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小原綾斗とフランチャイズオーナー「XXX」東京公演の日記

先日、「良いな」と思う文章を書く人を見付けた。「この人の文章良いな」って思ったの、今までに星野道夫さんしかいないかもしれない。書かれてある内容が好きってことは数え切れないほどあるけれど、文章自体が好きってあまりない。
私もその人みたいに素直な文章を書きたいと思い、どんな書き出しをしているか見てみたら「○○さんが好きだ」から始まっていた。無理すぎ。好きだけど!大好きだけど、そんな書き出しは無理すぎる。

というわけで、いつもみたいにヲタク特有の早口みたいな自意識拗らせ日記を綴るしかない。どうしたらすっと読める文章が書けるのだろう。壁を破るしかないのか。壁とは。

今回行ったライブ

・11/20(月) 小原綾斗とフランチャイズオーナー「XXX」@WWW X(東京)

ライブの感想

月初の福岡の日記に、忘れる前に焦って言葉にするのはなんか違う気がすると書いた。今回の東名阪ツアーはライブの数日後に日記を投稿したが、焦って日記を書いたのではなく、「今日も良かった!」という熱が溢れて書きたくなってしまった。
noteの自己紹介欄に「言語化練習帳」と書いた通り、元々自分で思ったことや感じたことを言葉にするのが苦手というか、しちゃいけないくらいに思っていた。言葉にするのは今も得意ではないからアウトプットするのに地味に時間がかかってしまう。でも、「書きたい!」という欲は強いのだ。

「話したい」ではなく「書きたい」って思うのは、やっぱり話すことが苦手なのかと思う。「話す」ってバッティングセンターで繰り出される球をずっと打ち返さなければいけない感じがする。「書く」は、焦らなくて良い。
料理は苦手なのに、お菓子作りに苦手意識はない。なんでだろうって考えると、お菓子作りは自分のペースで進められるからだと気付いた。料理だと「玉ねぎがきつね色になるまで」とか、「焼き目が付いたら裏返して」とか、食材の都合に合わせないといけない(料理をこんな風に捉える人いるのか?)。
お菓子作りだと、粉や砂糖の量を測って、こねて、冷蔵庫で冷やして……と、テキパキやっても、ゆっくりやっても、どっちでも良い。もちろん飴細工のように時間勝負みたいなお菓子もあるだろうが、私が作るお菓子に関しては焦るものが殆どない。
焦るのって基本的に良い結果を生まない気がする。焦らずゆっくり。ゆっくり急げ。オソイホドハヤイ。やっぱり『モモ』は名作だ。

私がライブレポートでなく日記と表現するのは、自分のために書いているからだ。レポートだと報告する対象者がいる。誰かに読ませる文章。「インターネットに投稿しておいて」って言われそうだけれど、日記はごく私的な文章だ。
「誰か」を意識した時点で、本質とズレちゃう気がする(誰かが読んだとき不快な気持ちにならないように、とかは気をつけるが)。でも私の思考には圧倒的に他者の存在が少ないと思うから、このままでは駄目な気もする。
ところで自分に対して「駄目」と思うとき、同じ境遇の他者に対しても「駄目」だと思っていることになる気がして、どうやって捉えたら良いか分からなくなっている今日この頃。ちょうど良いところを見付けたい。

ライブは予定時刻から少し遅れて開演した。綾斗さんだけGALFYのセットアップのゴールドで、他の方は黒を着ていた。愛知が黒、大阪がゴールドで統一していたので東京はどうするんだろうと思ったら、社長の綾斗さんだけ色違い!
1曲目は『BAD FAMILY』だった。今更だが、BAD FAMILYってEPのジャケットに書かれた怪人たちのことを指すのかな。
人間社会の中で生きるの、本当に苦手だなって思うことが多い。私の場合、オンラインゲームのように自分のアバターを選択できて、その姿で生きられたら苦手意識が少し減る気がする。もっとメタバースが当たり前になってほしい。

そうしたら私はこの姿で生きる。

なんで人間って殆ど同じ形なんだろう。怪人社会には、人間社会と違って色んな形がいて良いなあと思う。私は怪人になりたい。

ロボット工学者で有名な石黒浩先生のインタビューがすごく良いから、私と似たような苦手意識や願望を持つ人におすすめである。

アバターが普及することで、男性が女性になることも、女性が男性になることも、肌の色を変えることも、自由にできるようになる。生身の体をアバターに置き換えることで、これまで起きていた「差別」の問題を解決できる可能性は高い。根本的に全ての差別がなくなるかどうかは別問題ですが、少なくとも良い方向に価値観はアップデートされていくはずです。

新しい技術を取り込むことで、新しい人間のあり方、新しい人間のいのちの形が作られていく。私はそう考えています。

ロボット学者 石黒浩が企てる「アバターの社会実装」、その先に描く人類の未来

照明の当て方によって、ステージの背景が暗くて見えないときと、見えるときがあって、その使い分けが良かった。照明知識がなくてうまく説明できない。オレンジ色の光でぼんやりと背景が照らされると奥行を感じられて、なつかしいというか昔の映像を見ているようだった。
東名阪全て整理番号が後ろの方だったので、人の頭越しにステージを見た。距離的にも遠くて(Zepp規模と比べたら近いが)、それが時間的にも遠く隔てた景色を見ているようですごく良かった。過去の記憶が、現在目の前で再現されているかのような……。
『おっぺえ』とか、2番目に歌った新曲とか、そんな演出だったような気がする。

愛知公演と大阪公演は大きなトラブルがなく終わったが、東京公演は『とびだせトマソン~俺たちのEvery Little Thing』(以下、トマソン)の冒頭で綾斗さんのギターの弦が切れるというハプニングが起きた。
曲は最後まで演奏し切ったものの、途中で綾斗さんがギターを掲げてスタッフさんに合図されていたから何かあったんだろうなと思った。
曲が終わった後、「10分休憩します!一旦はけます!」と仰って、全員舞台袖に戻っていかれた。「駆け出しバンドなものでスタッフがいないんですよ」「また(登場した際の)SEをかけて出てきます」とのこと。
観客席の照明が明るくなり、開演前と同じようなBGMがかかる。本当に10~15分くらい待った。
普通こういう事態に備えてもう一本ギターを用意しておくとか、すぐに弦を張り替えられるよう準備しておくとかしそうなものだ。このドタバタ感がすごく良かったのと、私に足りないところだ……と、待ちながら感動していた。
相手を待たせられる勇気というか、相手に受け容れられるだろうという自信というか……さすがにそんなことは考えていないだろうし、ただ用意してなかったから時間がかかっただけかもしれないし、会場にいる人の殆どがチケットを買って来ているので、多少の不便をかけても許容してくれるだろうけれども。
子どもの頃「人に迷惑をかけてはいけません」と教わったのが身に付いちゃって、最近になるまで人に頼る方法がよく分からなかったので、そういう態度にすごく憧れがある……。
綾斗さんの弾き語りライブの日記にも似たようなことを書いた気がする。人に頼れる人の方が、反対に頼ってもらえるだろうし、絶対に健全だよな。持ちつ持たれつってそういう意味だったのか。

約10分後、ステージに戻って来た綾斗さんのお洋服がセットアップの黒に変わっていた。自分だけ違う色を着ててグルーヴ感がない。浮かれちゃってるみたいとかでお着換えされたらしい。衣装チェンジがあるの、アイドルのライブみたいだ!と思った(あるよね?)。

このときのMCの流れではなかったような気がするが、集さんか綾斗さんがGALFYのセットアップが全て売り切れたと仰っていた。会場限定CDも、開演前に売り切れていた。以下、うろ覚えのやり取り。
綾斗さんが「着るの?これ(セットアップ)」と言うと、Kayaさんが「私は普段も着るよ」と(喋り方が軽やかで良い)(着るよの後に「っ」があった気がする)(幻聴かもしれない)。それに対して綾斗さんが「川崎だもんな」と仰ると、Kayaさんが「川崎で着たら本物になっちゃうよ」といった受け答えをされていた。「そういうことはコンプラ的に言っちゃいけない」と諭す綾斗さん。「なんで?」と聞きかえすKayaさん。綾斗さんは「駄目だって、お兄さんが教えてあげます」みたいに答えていた。
文章に起こしてみて、これこそ幻聴ではないかと不安になってくるが、自分のことを「お兄さん」呼ばわりされていた気が……。

『トマソン』からの『おさんぽTOKIO』の流れが良いので、もう一回『トマソン』からやり直してくれないだろうか……と密かに期待していたが、綾斗さんがチューニングを終えると『おさんぽTOKIO』からするりと始まった。皆に特別な合図もなく(多分)、するっと始まった感じが良かった。
これも相手への信頼感と、自分は受け容れられるという自信があるからできるなと……(私の表現が下手なせいで「俺は何しても許されるぜ!」みたいに読まれたらごめんなさい。そうじゃないのです)。
去年、恵比寿てんぱれい祭りの後夜祭に行ったときに、登壇者の方のお話を聞きながら綾斗さんの愛され具合(?)にグッと来ていたのだが、こういうところ愛したくなっちゃうよな(?)と改めてグッと来た。
『おさんぽTOKIO』の2番目のラップ部分で、綾斗さんが「大胆に行こうぜ」的なことを仰り、ステージ前方のスピーカー?(見えなかった)の上に乗って歌っていたのがかっこよかった。

そう言えば、小原綾斗とフランチャイズオーナー(以下、FCO)のライブでは、Tempalayの『good time』を歌ってくれる。私がはじめてFCOを観たIMAIKE GO NOWでも歌っていたような。
FCOの活動はとにかく楽しまれている印象が強いが(Tempalayが楽しくなさそうという意味ではなく)、どうしてTempalay名義の『good time』だけFCOのライブで歌ってくれるのか気になる。
この日は歌詞の「針が止まっている」の「針」の歌い方がとても良かった。
全く関係ないが、吉田篤弘先生の『針がとぶ』という短編集がすごく良い。長崎の弾き語りライブへ行ったときに本屋さんで買った。『パスパルトゥ』という物語に好きなセリフがあって。

「どんなに小さな土地でも、人はそこに垂直に建物を建ててしまうのよ」
彼女の声はいつも穏やかで、それでいてとても強く潔い感じがあった。
「どんどん水平線がなくなってゆく。切り立った崖のようなビルばかりになって。だから、ときどき海辺に立つと、懐かしいような、もどかしいような思いになる」

吉田篤弘『針がとぶ』117頁

愛知の日記に「なつかしさ」についてつらつらと書いたが、懐かしいような、もどかしいような思いって表現は、私が綾斗さんの曲から得る感情に似ている。海辺なのも良い。
『千と千尋の神隠し』の『いのちの名前』の「叫びたいほど なつかしい」って歌詞と同じくらい心臓がぎゅっとなるし、「分かる!」ってなる。
なぜだか理由が分からないのに、たまらなくなつかしい。はっきりとは分からなくてひどくもどかしい。言葉にならない言葉を「わーっ」って叫び出したくなる。
『おかしな気持ち』はこれに近いような。お願いだから死後の世界にもこの曲を持っていかせてくれ!

東京公演のMC、振り返ってもすごく良かったな。
会場限定CDが売り切れた話をしたときだったか、綾斗さんが「皆さん家にCDプレイヤーとかないでしょうから、YouTubeに上がった曲だけ聞いて来たんでしょう。だから今日やってる曲は殆ど知らない曲だと思う。それはないか。でも、これからもこの(配信せずにCDを売るような)生の感じでやってゆく」みたいなことを仰っていた。
大阪の日記にインターネットが当たり前の時代に、価値ある体験を提供してくれるところが好きだ!と書いたが、これからもそういう感じで活動してくれるんだということと、まだまだ「これから」があるんだっていうのが分かって、全MCの中で一番うれしかった。

確か最後の方で綾斗さんに「全然喋ってないし何かある?大きい声でも出しなよ」と話を振られた成順さんが、「すっっっごい楽しかった。またやりたい!綾斗頼んだよ!」って言ってたのが本当に本当に本当に良かった。
終わっちゃったのさみしいけれど、次があると思って楽しみに待ってる!

❣️