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1月の日記・焦燥

※自作ぬいの写真が含まれる。

昨年10月より、月のまとめ日記を書いている。10月の日記と記憶を書き綴る意味で「10月の日記・記憶」というタイトルにした。
しかしどうせなら「記憶」の部分をその月を表す二文字の言葉にしようと思い、11月は灰色、12月は減少としてみた(当初は「11月の日記・記憶」「12月の日記・記憶」とタイトル付けしてゆくつもりだった)。
私の語彙力が枯渇するまでこの方式で行こうと思う。

1月は「焦燥」で、これは中旬くらいに決定していた。
焦燥とは、いらいらすること。あせること。焦っていらいらしたり、焦って失敗する人を見て良くないなあと思ったり、そう思っていたら自分が焦って失敗したり。そんな日が多くてこのタイトルにした。振り返ってみよう。

まず、仕事上でトラブルを起こした人がいた。どうやら「時間内に終えなきゃいけない」とか、「もっと早くやらなきゃいけない」といった焦りが原因らしい。
本当に切羽詰まった状態だったのか、それとも本人の思い込みによるのかは分からないが、傍から見ていて、やはり焦ると良い結果を生まないなと思った。

次に、昨年から病名のない病気(仮)になってしまい、身体面の生きづらさが増した。そして病気(仮)のせいで、今まで以上に焦ることが苦手になった。焦ると体調が悪くなる(ざっくりとした説明)。
だから歩くスピードを少し遅くしてみた。10代の頃からギリギリが苦手だったので元から時間や締切には余裕を持つようにしていたが、更に意識するようになった。

肉体が焦燥を拒むと、精神面においてもゆとりを求めるようになってくる。
今月、Tempalayの『今世紀最大の夢』がリリースされた。早く聴いて早く感想を書きたい気持ちもあったが(すぐ忘れるし)、焦って好きなものに触れたくなくて、少し落ち着いてから聴くようにした。

いつも焦らないように意識できていたかというとそんなことはなく、失敗した日もあった。

着物(ぬい服) 1着目

今月、着物(ぬい服)を作った。はじめてにしてはうまく作ることができ、その勢いのまま2着目を作った。

着物(ぬい服) 2着目

分かりにくいと思うが、1着目より丈が短いし何かおかしい。
着物のポケットのような部分を「袂」と呼ぶそうだ。1着目にはきちんと袂があるのに、2着目には袂がない!教科書の手順を見直すと、最後から2番目に縫う場所を間違えていた。
このときの気持ちを覚えている。「あと2ステップで完成する。早く縫って着せてみたい!」。
時間に追われていたわけではないが、最後の最後で焦って間違えてしまった。
焦燥というよりは、トイレを目前にして漏らしてしまう子どものような油断と言えるかもしれない(もっと別の例えはなかったのか)。
二度と同じ失敗は繰り返さないだろうが悔しい!

年始の「今年やりたい10のこと」に「資格試験の受験」を挙げて、今月から本格的に勉強を開始した。
試験を受けるとなると本を読む時間が減るし、楽しいことに没頭できないし、勉強が大好きなわけではないから苦しいしで気持ちが沈む。
じゃあなんで受けるの!って、試験によっては会社から手当をもらえたり、単純に知識を身に付けたい場合もあったりするけれど、小学校から大学まで不登校や休学を経験したからか、劣等意識が強くてそれを克服するために試験勉強してるんじゃないかって気がしてきた。
学校に行っていない→教養がない→勉強して挽回しなければならないという今更感満載の焦り。

いつまで経っても学校へ行かなかった自分を許せていないというか、認められていないというか。
私と同じ境遇にある人に対して「義務教育を受けていないので教養がない。劣っている」とか「学校に行っていないなんて欠落している」とか思わない。でも自分に対しては思う。別に数学や日本史の試験を受けているわけではないが。
おそらく多くの人にとって人生で一番大切かもしれない時期を10年以上無駄にした思いが拭えなくて、どこかで常に焦っている気がする。知識不足。経験不足。欠落。欠如。欠陥。今更焦っても意味がないのに。

頭で分かっていても心が分かってくれないから、ずっと歩調が合わなくて転んでばかり。どうしたら自分のことを認めて好きになれるのだろう。好きになれなくても良いから、嫌いすぎる状態を脱したい。ニュートラルでいさせて。書いていて辛くなってきた。涙。
日に日に肉体は衰えてゆくのに、精神が14歳くらいで止まっている。否、3歳か。実年齢と精神年齢は離れてゆくばかりで、焦燥感から逃れられない。実年齢と精神年齢が離れてたって良いのにね。

ここ数年間で10個くらい資格を取った気がするが、そんな行為で学校に行かなかった自分を認められやしないことに気付いた方が良い。
焦りたくない。14歳なら14歳のままの自分を認めたい。

深海生物 チョコレート

深海生物って、ゆっくり動いてそうなイメージがある。実際はどうだか知らないが、シーラカンスとかもはや顔がゆっくりしている(?)。
生まれてから今までずっと浅瀬でバシャバシャともがいている。もっと深く潜れたら、ゆったり泳げるようになるのかな。潜ってしまえば陸の喧騒は気にならなくなるのかな。

例えば「自分を好きになる3ステップ」という本があったとして、それを実践したとしても自分のことを好きになれるわけじゃない。
ハウツー本を否定しているわけではなく、その人にとって根本的なところ(それが何なのかは分からない)を解決しないと、謎の焦りだったり不安感からは逃れられない気がするのだ。
もっと深いところまで潜らなければ。一人じゃ心もとないので本を片手に。

1月に読んだ本

京極夏彦『邪魅の雫』
京極夏彦『鵼の碑』
楠谷佑『案山子の村の殺人』
青崎有吾『地雷グリコ』
泡坂妻夫『しあわせの書』
泡坂妻夫『生者と死者』
デイヴィッド・ウェリントン『妄想感染体(上)(下)』
ケン・リュウ『神々は繋がれてはいない』
綾辻行人『十角館の殺人』
藤白圭・キギノビル『異形見聞録』

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