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趣味と呼べる境界線はどこですか

最近、文字におこして残したい思考が増えている。

わたしは気まぐれで手書きの日記を書くが、推敲を重ねたい日とただ殴り書きをしたい日がランダムでやってくる。
後者は良いのだ。君はそのままでいい。しかし前者の場合は厄介だ。書いては消しを繰り返し、最も相応しい表現で具現させてやろうと躍起になる。
そのうち鉛筆を持つ手に力が入らなくなり、体は睡魔に飲まれる。翌日起床したところで、昨夜あれほどまでに記したいと熟考していたはずの表現はもうどこにもいない。親友が遠い国に行ってしまったような空虚さを感じてしまう。そしてその穴を埋めるほどに本日を充実させる自信なんて、朝のわたしには少しもないのである。
などとまどろっこしく書いてみたが、何が言いたいかというと、デジタルにより、今夜のうちに、永遠に、親友はわたしのそばに留まっていてくれる。こんな幸せにようやく気づいたのである。たまにはデジタルで記すのも悪くないと、ここ数日うずうずしていたところだ。

さて、これまた突然だが、
「あなたの趣味はなんですか」
という問いにかれこれ15年近く悩まされている。
子供の頃はプロフィール帳の「しゅみ・とくぎ」の欄が最後まで埋まらず、毎年クラス替えのたびに来年こそ趣味を作ろうと決意していた。
大人になった今でも、趣味は?と聞かれることが多々ある。こんな簡単な質問にいつまで悩まされているのだ。いや、こんな簡単な質問だからこそ、皆が多用しすぎなのだ。困らせないでくれ。

わたしは別に何にも興味がないわけではない、興味を持ちすぎてしまうのである。そして、興味の対象が目まぐるしく変わってしまうのである、厄介だ。
興味の対象には短期間で異常に執着するが趣味という頃にはピークが過ぎ、新たな対象を得ているが趣味というには恐れ多いほど歴浅しなのである。
多趣味であり、無趣味の所以である。

2週間とり五目のおにぎりだけを食べ続け、気に入った映画を一日に3回連続でみたこともある。本はほとんど連続で3度読み、音楽は一曲を一日中無限ループ、執着の仕方が異常なのである。そしてある日パタリと見向きもしなくなり、数ヶ月後に再度ヤッホーと現れるのである。

そして、最近の3大ブーム。
「飛行機」「記録」「音楽編集」
非常に厄介だ。社会人は自由な時間が限られる。反動で執着度合が桁違いに跳ね上がるのである。すでにこの2年で経験済みだ。

しかしわたしはそろそろ趣味を手に入れたいのだ。尖った執着ではなく優しいホビーに憧れているのだ。15年越しの憧れなのだ。
今度こそ、ほどほどの距離感で近づきますのですぐに離れないで下さいよ。
そして、誰か教えてください。
その距離感、その期間、その相性、
対象はもうあなたの趣味ですよ〜!と。