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ただ熱狂だけがある世界:AIとベーシックインカムが示す人間の知性の行方

AIとベーシックインカム(BI)があまねくいきわたった後、人間は果たしてどうなってしまうのか?

働かなくてよくなるのはとってもありがたいのですが、その先も人生はずっと続くわけで、考えだすとけっこう奥の深い話ですよね。
 
 そんなことを考えた結果行き着いたキーワードが、
 
「ただ熱狂だけがある世界」
 
でした。
  

AIが奪う仕事と残る仕事。基準は「身体性」と「感情」


  人間にあってAIにないもののひとつが「身体性」だと言われています。
 
あとは、「感情」にかかわるところも人間固有のものとして残されるといいますね。
 
そうなると、職業としてはこのような身体・感情にかかわる部分が残ることになります。
 
なので、職業として残りそう、または増えそうなのは以下のもの。
 
・介護職
・スポーツ選手
・大道芸人
・ダンサー
・歌手
・ヨガインストラクター

など。
 
介護職以外は、旧来の「労働者」というイメージがなくて、むしろ楽しそうでいいですね。
 
かたや、なくなりそうな職業の代表例はこんな感じ。
 
・会計士
・運転手
・銀行の融資担当(テラーもかな)
・保険の審査担当
・ホテルの受付
・大学教授
 
などなど。
 
定型化されたマニュアルのあるものや、人間が生き物であることが不利に働くものだけではに限らず、知的労働と呼ばれるものでさえなくなることが予想されています。
 
こうなってくると、前も言いましたがほとんどの人は仕事をする必要がなくなるというか、単に仕事が消えてなくなります。
 
そうした人たちは、結果として収入をベーシックインカム(BI)に頼る生活になる、という流れですね。
 

AIとBI後の、新たな階層の出現


知的なものも含め、労働の大部分をAIが肩代わりすると、社会で有用な人間のあり方も大きく変わります。
 
やがて人間は
 
・得意なこと、好きなことをベースに金を稼ぐ余地のある人
・良くも悪くも労働からは解放(隔離?)された人

 
の2つに別れていくことになるのでしょう。
  
じゃあ、得意なことや好きなことを仕事にすりゃいいじゃん、って思いますよね?
 
それができる人はそれでよし。
 
そういう人にはむしろいい時代になったなあとさえ思えるのではないでしょうか。
 
 
かたや、ほとんどの人はそもそもそんなもの何もありゃしません。
 
また、AI+BI時代に有用な「得意なこと」というのは、まさに「身体性」と「感情」に依存した、努力だけではいかんともしがたいもの。
 
これが問題なのです。
 
これ、つらいですね。労働に逃げることももうできない。
かといって他に何もすることがない・・。
 
 
そうなると、たぶん余暇を埋めるため、ひたすら何か夢中になれそうなものを探すことになるでしょう。
 
すでにその兆しは見えていますね。
 
Youtuberしかり、プロゲーマーしかり。
 
ぱっと見は、「面白いことをやっている人」と「それを見て喜ぶ観客」です。
 
 
でも実は、これって
 
「何らかの価値を生み出すことができたごく少数」と、
「そうでない大多数」

 
の未来予想図なんですよね。
 
 
今までは、観客にはそれぞれ職業もあり、それなりに自尊心も保つことが可能でした。

けど、もうそれができないとなったらどうでしょうか。
 
かつては搾取を恐れていた大多数の労働者は、もう搾取すらされない。してもらえない。

そんな世の中です。
 
そうやって突如現れた茫漠たる余暇を埋めるべく、観客は次から次へとエンターテイメントを渡り歩くしかありません。
 
「価値を供給する側になれなかった」ことを忘れたくて、ステージの上のエンターテイメントに熱狂するしかなくなるのです。
 
 
そう。そこにあるのは、ただ熱狂だけがある世界。
 
 
でもお金なんて気にしなくていい。
AIが勝手に働いてもっとも効率的なやり方で富を生み出し、配分してくれる・・・。
 
 
さて、あなたはこの世界で、ステージのどちら側に立っていると思いますか?
 
※エンタメを生産する側の人間に、知性がないって言ってるわけじゃありませんよ。念のため・・・。
 

AIから人間の知性を守る最後の砦はだれか


 知的作業でありながらAIに取って代わられるか検討していない職業がまだあります。
 
小説家やブロガー、なんてどうでしょう。
 
AIはもしかしたら、膨大なデータから小説やブログを自分で綴りだすようになるかもしれません。
 
けど、そこにはやはり、感情や身体性に根ざしたものはないでしょう。
 
AIには、大学受験の結果通知を開ける瞬間の、あの胸の締め付けられるような感覚や、仕事が終わって家に帰ってきて飲むビールの味はわかりません。
 
また、夜中に鏡を見るのがなんとなく怖いとも思わなければ、自分の存在意義も気にしないでしょう。

そこまで高尚でなくても、みんな大好き「賃貸がいいか持ち家がいいか」、「たけのこの里ときのこの山はどっちがうまいか」などなど、人間であれば感じるちょっとしたことをベースにものを考え、想像を膨らませて文章を書き、最後は他人の心をも動かすこと。
 
もしかしたらそれが、人間の知性を示しうる最後の砦かもしれません。
 
呼び名はどうあれ、ものを書くことというのは、「ただ熱狂だけがある世界」から抜け出せる唯一にして最後のルートでもあると思うのです。
 

 まとめ


AIとベーシックインカムがもたらすのはユートピアかディストピアか?と訊かれたら、私は間違いなく後者だと思います。
 
雇用がなくなること自体はそれほど怖くありません。
 
むしろ、自分の価値を世に示すにはたまたま身体能力に恵まれるか、面白いことができるかという、きわめて自分の力が及びづらく、また移ろいやすいものにしか頼れなくなること。
 
そして、ステージの上に乗れなかったら最後、あとはただ何者にもなれず、死ぬまで時間をつぶすだけ・・・。
 
人類の大半がそうなる世の中で、たとえ「考える葦」の最後の一本になったとしても、そんな「ただ熱狂だけがある世界」に膝を屈したくはない。
 
そうならないように、今日も文章を書いているのでした。


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