溜め息

2024.7.15 初
douki

 裏金にせよ何にせよ、自民党でも共産党でも、誰が選ばれたとしても、政治権力は腐敗するものだ、そんな気がする。議会はいつも曇りがちで、議論は、日陰の草花のように、痩せ細り、捻くれ曲がって地に倒れている。
 こういう光景をじっと見ていると、どうしようもない、という溜息と共に、議論が育たないのは、そこに撒いた種が悪いのではなく、畑が悪いのではないか、という、つまり、誰を選ぶかは置いておいて、まずは、不誠実をすることが困難な土壌を作るべきなのではないか、という考えが出て来る。そうだ、そういう新しい土を好まない種があったら、それこそを、悪い種であると言えばよいのだ。
 一方、議会の外を見れば、肌を焼く熱気が満ちている。通信技術の発達により、人々の距離は縮まり、衝突が増え、昼も夜も、あちこちで火花が散っている。燃える輪転機がその火種をミラーボールのように拡散し、火の粉は常に延焼先を求めさまよっている。そして、握りこんだ石礫を、見下ろすように、のぞき込む人々の影が、次の犯罪者を告げるラジオに聞き耳を立てている。
 人溜まりはそこかしこにある。焚火を囲む人々もいる。しかし、それは、大きくなればなるほど、空き家の郵便受けのように雑然と、喧嘩とそこに群がる野次馬のように意味もなくただ巨大に、または、ただ一つのスローガンを叫ぶデモ隊のように排他的になって来る。そこでは、新しい声はかき消され、結果、議論は停滞する。
 騒ぎの終わりは、ワイドショー式に、焼き尽くすか、飽きるか、ほとんどの場合、それが散会の合図となる。我々は、今まさに火中にいる、そういう切迫した事情を持たない限り、話し合いより騒ぎを好むのだ。バスが来た。時々、そういう騒ぎを眺めることで時間を潰してしまう悪い種を、自分自身の中に見つけ、はっと息を飲み、……、溜息を吐いた。
(おわり)

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