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高村雪義 高村派新道楊心流(エッセイ)

武道指導と守破離


 「大事なのはコンセプトです。新しい技は、何代も経た技の核となるコンセプトがある限り、新しい時代、現実に対応するように工夫できるのです。といってその流儀でなくなるということではありません。技は技としての有効性を保ちながら新しい時代に対応していくということなのです」

 これは本誌(季刊『合気ニュース』)122号に掲載した高村氏の会見の抜粋である。氏は6歳より祖父の神道楊心流柔術免許皆伝師範小幡茂太より手ほどきを受け、終戦直後祖父の亡き後はアメリカに渡って修行を続けてきた。その会見は121号、122号で紹介したが、真に伝統を受け継ぐということはいかなることか、その本質をついた氏の言論は、国内外の多くの武道家の支持を得てきた。今回ここで紹介するのは、氏が約17年前に門人のために書き残した、日本の伝統文化の継承手法である守破離についてのエッセイである。氏が語る武術の型の本来の意義、守破離を通しての弟子と師のあり方に対する見解は、“生きている武術の修行と指導”に立ち返る重要性を、修行生、指導者、双方に気付かせてくれるものである。

※所属や肩書きは、季刊『合気ニュース』に取材当時(2003年)のものです。
 翻訳:編集部(原文は英文)


はじめに

 〝守破離〟とは、文字通り、型を守り修得し、型を破り、型を離れるということであり、古来から日本の修行の方法は常にこのプロセスに従ってきた。このユニークな学習過程は何世紀もの間日本に存在し、武道、華道、茶道、歌舞伎、詩歌、絵画、彫刻、織物等の日本の伝統文化の存続に寄与してきた。
 現代においても依然として守破離は引き継がれてきているが、新しい指導法と稽古法がこの守破離の姿を変えつつある。日本の伝統文化が次代に首尾よく引き継がれるか否かは、指導者の資質と指導者の守破離に対する認識如何にかかっていると思われる。
 このエッセイでは、高村派新道楊心流柔術の修行にあたって、守破離がどのように取り入れられているかを述べる。

初伝――初心者レベル

【守】
 型とは、日本の伝統文化伝承の中核であり、それぞれの伝統文化が持つ知識(動態または観念として)が目で見える形となったものである。そのように目に見えとらえやすいものであるため、往々にして弟子の能力や進歩を測るための一番重要な手段というように誤って考えられがちである。しかし、型には、それが正しく指導されれば、目に見える表に対して裏(秘奥義)が存在する。そしてそれは表の部分をまずマスターしないかぎり、初心者の域をいつまでも出ることはなく、またその深遠な術技のレベルに達することはできない。
 型を身につけるためには修行生はまず自我をなくし、何回も型を繰り返し稽古しなくてはならない。この初伝の段階では、なによりも集中力と学ぶ意欲が要求される。
 武道の型のなかには、肉体的に苦痛を伴うものもあり、ひとつのことに集中して取り組めるようになるためにも、まずこの肉体的苦痛を克服することが修行の第一歩である。
 またその流儀における色々な型を学ぶうちに迷いやストレスが生じてくる。このような迷いが増えるほど対応能力も格段に増してくる。やがて彼等の神経や筋肉は直感的な動きとなり、(型の)無意識の動きが生まれてくる。 
 このようなレベルに修行生が達し、型が満足のいくように行なわれるようになってはじめて修行の第一段階が達せられたと言える。さらに進んだ型の修得にはなお一層の努力が要求されるが、型を学ぶ心構えはできているので、型稽古の基本は達せられたと言える。

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