岡本正剛 大東流合気柔術六方会宗師
今後も自然体で
岡本大東流合気柔術を伝えていきたい
今年74歳の岡本正剛師範は、今でも国内はもとより北欧やアメリカなど海外の支部の指導に忙しい日々を送っておられる。その師範の入門時から現在まで、そして今後の大東流合気柔術にかけた熱い思いを伺った。
※所属や肩書きは、季刊『合気ニュース』に取材当時(1999年8月10日)のものです。
取材 編集部
必ず全員の手を直接とって指導する
――合気ニュースで以前に取材をさせていただいてから10年以上もたっておりまして、あらめて現状や今後のことも含めていろいろなことをお聞きしたいと思っております。
先生は38歳で大東流をお始めになっておりますが、1925年のお生まれですから今年で74歳ということですね。年齢と体力や動きとの関係など、昔からよく言われることが多いと思うんですが、先生は現在も現役でバリバリ指導されていて、外国にもたびたび指導に行かれておりますが、先生のなかではどういうふうに感じておられますか。
技の点では、上達したのかだんだんずるくなったのかわかりませんが、割合らくにやれるようになりましたね。ただ体力的なものは、やはり40代、50代とはぜんぜん違いますね。外国から帰ってくると時差ぼけもあるし、一日二日は疲れていますね(笑)。
――スポーツ的なものだと、一流選手は30歳くらいになったら引退なんていうのが多いですよね、やはり武術の世界は違いますよね。
そうですね、大東流のほかの会派のことはあまり知らないですが、たまたま見た剣道などの70、80歳の方などは、3段、4段の方をうまくあしらってますよね、あれが本当でないかと思いますね。
私はこの先何年続くかわからないんですけど、体力と気力の続く限りは第一線でやりたいですね。うちの指導方法というのは、必ず私はお弟子さんに、それがたとえ何十人いても全部直に技をかけるんです。東京の場合は、多い時で80人くらいくる時があります。私はその全員に、古い人にも新しい人にも技をかける。ですから何百回とかけるわけです。
ほかで聞くには、そういうことをしていないというんですね。師範はただ見せて、これをやりなさい、という感じで。それは私は詐欺行為であると思います。やはり、六方会、あるいは岡本という名前を聞いてここへくる方々なんですから、その方に一年も二年も手を取らないというのは、詐欺行為だと思います。直接手を取って、それでうまくかからなかったら自分が未熟なんだから。
――いちばん最初に堀川幸道先生に入門された時の「動機」というのは。
自分から望んで行ったんではないんです。たまたま軍隊時代の友達――戦友が近くにいまして、「岡本、いま変わった武術を習っているんだ。おまえも来いよ」と言われたんです。「そのうちに行く」と言っていたんですが、なかなか行かなかった。たまたまある日の夕方時間ができたものですから、じゃあ、今日行ってみるか、と行ったのが始まりなんです。それも入門するというつもりでなくてね。行きましたら、20人くらいおりまして、堀川先生が教えておられました。陰から見てると、近所の方が何人かいるんですよ。それで稽古が終わってじゃあ一杯飲みに行こうということになって、その飲むのがやみつきになって(笑)。それから近所付きあいのようなものが始まった。まあそれもいいことだということで、通いだしたんです。ただ暇つぶしと帰りに一杯飲んで雑談するのが楽しみで通ったようなもんです。
――技自体はどうでしたか。堀川先生の技はけっこう難しそうですが。
そうですね。一年以上は堀川幸道の手を取らせてもらったことはないですね。二段、三段の人の手解きは受けていましたけど。だから、本当の技というのはわからなかったです。ただ痛いだけで。ふつうは二年くらいまでは堀川幸道の手は取れなかったらしいですが、私の場合は出席がいいもんですから、「岡本さん、あんた熱心に来てるな、今度私が教えてあげるよ」なんていって手を取られたのが、入って一年半くらいだったでしょうかね。
――大東流の技の印象というのは。
最初の4、5年はぜんぜんわからなかったです。欲がなかったですからね。ただ投げられて、あちこちにあざを作ってね。そのあざがまた楽しみになったりして(笑)。
――それで欲がでてきたというか、おもしろみがわかってきたきっかけというのは。
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