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12月の日記・減少

10月からなんとなく、その月を振り返る日記を書き始めた。
12月は、何かと忙しい月だった。著しく残業が増えたり、睡眠時間が減ったりしたわけではないが、やることや考えることが多くて毎日カツカツで働いていた気がする。
話し掛けられることも多かった。「そんなことで声を掛けるな」と思いつつ(性格が悪い)、そう答えるわけにもいかないので応対していたが、態度に出てしまったかもしれない。

音(楽)を聞く時間の減少

以前は家を出るとすぐにイヤホンをして音楽を聞いていた。12月は、苦手な音がしない限り音楽を聞かなくなった気がする。話し掛けられすぎて能動的に音を聞きたくなくなったのかもしれない。
苦手な音がするときでも、音楽ではなくホワイトノイズを聞くことが多かった。

Xを見る時間の減少

12月は、Xを見る時間も減った。アプリの起動時間を比較したわけではないので、気のせいかもしれないが。
割と最近まで情報は多ければ多いほど良いと考えていた気がする。音楽や漫画についてたくさん知っていた方がかっこいい、みたいなのもある。

Xに登録しているのは読書感想文を投稿する目的もあるが、新刊情報やライブ情報、面白そうな美術展の情報等を逃したくないという理由もあった。
 でもたくさんの情報を得たところで、うまくコントロールできないし、余計な情報まで目に入って来て疲れてしまった。

結構前からXの通知欄を見るのをやめて、リプライとDMだけチェックしている。すごく快適だ。
フォローしている人数を減らしたから、不快な情報を目にして無駄に凹むことも減った(かつてフォローしていた人が不快だったという意味ではない)。

減少からの学び

目や耳に入ってくる情報量を減らしたことで、頭の中の靄も減った。あと自分が向き合うものに対して、少し丁寧になれたような。

冬の朝は、夏の朝よりも静かな気がする。まだ真っ暗な中をTempalayの『Superman』を聴きながら歩いた。この曲は静かな時間帯が似合う。なんとなく。
以前は「死ぬまでに音楽を聴ける時間は限られているから、たくさん聴きたい!」って感じで、勉強しながら、仕事しながら、掃除しながら聞くこともあったが、最近はそうじゃなくなった。
Margt Islandに行った後は『革命』ばかり聴いていたし、レディクレ帰りは『続・新世代』を延々と再生したし、そういう聞き方もするにはするけれど、時間を惜しむような聞き方ではなくなった。

向き合う情報量が多いと、その分、脳の容量を奪われ思考が散らかってしまう。大切にしたいことや、本当に考えたいことに必要なエネルギーが減って、雑な向き合い方になってしまう。
だから多ければ多いほど良いというわけじゃない。下半期は薄々とそのことに気が付きつつ、12月にやっぱりそうかもって感じる月だった。

んーでも、Tempalay関係のライブは可能な限り行きたいし、死ぬまでにできる限りたくさんの本を読みたい。欲望の塊だ。
情報に限らず、自分の中でちょうど良い量というものを見付けたい。

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