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「ういたび_celebrating」(Moon Gallery&Studio/北上野)

2023年6月、新たなアートスペースとして上野にオープンする Moon Gallery & Studioは、そのこけら落としとして、 米蘭(コウ・ペイラン)のキュレーションによるグループ展「ういたび_celebrating」を開催いたします。本展は、画廊の改装工事が始まる前に、元々駐車場だったスペースをそのまま活用し、展覧会を構成しています。 国内外から12名のアーティスト、松尾獅子、丸山太郎、根本祐社、
REMA、seii、 月兎、高橋直宏、雨、 Joiii Xu, 楊頼馨、張雨論、紫薇が参加いたします。

本展のタイトル「ういたび」は、漢字で 「初他火」 と表します。 これは、生理中の女性が炊事を行う際に別の火を使うこと (別火) を指し、穢れを避けるための物忌みの一種とされています。 また、民俗学では、 「旅」の語源が 「他火」であるとされています。 別の火を作り、暮らしを立て直す意味で 「旅」が求められているということです。

月経は女性が性成熟する過程で現れる生理現象の一つですが、さまざまな地域でタブー視されてきた歴史があります。 初潮を迎えることは、新たな身体的経験へと転換する意味があり、「女」としての意識やライフスタイル、他者からの視線なども変わり、社会における立ち位置が変化していきます。 このように「身体」の成長は、単に生理学的な話ではなく、社会的なレベルで影響を与えます。 この点においては、実際は「男」 も同様だと言えるでしょう。 社会的役割やジェンダーにおける「女/男」の二項対立は身体的な違いだけを根拠としており、人間にとって不自由な分類だといえます。

「肉体からの解放こそは、人間の解放である」

時代や国で異なるジェンダー・スタンダードは、 社会的に作られていたものです。 労働力中心だった戦争時代では武力的に優位だった男性だけが権利をもち、その構造下では身体能力の差が生じ、男女関係なく、無力感、劣勢感を抱く人々がいました。そう考えると、セックスの違いは男女の間の強固な境界であるものの、それだけで「女/男」を二項対立に分類してしまうことはあまりに乱暴にすぎるでしょう。 「人間には個々の肉体がある」。 中国の思想家である荘子は、 人間は肉体に縛られざるを得ないが、しかし肉体に縛られているからこそ、その肉体による活動を通して、肉体に執着する意識を減殺しうるとしたのです。

本展は、人間の在り方をジェンダーから解放し、新たな自己像を探す 「タビ」をする意味で、 独自の視点を持つ作家たちの作品をヒントにして展示する。 人間の器官が放つ生命力を感じさせる丸山太郎、ペニスを主体性の持つ人体として扱う根本祐社、髪型や化粧などのセルフイメージを忠実に作品化するREMA、 妊娠中の身体経験を通して心身を再認識する月兎、身体の正しさに対して揺らぎを働きかける高橋直宏など。合計12名のアーティストによる作品は、 私たちの固定概念の呪縛から解放し、自由を与え、私たちがそれぞれの肉体で生きていることを自覚させてくれるのではないでしょうか。

ポーターレスを提唱する現代社会では、身体とアイデンティティーの関係を議論し続けなければなりません。「死」と「エロス」をテーマにしたフランスの思想家ジョルジュ・バタイユは、何かをどう認識するかは、認識する主体(私)の存在が生き延びてゆくことに役立つ行為であるとしています。 私たちは自分の身体を忠実に認識しているのか、固有な経験である身体の経験をジェンダー化に合わせていない
か。セックスの次元や、自我と他者の身体の物質性、それらを見直すことは人生を立て直す「旅」に立つことなのです。

本展は、文化的に構築され、内面化されてきた社会的ジェンダーから肉体を解放し、新たな身体像を提示する作品群を通じて、鑑賞者自身が新たな自己像を展開していくことを期待しています。

米蘭 (キュレーター)
Moon Gallery & Studio(北上野)
丸山太郎「天使の肖像」(2019)
丸山太郎「パンチザウルス 1989」(2019)
根本祐杜「Penis-Man」(2019)
高橋直宏「聖杯/Holy Grail」(2021)
根本祐杜「泥人間」,セラミックに焼き付け、ボンド、frp(2017)
月兎「Dance with flow」(2021)
REMA,ドローイングシリーズ(2023)
REMA「When a stain becomes a dye」(2023)
月兎「無題」Film(2023)&楊璞頼馨「O, Insects, Blue cloth」(2022)

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