見出し画像

動物観ってなんだ?

動物観とはヒトが動物をどう捉えているかということ

おーたけ 動物観とはなにか。動物観という言葉は一般的ではないですよね。わたしが勉強し始めた時にはそもそもの定義がなかったので、人生観とか自然観みたいなものと置き換えて考えてきました。

へい 動物観ってなんですかと聞かれた時に、僕が説明するのは人間が動物をどういう風にみているのか、モノの見方や捉え方の動物バージョンという風に説明しています。この説明で伝わった試しがないですが笑 でも、そういうことですよね。

おーたけ 笑 私は逆に人生観ってなんですかという風に考えちゃう。人生観ってなんですか?

へい んー、自分の人生観でいえば、自分がどう生きたいか、どう振る舞いたいかってことじゃないかな。ぼくだったら、「農業したい!」って思うので農ある生活をしたいというのがある。それと実際、今は動物園で働いているけど、動物園で働きたいとずっと思っていたので、「動物園で働く」ということを人生に置くみたい感じかな、人生観=やりたいことみたいな感じだと思う。おーたけさんはどう思いますか。

おーたけ 人生観とはっていうと自分の人生観と向き合うってことだよね。

へい 正解知ってるのか笑

おーたけ だから、客観的に見たときに、自分の人生はこうありたいとか、こうだったって説明する時に人生観が発生すると思うんですよね。      なので、それにあてはめて動物観ってことを考えると普段は意識してないけども、客観的にみたらこれってこういう関わり方だったのかと気付くもの、それが動物観だと思います。あくまで、動物観ってもの事体は曖昧だけれども、客観的にこの人はこういう動物観を持っているという風に説明する時に付随される概念だと思います。概念だよね、結局。

へい そうですね。これが動物観だ!ってモノはないですもんね。だから、モノの見方とか価値観みたいなものですよね、動物観は。

動物観の魅力を語る

おーたけ 私がなんで動物観に興味をもったかというと、かつての私は、犬の殺処分とかの話を聞いて心を痛めていた少年だったんですね。その時から気になっていることがあって。それは、犬を捨てる人もいれば、犬を救う人がいるのはなんでなんだろうということです。つまり、そもそもなんでこの人たちは(犬を)捨ててしまうんだろうという点と、逆にほとんどの人たちは無関心でいる犬や猫たちを特別に救いたいと思う人たちというのはどういう想いなんだろう。と、ふと思ったんですよ。それで、大学入って、勉強していた中で動物観ってものに出会って、研究を進めてきたんですよね。どういう人が捨てているのかっていうのが分かれば捨て犬も無くなるし、動物に優しい人が増えるだろう。そうなれば、きっと動物の暮らしもよくなるだろう。そういう動物に優しい人ってどういう人なんだろう、そもそも動物に優しいということはどういうことなんだろうという点が原点にある。動物をいじめる人もいるし、助ける人もいる。同じ動物なのに価値観や態度、行動がなぜ変わってくるのか、その境目にある動物観の違いが気になるんだよね。

へい なるほど。自分はなんで動物観が気になっているのかな。

おーたけ ね。へいさんは動物園に関心があった人なのに、今はヒトの方も勉強しているわけじゃないですか。付け足すと、私は動物は嫌いじゃないけど、好きでもない。

へい でた笑!問題発言!なんだけど、そうなんだよね。だから、動物園反対論者のおーたけさんとも仲良くなれると思うんだけど笑。なんだろうな、自分は人間が面白いんだよね。けど、なんで動物観にひかれているのかはよく分かんない。動物観の面白さは多様であるところだと思うんだけど、、、

おーたけ あー。多様であることね。

へい そう。おもしろいじゃん。多義的である、動物観のそういう部分に動物園も含まれると思うんだけど。。。我々の先生がよく言っていたのは「人と動物の関係は矛盾だらけだ」っていう。自分まさにその通りだと思っていて、動物園なんかもそうだと思うんだよね。動物園は動物を守るために、種の保全とか保護みたいなことを掲げているけど、一方で、動物の個体レベルで考えたときにせまいところに閉じ込めて、動物たちになにか強いている。片一方で、動物たちに対してプラスなことをしていて、片一方で動物たちに嫌なことをする。これって、矛盾していません?そういう部分に動物園のおもしろさを感じるんですよ。人間臭さというか人間の本性が見え隠れしている笑

おーたけ なるほどね。

へい 綺麗にズバッと決められないのが人間だと思うんですよ。でも、現代の人たちは綺麗に整えた風に見せて「我々は崇高な人類だぞ」って取り繕っている。綺麗に布を掛けている部分を人と動物の関係でみると布がベリッと剥がれて、人間の本質の片鱗が見える時がある。動物観のそういう部分に惹かれているのかもしれないかな。

おーたけ なるほどね。                                                    

へい 動物観のおもしろさみたいなものは今言った話で説明できるけど、なんで動物観に興味を持ったのかについてはなんかあまり自覚してないかな。自分は動物園の勉強を教わりたい先生がいたから大学に入ったんだけど、その先生が動物観もやっていたからかなぁ。なんかおもしろそうと思って、研究会とか学会に行っていたらそのままずるずる沼にはまったみたいな笑

おーたけ そんな感じだな笑

へい なので、なにか明確な意思を持って、この分野について眺めているわけではないんですよね。

動物観のヒントは身近なところにある

おーたけ 動物観って言葉にすると仰々しいけど、割と身近なものなんですよね。動物観のヒントどこにでもある。

へい そういう意味では孝現学ともいえるよね。孝現学っていうのは、考古学の対義語。考古学は読んで字の如く「古」のことを考える学問で、それに対して考現学は「現在」を考える学問のこと。

おーたけ 考現学をもっと勉強したいと思うけど、あの分野って今もいきてるのかな。。。

へい ね。そもそも学問なのかなぁとも思っているよ笑

おーたけ 動物観も学問かと言われると怪しいよね。歴史の中の動物観とかだと歴史学とか人類学とかに含まれるし、動物観っていうカテゴリーで括られるものってあんまりないんですよね。だから、社会学となにが違うんだって言われたら微妙なところなんだよ。孝現学の有名な本の中でタバコの吸い殻をしらべるってやつ知ってる?

へい 知らない。

おーたけ どういう調査かというと、駅の近くとちょっと離れた町でタバコの吸い殻の長さの調査をしたんですよ。まぁ、しょうもないことですよ、興味のないひとからすると。それで、調べた結果、駅に近いところの方が長いまま捨てられていてんだってさ、なんでだと思う?

へい 電車待ちのちょっとした時間つぶしに吸ってたからじゃない?

おーたけ そうそう。正解。だから、タバコの吸い殻なんて一見するとくだらないことだけど、調べてみると人間性みたいの分かる、そういうものが考現学だったわけなんですよね。それが、人類学とか社会学とか文化論的なものとしてもしかしたら調査されているかもしれないんだけれども、それに動物が絡んでいる場合もあるわけですよね。

へい ふむふむ

おーたけ 知り合いでやっていた調査は、動物園に来る人のTシャツの柄とかを研究もあった。それも、一見すると、良く分からないくだらない調査に見えるけど、結果をみてみると、家族連れで来ている人の方が、子どもと同じものを着ている割合が多かったんだよね。これは、普段はあまり意識してなかったけど違いがあるということが分かって、じゃあ次は、なんでこういう違いが出るのだろうかという部分を考えるのが動物観だよね。動物に関連するものを身に付けるのがその人にとってどんな意味があるのか。伝統や文化でいうならば、動物の首飾りみたいな感じで現代で言えば動物に関連するものを身に付けることがどんな意味をなすのかというのを探っていくのも動物観的な探究になるんじゃないかな。

へい 元も子もないこというと、なんでもOKだよね笑

おーたけ そう笑。対象が動物に絡んでいればとりあえず動物観的探究は成立する笑

動物観は〇○に効く!

おーたけ 動物に関わる諸問題について考える時に、私たちは人間だから人間目線でしかものは考えられないということを自覚することは大切だよね。

へい それはある。環世界ね。

おーたけ 前もいったけど、私は知覚過敏だけど、人と比較できないから知覚過敏であるという自覚ができなかったんですよね。だから、自分の世界って自分しかわからなくて、できるだけ人に近づけさせようと心がけることはできても、絶対的に自分から抜け出せないという部分はある。

へい それは動物に限らずあらゆるものとの関係について考える時の大前提として出発したいと思うんだけどね。気持ちを推し量ることって重要だと思うんですよ、動物の気持ちを推し量ることもそうだけど。でも、それはあくまで僕の脳みその中で行われていることなんですよ。だから、動物の気持ちが全部わかったみたいに勘違いしている人を見るとある種の気持ち悪さを感じます。人間同士でもよくある、アリがちな話ですけど。でも、人間は言語でコミュニケーションがとれて、自分の意志で逃れることができる。動物はそうはいかない。管理されている以上動物に自由意志みたいなものはない。そうなると、最後はヒト側の解釈次第みたいな話になる。そういう部分に気持ち悪さと面白さを感じるな。

おーたけ 面白がっているだけならいいけど、さっき言ったみたいに動物の気持ちはヒトの解釈次第なので感情移入しやすい。それで、解釈の対立が起きたり、ケンカになっちゃうと大変だよね。これがさらに発展して、個人の対立レベルではなくて、国際的な問題、たとえば捕鯨問題とかだけど、にまで発展することがある。こういう文化の対立に対して、動物観が解決の糸口になる可能性があるんじゃないかな。動物観を切り口にそれぞれの文化を客観的に捉えて、なぜ衝突してしまっているのか、どの部分が食い違っているのかを解き明かす材料に動物観はなると思うんだよね。


おもしろいと思ったらぜひサポートしてください! 少額でも大変喜びます・・・!