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読書とは初恋の香り

「いつも本ばかり読んで凄いですね」と言われることがある。別に読みたいから読んでいるのであって、とくに何も凄いことはしていないのだが、まあ、そう思う気持ちもわからないことはない。

本を読む行為というのは昔から「かしこ」の象徴である。間違って薪でも背負って読もうもんなら、うっかり銅像になって全国の小学校に設置されてしまう勢いである。

したがって、「本を読む」イコール「すごいこと」と連想されるのは致し方ない。

しかし、「すごい」だけならまだしも、「読んだ内容がそのまま知識になっているに違いない」と、どこか東大王の鶴崎修功を見つめるよう眼差しを向けてくる人がいる。


まったくの勘違いである。


そりゃあ子どもの頃から右脳開発教育を施され、毎日フラッシュカードを浴びるように見せられてきたのなら、そのような能力が芽生えるのかも知れない。

しかしながらこちらとしては、毎日昼休みのドッジボールに命を懸け、「やっぱオニヤンマよりギンヤンマよね」とスカした顔で友と語らい、金曜夜8時には、アンドレ・ザ・ジャイアントをボディスラムで投げるアントニオ猪木を神様だと思って育ってきたのだ。

そのころ私が培った能力は、「鉄の爪:フリッツ・フォン・エリック」「黒い呪術師:アブドーラ・ザ・ブッチャー」「狂乱の貴公子:リック・フレアー」など、プロレスラーのニックネームを暗記する能力だけである。

ちなみに、推しのニックネームは、「人間発電所:ブルーノ・サンマルチノ」だ。いまだに意味がわからぬ。


まあ、子供の頃はこんな調子だったので、いつから本を読むようになったのは定かではない。ただ、兄が読書家だったので自宅の書棚には、「夏目漱石」「太宰治」「三島由紀夫」に「芥川龍之介」はもちろんのこと、「井伏鱒二」や「森鴎外」、「北杜夫」に「星新一」など、数え上げればキリがないほど、大御所たちが鎮座していた。書棚からの圧がエグイ。

そんな名だたる文豪からのプレッシャーを毎日のように浴びていれば、大抵のものはまるで夢遊病者のように、本を読むようになる。

そして今となっては、常に2~3冊はカバンに忍ばせるほどの活字中毒に。通勤時や仕事の合間など、少しでも空き時間があれば、すかさず本を開く。

こう書くと、「やっぱり凄いな~」と思う人がいるのかも知れないが、ひとつだけ注意しておこう。


安心して下さい。何も頭に入ってませんよ。


なんならひと月かけてやっとのことで読み終えた直後、「結局この本には何が書いてあったのだろう……」と、天を仰いでしばらく動けないときがある。


読書の最中、目は字面を追っているが頭では違うことを考えていることもしばしばある。気がつけば知らぬ間に3ページほど進んでいるので、適当に2ページぐらい戻ってから読み直すという、「水前寺清子流365歩のマーチ的読書術」が身についた。

哲学書や思想書の類はもっとひどい。見開き2ページの中で、意味のわかる文章が一文もないときには、うっすら殺意を覚える。


こんなふうに、内容を忘れてしまったり、理解できなかったりすることがあるたびに、「本を読む意味なんてあるんやろか?」と悩んだ時期もある。そこで、私にとって「読書とは何か?」を考えた。

まず、読書の目的を大きく2つに分類する。

(1)物語を楽しむ
(2)知識の収集


(1)は言わずもがな、小説の類。自分がどっぷり物語の中に入り、その世界観を堪能する。主人公と一体化し、非日常を味わい、様々な疑似体験を楽しむ。まあ、映画鑑賞に近しい。

(2)はとても守備範囲が広い。(1)以外の全てと言っても過言ではない。「俺か、俺以外か。」などにみられる、ローランド学派による伝統的な分類方法である。

ビジネス、自己啓発、精神世界、ノンフィクション、各種専門書など、これらを読む目的は、「何かを知りたい」という欲求だ。そして、これらの知識を活用し、自己成長に繋げ、より良い人生を歩みたいという思惑が見え隠れする。 

また、運が良ければ知識の収集過程で点と点が線になる、いわゆるコネクティング・ザ・ドッツ感に、身を震わせるほどの知的興奮を覚えるときもある。

それはあたかも「この本は私のために書かれた本ではなかろうか」という幸せなる勘違いをもたらしてくれる。

例外もある。例えば小説家になりたい人が勉強のために小説を読むというのなら、それはもう(2)に含まれ、ノンフィクションを著者の人生物語として楽しむのなら、それは(1)に含まれる。

このように、本の内容そのものより、読み方によってもその目的は変化する。

さて。「物語を楽しむ」のであれば、そのときに楽しめれば良いのであって、無理に記憶する必要はない。

あんなに夢中になった「天空の城ラピュタ」のストーリーは何回観ても忘れてしまう。シータはなぜ追われているのだ?ムスカは何者?しかし、幼かった私にラピュタがもたらした感動は今も色褪せてはいない。


「知識の収集」は、一見すると記憶力が必要だと感じるが、そうでもない。

気になる所に付箋を貼っておき、然るべきときにペラペラめくって読み返せば良い。几帳面な人はスプレッドシートに読書メモを取るのも良いだろう。

このように、本の内容を頑張って記憶する必要はなく、ある知識が必要になったとき、「それは確かあれに書いてあったよな」と思い出せればノープロブレムである。

しかし。

ここでお伝えしておかなければならない事実がある。実は、これまでに読んでも全く理解不能な哲学書や期待外れのビジネス本、途中で力尽きてしまった専門書や買っただけで満足して積読になっている本など、いわゆる残念な結果に終わった本が何冊もある。

いや、何冊どころではない。むしろ残念な本の方が圧倒的に多いのかも知れない。ただし具体的に冊数を数えてはならない。体によくない。

「これホンマに良かった〜」と思える本との出会いは、20冊に1冊あればよい方である。

しかも、その1冊の中で記憶に残る文章となると、合計しても1ページにも満たない。さらに数年の時を経ると、その内容はほぼ忘れ去られてしまう。そんなものである。

では、これらは全て、ただ時間とお金の浪費に過ぎなかったのであろうか?

ノンノンノン。そうではない。もう少し時間軸を長くとってみよう。

まず、残念本は捨てたりせず、そのまま寝かせておく。この時のコツは、きちんと背表紙が見えるようにしておくことだ。

すると、その本の前を通るたび、本のタイトルがかすかに視界の端に入ってくる。

このとき、「あぁ、まだ読んでない本がこんなにあるわ〜」と罪悪感に苛まれてはならない。ここは強い気持ちで数年間は乗り切っていただきたい。

ええ、お察しの通りこの数年の間にさらなる残念本が増えていく。気の弱い人などはメルカリやブックオフの甘い誘惑に駆られる。

「いや待てよ。最近はバリューブックスってのもあるらしい」など、悶々と眠れぬ夜を過ごすこともあるだろう。

妻は、新たに増える本を見て、「あなた、また本買ったの?」などと野暮なことは決して言わない。

しかし、仕事が終わり夜遅くに帰宅すると、私の机の上にそっと置かれているアマゾンの配達本から、妻がプンプンしている気配がプンプン匂う。


そんなこんなで数年が過ぎたある日、何気なく本の前を通りかかったとき、一冊の本とふっと目が合う。なぜか一瞬、胸の鼓動が高鳴る。

あれ、なんだろうこのノスタルジックな感覚は……

そう、それは大人になってから参加した同窓会で、当時お付き合いをしていた恋人と再会したときの感覚に似ている。

「あの、その、前からっていうか、ちょっと前からやけど、まあ好きやったから、その、もし良かったら付き合ってくれへんかな?」

目をまともに見ることもできず、下を向いたまま告白したのは、ちょうど中学2年生の冬のことだった。

すぐにお付き合いすることになったものの、そもそも付き合うっていうことがどういうことなのかもよくわからなかった。たまに学校から一緒に帰るくらいで、いつになっても手すら握れない。

イヤフォンを片方ずつ耳にしながら同じ音楽を聴いただだけで、胸が張り裂けそうになった若かりし頃。

しかしそんな二人にも、静かに終わりのときが近づいていた。

どんな風に別れたのか、もう覚えていない。当時の中学生にありがちな、いわゆる自然消滅ってやつだったのかな……


時は流れ、久しぶりの同窓会。すっかり大人になった彼女と目が合った瞬間、あの頃の甘酸っぱい記憶が蘇る。胃の上あたりがキューっとなる。そしてしみじみと思う。

「あぁ、綺麗になったね……」


と、こんな感覚に似ている。どんな感覚やねん。

まあ、基本的には友達がいない私は同窓会に誘われたことがないので、実のところよくわからんのだが。

とにかく、なんとなく目が合ったその本をパラパラとめくってみる。すると、当時の自分では気付くことの出来なかったあれやこれやが、スルスルと理解できるという奇跡が起こる。今の自分にドンピシャの内容がそこに書かれている。

「あぁ、捨てなくてよかった。ありがとう。本当にありがとう」そんな感謝の気持ちとともに、新たな出会い直しの瞬間が訪れる。


全ての本に無駄はなし。これは、「人生に偶然はない。すべては必然である」に通ずるものである。

本を読むという行為が、他のものと比べて特別に偉いとか尊いという訳ではない。ただ、私にとって読書とは、人生を豊かにしてくれる、かけがえのない時間であり体験だと思っている。


これが、同窓会に一度も呼ばれたことのない、私の本との向き合い方である。

こんな拙い長文を、最後まで読んでくれたあなたは、きっと本当に文章を読むことが大好きな、素敵な人だと思います。ありがとう。






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