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親と、育てられた自分という子どもを振り返って思うこと

ごきげんよう、ヤナギです。

親戚などの初盆もあり、しっかりお盆は連休にして実家に帰ってきました。
仏教のなんちゃら宗でそこそこちゃんと毎年盆迎えや送り火などをやっている家なのですが、飾りを飾ったり火をもらってきたり、お墓を掃除したり、きちんとそういうことをするのは好きです。あとお線香の匂いが結構好きなんだよなぁ。

さて、また悶々とした話です。
実家で数日過ごしてきて、ああやっぱり私は結婚したくないなぁ、というか子どもは欲しくないなと思ってしまいました。

何があったというわけでもないのですが、久しぶりに親と対面して、私は母の趣味をよく知らないなと何度目かのことを思いました。
趣味なんて変わるものですし、たぶん飽き性の人なのでひとつの趣味に熱中するようなことはないと思うのですが。
おしゃれな服も着ようとしないですし、化粧も最低限。アクセサリーや化粧に関しては面倒だと言っていたので興味がないのかもしれませんが。

前にも書いたことがありますが、過保護気味に育てられたと思います。
振り返ると母はものすごく子どものことばかり家族のことばかりの人で、自分は二の次で。
そういう人なのかもしれませんが、子どもながらに「もっと自分のことをすればいいのに」と思っていた記憶があります。
それと、最近子どもが生まれた友人の話を合わせて考えて。
家庭を持つ、子どもを生み育てるというのは自分の時間が無くなるということなんだな、と。
私はこれまでも今も自分の趣味が最高に楽しいです。それを楽しむ時間がなくなると思うとぞっとします。
だからやっぱり家庭を持ちたいとは思えないんだよなぁ。

兄もいますが、実はそんなに交流がなくてそもそも無口な人だし、過去の仕事でメンタルをやられてることもあり。私も同じですが。どんな価値観を持っているのかわからないし、私と同じように結婚しないかもしれない。
そうすると私の代でこの家は終わるんだな、とお盆のあれこれで先祖代々のお墓を見たりもしてなんというか、なんだろうな。寂しいというか、申し訳なさも。
前述した通り、そういう文化は好ましいと思ってますし、廃れるのもしのびないな、と。

自分の選択のせいですけどね。
いやでも、結婚するにしても子どもができるかもわかりませんし、作る作らないという選択もまたありますからそれとはまた違う話か。

しかし、親の「テレビや街中でそのくらいの年の素敵な人を見かけるたびに『子どもたちの奥さん旦那さんはこういう人がいいなぁ』と思っちゃうんだよね」という言葉には乾いた笑いが出ちゃったな……。
そろそろ諦めるかと思ってましたが。うーん。

おまけ。愚痴。
子どもを持つと大人になるんだよと親に言われたことだけ納得ができてません。礼儀だとか振る舞いだとか。子どもの面倒をみる様を見ると相対的にそう見えるだけでは?なんて思ってしまいました。