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中村鶴治 剣道範士 鹿島神武殿理事長

青少年育成を終生の仕事として


剣道範士 中村鶴治先生は大正7年生まれの87歳。  
父・中村彦太氏から引き継いだ〝人間は磨かれてこそ光り輝き活きる〟との信念のもとに、剣道を通し、青少年育成にかけてきた半生を語っていただきました。

※所属や肩書きは、季刊『道』に取材当時(2005年)のものです。
 取材:編集部 2005年8月18日 東京中野修道館事務局にて

<本インタビューを収録『武の道 武の心』>

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青少年育成の
情熱の原点は父・彦太

―― お父様の彦太先生は生まれてすぐ母親を亡くされ、祖父母に甘やかされて育ったため、のちに苦労をされた。そこから人間は厳しく育てなければいけないという考えに至り、それを剣道で実践されたということですが。

 父から聞いた話では、母親は産後の肥立ちが悪く亡くなってしまった。親の顔も見ずにかわいそうにと、おじいさん、おばあさんに甘やかされて、裕福な家でもあったから、わがままいっぱいに育った。そのために自分は一生を棒にふってしまったと言って、残念がっておりました。

 ですから子供は甘やかして育てたらだめだ、親がいないならしっかりした人にあずけて、厳しく育ててやれと日頃から言っておりました。
 父は戦争中に日比谷公会堂で演説会を開いて、当時の総理大臣、東条英機はこんな戦争を巻き起こし、国民を何十万人も戦死させてとんでもない国賊だと誹謗した。その結果逮捕されて、約一年、終戦まで刑務所に入れられていました。

 普通の人は腹で思っても言わないんです。父はそういうことを堂々と言う人でしてね。「どんなに迫害を受けても俺は言うべきこと、正しいことは言うんだ」と。わがままに育ったから我慢ができないんですね。

 未決監に入っていて労働をさせられないから、暇なので本を差し入れてもらおうとしたらだめだと。ただ六法全書は許されて、差し入れてもらった。始めからしまいまで丸暗記したそうです。たいへん法律に詳しくて、弁護士が太刀打ちできませんでしたよ。それぐらい頭は鋭かった。ただ、我慢というのができなかった。

 それを自分でわかっていまして、子供には厳しく教えるものは教え、諭すものは諭してやらなくちゃだめだと。道場でも寒稽古、暑中稽古などを特に厳しくやるようにしていました。

 掘り出したばかりのダイヤモンドは泥だらけの石ころに過ぎません。砂や土の中から出た砂鉄も、真黒な砂の一部にしか過ぎない。磨き上げてこそダイヤモンドとして光り輝くのであり、砂鉄も鍛えてこそ世界に誇る日本刀となるのです。子供も愛情豊かに厳しく鍛えてこそ、世界の宝物となり、二十一世紀の世界を背負って立つ立派な青年になるのです。

 私が全日本剣道道場連盟という全国で二千もの道場をたばねてやっていけるのも、父に厳しく育てられたお陰です。ありがたいことです。

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