「自分らしく生きれた」と胸を張って


つい先日、10年ほどお世話になっているカウンセリングの先生にこんなことを言われた。

「いちとさんはタフなんだね」

この言葉を聞いたときに、私は最初、「ええ?」と笑ってしまった。もう長いことカウンセリングに通っているということは心がまだ元気ではないというか何かが引っかかっているということで、私も昔と比べて精神が安定したものの定期的に心に溜まっているものや突っかかっているものを吐き出さないとすぐにしんどくなってしまう。

そんな人に「タフですね」と先生はあっけらかんと言うのだ。先生ともかれこれ10年ほどの付き合いになる。その先生が言うのだから、カウンセリングを受け始めた当初の私よりはまさしくタフになったのだろう。先生からは「この環境でよく頑張ってるよ」という言葉をもらった。「この環境」というのは、だいぶ個人的なことになるのでここでは書けないけれど。まぁ要するに、ずいぶんと強くなったということなんだろう。


この先生の言葉で、ふと考えた。
確かに、私は強くなったと思う。子供を4人産んで育てているのだから、強くならなくちゃやっていけない。そう思って、ときに弱りながらも意地でも這い上がってきた。でも、本当にそれだけだろうか。子供たちの存在だけが私を強くしてくれたのだろうか、とグルグルと思考が回る。すると、とあることが思い浮かんだ。

「新しい自分に出会えたこと」が私をより強くしたのではないかと思ったのだ。いや、"新しい自分"よりも"本当の自分"と言った方がいいのかもしれない。私はここ数年の間で、ようやく"自分自身"というものが分かってきたような気がするのだ。


機能不全家族で育った私は、いつも母親の顔色をうかがって生きてきた。母親が良いと言ったものは良し、だめと言ったものはダメ、と自分の意見を持つことが出来ない子供時代だった。そんな環境だったので、母親が好きなものが私の好きなもの、になるのも自然なことだろう。母親が好きそうな服を着て、母親が好きそうなアーティストを好きになった。反対に、母親が嫌いなものに私も「これ、嫌い!」と言うような子供だった。本当は私はポップな服装よりはガーリー系の服が好きなんだなと気付けたのは、わりと最近の話だ。恥ずかしいけれど、子供の頃はずっと母親に選んでもらった服を着ていた。

ただ、本を読むことは本当に好きだった。それは今でも変わらない。母親に読書好きなのをいつも褒められたのが嬉しかったのと、小学生のときに私が書いた詩が新聞に載ったことが私をより本と文章を書くことが好きにさせてくれた。


すべては母親の機嫌を損ねないように。
 母親に気に入れられる娘でいるために。
でも、自分を押し殺して......というようなことでもなかった。なぜなら、そもそも私は"自分"というものの輪郭がひどくぼんやりとしていたのである。

「お母さんが好きなものが私の好きなもの」
このことにまったくの違和感を抱かないまま私は大人になり、そして親になった。


旦那と結婚をして子供を産み、もちろん母親はもうそばにはいない。母親の顔色をうかがわなくちゃいけない生活から抜け出したとき、ものすごく安堵したのと同時に私は困ってしまった。

そのときの私は、自分の意志で物事を決定することが苦手で、「自分の好きなものってなんだろう?」という基本的な人間としての軸がまったく出来ていないことに気付いたのだ。それに加え、心の中にいつも母親がいる。私が何かを選択するとき、「どうしたいか」という自分の声よりも母親の「こっちの方がいいんじゃないの?」という声しか聞こえなかった。もう、私のそばに母はいないはずなのに。でも、私の中で母は生きていて、いつまでも私の思考をがんじ絡めにする。私の声を、かき消してゆく。

自分の好きなものが分からない、という自分に出会ったとき、結構なほど落ち込んだ。「私って何なんだろう?何が好きで、何が嫌いなんだろう?」と自問自答する毎日だった。もちろん、誰も答えてはくれない。そして、自分のことが分からなくなるほど、自身の輪郭はぼんやりとしていく。私が私を分かってあげられていないことが、なにより孤独を深めていた。


私は、そんな自分を変えたかった。


そう強く願うようになって、自分を探し続けてやっとこの2〜3年ほどで本当の自分が見えてきた。少しずつ、自分の声が聞こえてくるようになったのだ。

どうやって、自分自身を探せたのかは分からない。ずっと続けていたカウンセリングのおかげかもしれないし、旦那が辛抱強く「いちとはどうしたいの?」と聞いてくれたからかもしれないし、旦那や子供たちという心から愛することが出来る"家族"という存在のおかげかもしれない。


私は文房具を集めることが好きだ。
私は整理整頓が苦手だけれど、シンプルな空間が好きだ。インテリア家具や百均雑貨が大好きだ。
お肉だってほどよく脂が乗っているほうが美味しいと思う。
「ラーメンのスープをご飯にかける人、信じられない!」と母はよく言っていたけれど、本当は私はこの食べ方が好きだ。旦那ともよくこうやって食べる。お行儀が良いとか悪いとか気にしない。だって、美味しいから。太るけど。
赤色やオレンジよりも、緑色や青色のほうが好きだ。
そして私はやっぱり、書くことを仕事にしたい。


こんなにもたくさんの、私がいた。
それなのに、私はそのことに気が付かないで何十年も生きてきた。私が、私自身の声を聞こうとしないまま生きてきたのだ。それは、どんなに悲しいことだろう。自身の声よりも母親の顔色をいつも気にして、自分の人生を歩むためのスタートラインにすら立っていなかった。ようやく、私は"私"を知ることが出来た。すると、「生きている」という実感が全身に広がった。


私にとって、「新しい自分」は「本当の自分」だ。やっと会うことが出来た、まだ知らない部分も持っているであろう本当の自分だ。だからこそ、これからは今までの分も自身の声を大切にしていきたいと思う。そして少し、自分を甘やかしてあげたい。「自分を変えたい」と思うことは、簡単なことでは無かった。過去と向き合って、私の心の中にいる母親とも向き合って、満たされなかった幼い頃の私の心の声を聞いて、ひたすらに足掻いていたように思う。だから、ここまでよく頑張ったね、と自分を労ってあげたい。


私は"私"を知ることが出来たから、カウンセリングの先生が言うように強くなれたのだと思う。だからこれからも、自分自身の輪郭を忘れないようにしておきたい。ときには輪郭を辿って「私は私だ」と確認しながら、自分の人生を自身の足で力強く歩き出してゆく。もう、私は"私"を見失ったりはしない。


そして私は、「自分らしく生きれた」と胸を張って、人生の終わりを迎えたい。








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