2度目の秋

相も変わらず帰宅するころには日付を跨いでいる。居酒屋のバイトを終え自転車を走らせると、もう半袖ではいられないほど冷え込む。2度目の京都の秋だ。

今年の夏休みは去年に比べて活動の幅が広がり、多忙極まりなくはなかったが、充実感のある「大学2年の夏」だったように感じる。例によって頭のバグにより1ヶ月大学を休んでいた当時、この夏休み中に大学を休学する手続きをしようと考えていたのが懐かしく感じる。

さて、僕の夏休み2022をダイジェストで振り返ろうと思う。

東京遠征に始まった僕の夏休み。メーンのイベントである某大会、いわゆる大学生の、お笑いの、「アレ」については検索に引っかかる可能性があるため名前を伏せておく。僕の高校生活を象徴する(?)先輩のボロアパートにてモラトリアムを実感し、姉と共に山形新幹線で帰省した。過去3回帰省している山形だが、多くの人が実感しているため、あたかも自分の発見のように語りたくはないが、自分の求めている理想の実家はもうそこには存在しないのだと否が応でも実感せざるを得なかった。

とりわけ僕が比較的大家族であるということも起因しているだろう。僕の好きだった実家は、馬見ヶ崎川が目の前にあり、祖母の家が徒歩1分のところにあり、母が料理を作って待っていてくれる、贅沢は承知だが、それだけでは十分でないのかもしれない。単なる懐古厨と言われればそうだが、僕の好きな実家は兄弟の存在が大きい。朝、朝食を終えた兄弟たちが一斉に洗面所に集まり歯磨きの渋滞が起こったり、夕飯時に全員で揃っていただきますをしたり、逆にまだ1番上の姉が大学に行く前、6人家族で生活をしているのにも関わらず部活や塾、友人とのご飯などで他の兄弟がおらず、母と二人で食卓を囲み「まるで一人っ子みたい」と言えたりしたあの空間。言い出したらキリがないが、あの空間にはやはり兄弟がいた。

話が逸れたが、今回の帰省は一味違っていた。2番目の姉と同じ新幹線の隣同士を取ることで、初めて兄弟のいる帰省を実現することができたのである。今となってはもうそのことも懐かしく思えるが、きっと来年から姉が就職をした後は、あまり一緒に帰省できないのだと思う。すると今年の夏の帰省も、実家のあの空間の一部になるのだろうと思う。

山形では高校時代の悪友たちと酒を片手にお祭り騒ぎだった。10人を超え、日中はバレー、そして温泉、夜はラーメン、そして朝まで各々の進学先での話や思い出話に花を咲かせた。

京都に帰ってからというものの、本格的に免許取得に向け自動車学校に通い始めた。下手したら免許は取れず27万捨てたことになりかねない。先に謝っておきます。お母さんごめんなさい。

9月の頭には13連勤のバイトを終えた次の日にフェリーで宮崎へと向かった。サークルの合宿である。神戸港から宮崎港まではおよそ12時間。船酔いと格闘しながらも5日間の旅を満喫した。

というところで僕の夏休みは2日で終わりを告げる。サークルとバイトがある。最後までぎっしり詰まった夏休みを送れたのは、去年に比べて体調が良好で、元気もりもりだったからだと思う。しかし、秋。去年の体調不良のピークは秋だった。教職、免許、サークル、バイト。ゆるーく生きていきましょう。

おやすみ!!!!!!!


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