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【10】普通に見えるからこそ辛いんじゃないか!?

同胞さんは、進路や職業の選択など、自らの意志で人生を決定しなくてはならないような場面で、二転三転を繰り返してきました。
自分のことを客観的に捉えることが苦手すぎて、理想や目標が大きくなりすぎちゃって、実現するための方法もよくわからなくなって、実際にやってみたらうまくいかない…

苦手を自覚している対人関係を回避したにもかかわらず、大小さまざまな挫折を繰り返して、自分は何が得意か、何が好きか、よくわからなくなってしまったのかもしれません。
そこへ生涯お付き合いの病気がトッピング、そりゃ人生迷子になるのもわからなくもないのですが…

そんな同胞さんは一見すると、何でもできそうな「普通の人」に見えます。
(社会参加できている人を、あえて「普通の人」と表現します。心底、普通って何って思うのですが。)

同胞さんが支援センターへ通い始めた頃、すぐに仕事を紹介されました。
相談員さんにとっては数年間、家族としか会えなかったのに、やっと同胞さん本人に会えたわけです。
そんな同胞さんのことが、想像以上に「普通の人」に見えて、どんな仕事でも紹介すればやれる人に映ったんだと思います。

これまでの家族面談で、同胞さんが人生の岐路で二転三転していたエピソードは、何度も話題にしてきました。
家族には気付けなかった同胞さんの生きづらさの理由を、相談員さんという専門的かつ客観的な立場で、信頼関係を築きながらゆっくりと紐解いてもらえたり…
「同胞さんが抱く高すぎる理想」と「世間の現実」とのギャップを埋め合わせながら、不得手なことを自覚したり、得意なことを伸ばしたり…
そんな関わりをしてくれるのも支援センターの役割なのかと、わたしは期待していました。
(本当なら、家庭や学校で、家族と友だちとの関わりをとおしてやることなんだとは思うのですが…)

もちろん支援センターは、ひきこもりの就労支援が主な役割でしょうから、決して間違ったことをされたとは思っていません。
でも、早々に仕事の紹介とは、あまりにも幸先が良すぎて嫌な予感しかしませんでした。
家族面談の強制終了による不信感も相まって、支援センターとわたしに何らかの食い違いを感じたので、相談員さんに連絡してみました。

相談員さんには、同胞さんが「普通の人」に見えたから、早々に仕事を紹介してくれたようだが、同胞さんの社会参加できない理由が顕在化していないからこそ、もっと多角的に潜在的な理由を探ってはもらえないのか。外部専門家との連携を唱っているが、その専門家へ相談したり、医療や福祉へ繋いだりすることは考えないのか。それをせず相談員だけで仕事に紐づけても、不用意に外を連れまわされ傷つくだけで、結局ギャップを理解できないまま苦しむだけではないのか。

わたしもずいぶんなことを言ったとは思いますが、相談員さんから驚きの一言を食らいました。

同胞さんを発達障害の色眼鏡で見るのはよくありません。同胞さんと一緒に職場体験して、試行錯誤することの何がいけないのですか?あなたは同胞さんに社会へ出てほしくないのですか?

色眼鏡?むしろそちらが先入観の塊ではないですか?
今まで同胞さんは散々試行錯誤したんだよ?
数回会ったことのある付き添い人ができただけで、今までと何が違うんだ?
病気の受容過程や家族への態度は、決して年齢相応とは思えないって、エピソード付きで何度も伝えてましたよね?

病気だけが社会参加できない顕在化した理由で、それ以外は何ら問題ないと判断されていたんだと確信しました。
もうこれは何を言っても話は交わらない…
「わたし達には実績があります!!」と自信満々に言われた、初回の面談が蘇りました。対話を諦め、同胞さんへこれ以上不利益となることのないよう感謝を伝え、話を終えました。

そして、このあとすぐでした。同胞さんは支援センターへ行かなくなったのは。

それは、わたしが予想していたとおり、紹介された就職先は作業所だったからだと思います。
心身ともに疲れたり病んだり障害を持ったりした方達と一緒に、単純作業を繰り返す場所を紹介され、同胞さん自身がその就職先で働くことを具体的にイメージできたとき、自尊心を傷つけられたんだんでしょう。
たとえ同胞さんにとって適切な就職先だったとしても、それを受け入れるための心の準備を促すことは、必須だったはずなのに。

そこまで求めてはいけなかったのでしょうか…「ひきこもり支援センター」に。
家族だけでは、どうにもできないから相談してたんですけど…

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