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中学校

中学校の話。

これを美談として鼻にかける自分も嫌だし、このことを知って周りの態度が変わるのも嫌だし、色々嫌だけど、いつか投稿する用に下書きだけ保存しておこうと思う。

どちらかといえば高校デビューだ。というより高校逃げだ。

器用な人間もいるもんだとつくづく感心させられるが僕は勉強とその他の両立ができない。どっちか全振りしかない。けど勉強かそれ以外だから、勉強を捨てれば何でも同時に出来ると思う。いや知らんけど。

僕は中学3年の頃に勉強を選んだ。

附属である手前、つるんでるのは大体幼稚園来の友達で、小学校の頃からほぼ毎日一緒に帰っていた。でも僕は、某高に絶対合格しなければならなかったため、彼らと帰るのをやめて勉強するようになった。

僕は4人兄弟の1番下で、某高に受かってる人は誰もいなかった。最後の1人くらい行って欲しいというプレッシャーはあった。合格しなければならなかった。

中学3年の秋頃からだったと思う。避けているわけではないがクラスも違うため、なかなかいつもの友達と会わなくなった。でも気にかけていなかった。そんなことを気にかける暇もないほど勉強して、東北6県の過去問を5、6年分問くことが日課になり、毎日毎日テストを繰り返していた。

そんな僕が受験を終えると、何も残っていなかった。合格発表までの1週間。何も残っていなかった。虚無だった。

受験期以前の通りみんなと帰ろうと思ってた。帰れると思ってた。帰り道が一緒だから帰れるはずだった。けど違った。

もうLINEグループが出来ていて、合格までの1週間はみんなで寄り道したり、誰かの家に行ったり、家に直帰するのは僕だけだった。1人の家に自転車を置いて着替えも財布もスマホも持って行っていた。そんなん知らんかった。

誰にもバレないように、声をかけられないようにひっそりと分かれ道で1人で帰った。

「でも、いままで一緒にいた人たちはほとんど某高受けてないじゃん。高校に行けば絶対変わるって。大丈夫だって。」

当時隣の席だった女の子が言ってくれた。僕が中1の時、酷いことをして、もう僕を嫌っていると思っていた子が、励ましてくれた。

卒業式も最初ひとりだった。一緒にいる人が居なかった。居な過ぎた。でも母が来ることもあり、門出式はずっと、もう僕を良く思っていない人達と一緒にいた。卒業式の夜はクラス会があったのだけど、それまでの間僕は誰にも誘われなかった。母にも「誰かとお昼打ち上げ行かないの?」と聞かれたがあやふやな返事をして家で1玉80円くらいのうどんをすすった。案の定クラス会に行けば声がガラガラな人達。カラオケにでも行っていたんだろう。荷物もたくさんあって、制服でも入っているんだろう。そう思った。

結局、友達を捨ててまで勉強したのに、新設された科には不合格で普通科。どうせ馬鹿にしてるんだろうなー。

もう全部忘れよう。全部忘れて新しい気持ちで高校生活をスタートしよう。そこで合宿では科学パソコン部出身の1000円札いじりをされている奴と出会って、色々変わっていって、最高の高校生活をスタート出来たと思っている。

出鼻を挫くように、インスタでは「いつめん」の文字と共に焼肉に行く写真を月1で投稿する奴らを見ては自分がいつめんから外れていたこと、もしかしたら元々いつめんじゃなかったのかもしれないことを思っては千円札と遊んで忘れようとして、なんとか。なんとかここまでやってきた。

その片鱗というか。高校に入学したとて、某高の生徒の4分の一は僕の出身中であるから、たまにそのことに触れる人がいる。確かに事実。でももう過去の話やんか。ちょっと勉強するために「輪」から外れただけやんか。良くないか?僕は変わったんだ。足を引っ張るのはやめてくれ。

ビンスイtvの、退職専門EXIT株式会社の、テラスハウスの新野社長が言っていたけどポジティブになれるのは、すっごいネガティブの裏返しであって、誹謗中傷については、わざわざ時間割いてくれてありがとうなって思ってるらしい。ええやん。それでええやん。僕はこれからも逃げ続けるし、絶対大学に行こうと思える勉強の起爆剤として勉強をしていこうと思う。

中学校との大きな違いは、勉強が正義である高校って事だと思う。

長めのnoteでした。

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