。交換機ダウン原因の半数が人間の操作ミスだ。信頼性を上げるなら、操作パネルの工夫や訓練を改善すべきだ。福島の原発の古い操作パネルを見ると、総合的な設計の重要性を強く思う。
 一万年の高信頼システムは、概要設計書だけで厚さ10センチになった。何度も修正し、コピーして会議に持参した。家に持ち帰った資料を積んでおいたら、娘がお絵かきに使っていた。小学生の間、紙に困らなかった娘は、のちにロンドンの美術大学に進む。リーマンショック後、苦労して就職口を見つけた。さあ、思う存分やってみろ。でも骨は拾えないからね。

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