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Kroi Live Tour “Dig the Deep” Vol.4 w/Tempalayの日記

8月16日以来となるKroiとTempalayのライブに行ってきた。
今まではライブで観たこと聴いたことの全てを忘れたくなくて日記を書いたり、旧・Twitterにツイートしたりしていたが、最近その考えが変わって来た。
無理に覚えようとするよりは、心に残ったものに目を向けてみたいというか……。忘れる前に焦って文字にするのは、大切にしたいことと少し違う気がしている。
しかしそうなると、非常に忘れっぽい私に書けるものがあるか不安になる!今回は何もメモしていないし、数日経ってから書き始めている。うまく文章にできるか分からないが、とりあえずしてみむとてするなり。

今回行ったライブ

・11/3(金) Kroi Live Tour “Dig the Deep” Vol.4 w/Tempalay@Zepp Fukuoka(福岡)

遠征するか問題

10月は心身の不調が悪化し、この日のライブに行くのはやめようと考えていた。東京のライブならまだしも、福岡は遠すぎる。
予約した飛行機(LCC)をキャンセルしようとしたところ、現金による払い戻しができない!高くてもキャンセル料を支払えば可能かと思っていた……。
ライブのある日は祝日(文化の日)で、LCCとはいえ高かった。打算的な考え方で顰蹙を買いそうだが、さすがに行かなきゃもったいないと思って行くことにした。これが10月半ばくらいの出来事。

その後、日記を書いたり、本を読んだりすることで少しずつ頭の中のもやもやが整理されて10月末には「行こう」と思えた。
行動だけ見るといつもの遠征と変わらないのに、心の動きが違いすぎる。人間を生きるのは難しい!

ライブ前の日記

福岡空港に到着し、まずはお昼ごはんを食べた。

豚そば 月や

どこも混んでいたため、すぐに入れるお店を選んだ。
豚骨ラーメンは胃もたれしそうで苦手意識があったけれど、写真の「クリア豚骨ラーメン」は油っこくなくておいしかった!

続いて、福岡アジア美術館へ向かった。

福岡アジア美術館

文化の日で、ベストコレクション展を無料で観覧することができた。ありがとうございます。

ファン・リジュン『シリーズ2 No.3』

入口に展示されている、ファン・リジュンの『シリーズ2 No.3』がすごく良かった。ジョージ・オーウェルの『一九八四年』や、オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』といったディストピア作品が好きな私に刺さる。
不敵な笑みを浮かべる男が幾人も並ぶ姿は、「こうあるべき」という画一化した姿・思想を押し付ける社会を風刺しているようで良い。
ディストピア作品は好きでも、もちろんそんな社会に生きたくはない。だからこの絵は現実になってはいけないのだ。
同じ男がたくさん描かれているという点で、石田徹也さんの作品を思い出した。

イー・ブル『さなぎ』

最近、本を読んでいると「身体」にまつわる話が目に留まる。
イー・ブルの『さなぎ』は、生物の身体から色んなパーツを取ってきて組み合わせたような作品で面白かった。実際にこの身体を持つ生命体がいたらゾッとしてしまうだろうが、白一色だからかグロテスクに感じない。
作品に儚げな印象を覚えるのは何故なのだろう。すごく良かった。

美術館へ行くと、実物に触れることの大切さが分かるような気がする。「この絵、こんなに大きかったの!?」みたいな衝撃だけでもすごく良い(ミュシャのスラヴ叙事詩を観たときの記憶は「大きい」で埋まっている)。

MUSEUM CAFE by IENA COFFEE

絵を観た後、カフェで休憩した。アートや旅に関する本がたくさんあり、文化の日を満喫できた。
行きの飛行機で松岡正剛・津田一郎『初めて語られた科学と生命と言語の秘密』を読み終わってしまったので、ミュージアムショップで渡辺弥生『感情の正体』を買った。

その後、少し早めに会場へ向かった。

福岡PayPayドーム

会場のZepp Fukuokaの近くに福岡PayPayドームがあった。野球中継でしか見たことがなかったのでうれしい。いつか中に入ってみたい。
ライブ会場周辺には、球場だけでなく商業施設や公園があったので、暇つぶしには困らなかった。

ライブの日記

出演順は、Tempalay→Kroi。
対バンに行ったことがあまりないため、Tempalayの出演時間は40分程度かと思っていたら、たっぷり1時間くらい演奏してくれた気がする。
『JOE』のイントロと共に幕が開く。夏の「ドォォォン!!」ツアーを思い出す始まりだった。
全て正確に覚えていないけれど、『JOE』以外に『シンゴ』『Booorn!!』『どうしよう』『ああ迷路』『深海より』『カンガルーも考えている』『大東京万博』『のめりこめ、震えろ。』『GHOST WORLD』『そなちね』は演奏した気がする(思ったより覚えていた)。
こんなにたくさんの曲を聴けると思っていなかったので、後半は「まだ終わらない!」といううれしい驚きの連続だった。

10月の日記を書いたときと同じく、ライブを観ている自分を見ているかのようなメタ視点の感情(?)が拭えなかった。誰かこの感じを説明してくれ!
「我を忘れる」ってネガティブな表現だと思うけれど、私は我を忘れてライブに没入したかった。私は「私」が邪魔すぎた。
猫をかわいいと思うとき「私は『猫がかわいい』と、思った」とは感じていないはずなのに、ライブを観るとき感情と知覚の間(?)に薄い膜がかかってしまうのは何故なのだろう。年を取るにつれて集中力がなくなるから?困る。
でも、ライブ中に何度か「あ、今『私』のことを考えていなかった」と思ったので、「私」を忘れられた時間もあった。全部が全部メタ視点ではなかったから安心した。

数年前から「忘却」に興味があるのと、最近「身体」に関する記述に目が留まるのと、不健康な身体のせいで、ますます『深海より』が良いなと思った(どういうこと)。
先月からのんびり読んでいる戸井田道三先生の『忘れの構造』が面白い。

ふつう痛くなければ、自分のどの歯がわるいとか欠けているとかいうことはわからない。意識していないのである。痛くなってはじめて歯が痛いと、歯の存在を意識する。

戸井田道三『戸井田道三の本 1 こころ』234頁

歯痛だけでなく、健康ってそういうものだよなと思う。身体のどこかが悪くなってはじめて、身体の存在を意識する。健康とは、健康を忘れていることだ。
『深海より』には、興味のある概念(深海・身体・記憶・忘却)が詰め込まれている。『from JAPAN 2』を聞き始めた頃は、そこまで印象に残らなかったけれど、聞けば聞くほど好きになって、読めば読むほど良い歌詞だと思うようになった。

戸井田先生の「置き忘れる眼鏡」というエッセイも面白い。書斎のどこに机があって、寝室のどこに電気スタンドがあるかは分かるのに、眼鏡はどこに置いたか忘れてしまう。何故なのか?という考察が非常に面白かった。
視力が悪い人は、眼鏡をかけなければ目が目としての機能を果たしてくれない。眼鏡は取り外し自由だから、身体の一部としての目とは違う。眼鏡は身体の一部ではないという意味で机や電気スタンドに似ているが、目の一部としてはそれらの物(机や電気スタンド)と本質的に異なっている。
身体の一部である目玉を机の上に置き忘れることはないから、目の付属品である眼鏡を、ついつい目玉のように扱って心配せずに机の上に置き忘れてしまうのだ。

眼鏡をかけているのに、眼鏡を探してしまうことが年に数回ある(戸井田先生はないらしい)。眼鏡の存在を忘れて眼鏡をかけているとき、それは完全に私の身体の一部なのだと思う。
もし自分にとっての眼鏡が机や電気スタンドと同じような物だとしたら、眼鏡をかけていても非常に鬱陶しく感じるはずだ。
眼鏡をどこに置いたか忘れて30分も部屋を探し回るのは困ってしまうかもしれないけれど、必ずしも忘れることは悪いことではないのだと思う。

『深海より』を読むと、綾斗さんは忘れることを悪く捉えていないのだろうなと感じる。

新たな身体はしごく丈夫で
これまでの暮らしのことなど覚えていない

深海をすり抜けた僕ら 息をしている感動
泳ぎ方を忘れたのは順応してきた証拠

Tempalay『深海より』

泳ぎ方を忘れた身体って、泳ぐことを意識している身体とは違う気がする。今、自転車に乗れる私は、自転車に乗れなかった頃の身体感覚を覚えていない。何かに順応するとき、きっと別の何かを忘れているのだ。

ずっと『深海より』と今までに読んだ本の話を続けそうなので、覚えているMCの話を書いておく。いつも以上にうろ覚えなので、雰囲気だけでも残せれば。

Kroiが『アンダーニンジャ』のオープニングテーマを担当したことについて、綾斗さんが悔しそうにされていた。1話の放送日に深夜まで起きて『Hyper』を聞いたと仰っていた。そして「Kroiで良かった」と。
一方、怜央さんは『アンダーニンジャ』のOPを担当することが決まってから、Tempalayの『アンダーニンジャ』をテーマにした曲(『とん』)を知ったと仰っていた。綾斗さんが『Hyper』が良かったと話していて、安心されているようだった。
アニメの絵がジャケットのサンプルCDを渡すか、そうじゃない方を渡すか、楽屋で話したという怜央さんのMCに「くーっ!」となった。
夏のライブ以上に、お互いのことを尊敬している感じが伝わってきた。長谷部さんは高校生のとき、LINE MUSICをTempalayの『TIME MACHINE』に設定していたらしい!

そんなKroiのライブは、1曲目から『Hyper』ですごく盛り上がった。テンポの速い曲が多いことも関係あるかもしれないけれど、最後の曲まであっという間に感じた。
アンコールで再登場したときの怜央さんのMCも良かった。この日がツアー初日だったので「きちんとやらなきゃ」と少し緊張していたけれど、アンコールは間違えても良いのでとにかく楽しみますというニュアンスの話だった気がする。そういう区切りは大事だなと思う。

文字にしてみたら、はじめに憂慮していたより覚えていた。2組とも良いライブだった。

堅あげポテト 九州しょうゆ味

そういえば、ホテルに戻ってから食べた堅あげポテトの九州しょうゆ味がおいしすぎたので宣伝したい。ライブで消費したカロリーはプラマイゼロになってしまったな。

11月4日の日記

朝ごはん

ライブ翌日の11月4日は、朝ごはんを食べすぎた。バイキング形式だと、ついついお皿に載せすぎてしまう。子どもの頃から何度同じ過ちを繰り返すのか(全部食べました)。

部屋で休んだ後、福岡空港へ向かった。

展望デッキ

気になっていた展望デッキへ向かう。数分おきに飛行機が離陸したり着陸したり、毎日こんなに飛行機は飛んでいるのか……と、感動した。
自分の身体の何倍もある機体を操縦するパイロットの身体感覚ってどうなっているのだろう。車の運転すらできない私にとっては未知の世界だ。

展望デッキの椅子

4階の展望デッキには座る場所があり、子どもを遊ばせたり、ご飯を食べたり色んな過ごし方をしている人がいた。私はミュージアムショップで買った本を読みながら過ごした。

飛行機に乗る前、5月のCIRCLEでご一緒させていただいたやっこさんとお子さんにお会いした。お子さんとは5月のフェスでしか会ったことがないのに、また会いたいと言ってくれたそうで……。
うれしく思うと共に、また会いたいと思ってもらえるようなことをした覚えがなかったので、再び楽しい時間を過ごしてもらえるのか少々不安だった。

空港の駐車場の列に並んだ時点でDMをいただき、先にお子さんと会うことにした。お子さんが私を見付けてくれて、無事に合流することができた。5月から半年くらい経っているのに覚えていてくれてうれしい。

以前、綾斗さんが芸人さんを尊敬しているというお話を聞いたか読んだ。どういう点を尊敬されているかは忘れてしまったけれど、マイク一本で勝負するのって本当にすごいなと思う。声が届くならマイクすら要らない!丸腰で立ち向かう感じがかっこいい。
「ごはんを食べるために会う」とか「ライブに行くために会う」なら目的があるから安心できるが、ただ「会う」ってどうすれば良いんだっけ?となる。芸人さんのように話術があるわけでもないし(比較対象がおかしい)、丸腰の自分で向き合うのが不安だったので、事前にDMで動物園などで会うのはどうか提案していた。
結局どこかへ行くのはやめて空港で会うことにしたのだけれど、最初に心配していたのが何だったのかというくらい楽しく過ごすことができた。
そもそも「楽しい時間を過ごしてもらえるのか」という考えが驕っていたような気がした。

相変わらず「ありのまま」や「自分らしさ」は何なのかよく分からない。でも、会う目的のために会ってくださったことは何も武器を持たないありのままの私が受け容れられた感じがして、ヒントが得られたような気がした。

お菓子

私の予定に合わせて空港に来ていただいただけでもありがたいのに(本当にありがとうございます)、お菓子もたくさんいただいてしまった!
ニャオハのピュレグミは、自分でも買おうと思っていたのでうれしい。

福岡市科学館のお土産

月と木星のマグネットも!やはり宇宙は良い。最近SF小説や宇宙の本を読めていないので本屋さんへ行きたい。

31アイスクリームのシール

ライブのMCで、AAAMYYYちゃんがKroiのメンバーと31アイスクリームを食べに行ったお話をされていた(ライブナタリーの時にもお話していた)。綾斗さんは、31アイスクリームを一緒に食べるのは友だちでしょうと仰っていた気がする。
そんなタイムリーな31アイスクリームのシールもいただいた。かわいすぎて使うのがもったいない。
更にお手紙まで書いてきてくれて!必ずやお返事を書きます。

私は人からもらうことが多くて(物だけでなく)、いつか与えられるような人になりたいなあと思う。でも与えようって意識すると空回りしそうだし、いと烏滸がまし人間になりそうなので難しい。
それに昨日も今日も心の中でブチ切れていたので(原因:労働)、まずは寛容さを身に付けるところからかな……。

かわいい!