見出し画像

Margt ISLAND 23の日記

記念すべき一回目の「Margt ISLAND 23」に行くことができた。うれしい。そして初開催おめでとうございます。最初から通しで参加することはできなかったが、思い出を記録したいと思う。

今回行ったライブ

・11/25(土) Margt ISLAND 23@Spotify O-EAST(東京)

ライブ会場の写真

会場のSpotify O-EASTは、10月13日にBREIMENのライブで行ったばかりだ。

階段

チケットを提示して階段を上り始めると、既にいつもと違う景色が広がっていた。

踊り場

階段を上りきった踊り場にも複数台のテレビが置いてあった。
昔ながらの丸っこいテレビ、なんだかなつかしい。今の薄型テレビだったら、こんな風に重ねられない。敢えて「薄型」と付けずとも「テレビ」と聞いて多くの人が想像するのは、もう薄型テレビなのかな。

入口と出口

入口は、動物(ネコ科に見える)の顔を模していた。
当日、13時から再入場が可能だった。再入場時は手の甲に押されたスタンプを見せるだけで良く、フェスのようなリストバンドはなかった。

物販&飲食店

会場へ入ると、物販と飲食店があった。私が会場へ着いたときには既にステッカーが売り切れていた。残念!
飲食店はあるものの食べる場所は用意されていなかったので、立って食べるか、どこかにしゃがんで食べるしかなかったと思われる。私が気付いていないだけかも。
ライブ会場2階に少しだけ椅子席があるので、ライブを観ながら食べるのもありだったのか?とはいえ、座席数が限られているし、立ち食いが現実的かもしれない。

物販と飲食店の間を抜けると、CATステージへ続く階段がある。メインのDOGステージの2階から、CATステージへ行くこともできた。

CATステージ

CATステージはかなり狭かった。目当てのアーティストがいる場合、少し早めに移動しておいた方が良い。「歌だけ聞こえれば良い!」という人は、階段の途中に立って聴くこともできる。
来年の自分に向けて「こうしておいた方が良いよ!」と書いてみたが、綾斗さんがMCで「来年は野外でやるらしいですよ」と仰っていたので、今回限りのTIPSかもしれない。

DOGステージ

写真は、荘子itさん・TaiTanさん・VJ:神戸さん(mesoism)のステージ。
Spotify O-EASTのステージをこんなに広く感じたのはじめてかもしれない。スクリーンを最大限に活かすためか、CATステージのような装飾物は一切なかった。
「すごいところに来たのかもしれない」と思った。

家を出るまで

会場には13時過ぎに到着した。本当は開場時刻の11時に行くつもりだったが、朝起きられなかったのだ。いや、目は覚めたものの、なかなか布団から出られなかった。

夏休みの宿題のように終わりが見える課題ってある意味楽だと思う。宿題が100あるとしたら、100がんばれば良い。今日は10がんばった。あと90がんばれば終わる(ここでは説明を簡略化するため、処理能力の差は問題にしない)。
生きることや、働くこと、人付き合いや子育ては、「100までがんばったら終わる」という明確な終わりがない。だからどこまでがんばったら良いか分からない。

例えば仕事だったら、がんばればがんばるほど業務量や責任や面倒な人間関係が増えてゆく。がんばるのに際限がなくて嫌になる。
私は働くために生きていない。給料という対価をもらっている分、ある程度人生が犠牲になるのは分かる。苦労することが必ずしも悪いことじゃないっていうのも分かるけれど、苦痛を感じてまで苦労しなきゃいけないのか?それとも苦労に苦痛は付き物なのか?

あまり詳しく書けないがそんな感じで思考が渦巻き、25日の朝は布団から出ようにも胸のあたりがざわざわして起き上がれなかった。
でも14時からのAAAMYYYちゃんのステージは絶対に観たかったので、なんとかAAAMYYYちゃんパワーで家を出た。

AAAMYYYちゃん

UCARYさんのステージ中に階段の列に並び、AAAMYYYちゃんが視界に入る位置でライブを観ることができた。
ライブ前日の24日は北海道でTENDREのツアーに出ていたし、各地で引っ張りだこのAAAMYYYちゃん……この日はTempalayだけでなく、saccharinと荘子itさんのステージにも出ていた。私が見ていないだけで、他にも出ていたのかな?
どこかのMCで「半分くらい歌詞が飛んじゃった!」と仰っていたが、「どうか休んでおくれ……」という気持ちになった。この日は5時に起きて9時頃羽田空港に到着したと仰っていた気がする。
サウンドチェックのとき鼻をすすっていた気がしたのだけれど、風邪じゃないと良いな。私の勘違いだと良いな。

ライブでは『あの笑み feat. ano』や、『TAKES TIME』などを聴くことができた。
AAAMYYYちゃんを好きになったのがどんなきっかけだったか思い出せないけれど、何かのインタビューを読んだときに「私と同じ世界に住む人だ!」って感じた記憶がある。当たり前すぎるくらい当たり前のことにハッとすること、たまにある。
おそらくそこからAAAMYYYちゃんに興味を持って、曲を聴いたり、ライブへ行ったりするようになった気がする。

当時読んだのはこのインタビューではないけれど、『あの笑み』リリース時のあのちゃんとの対談も良くて。

AAAMYYY 去年、人間関係のイザコザがあって。私は、歌詞で内省して自己完結するタイプなので、思いの丈を詞にぶつけてしまいがちというか。だから、あのちゃんとの曲にそれを入れて申し訳ないなと思いつつ。ただ、あのちゃんがSNSとかで発信するものがすごく好きで、読んでる本だったり、好きな映画だったりに、めちゃくちゃ同意するというか。自分とすごく近しいものを感じて、身勝手なんですけど、自分の気持ちを投影させてもらいました。

あの わかります。ぼくもわりと、本心を言うのがすごく苦手で誤解されやすいところがあって。ただ、どんどん、同調圧力の強い世の中になってきて、それに対して、つぶされないように、わかってもらえなくても自分の意志はちゃんと守ろう、というのはいつも思っていることで。だから、AAAMYYYちゃんの詞を見たときに、ああ、わかる、似てるなって。ホント、二人だけの宇宙をイメージしちゃったというか。結構、空飛びました(笑)。

AAAMYYY×あの。相思相愛の二人が、共に歌い上げるハードコアソング「あの笑み」のこと

あのちゃんの返しも良いからまるっと引用した。
AAAMYYYちゃんにも人間関係のイザコザがあるんだなとか、「思いの丈を詞にぶつけてしまいがち」ということは「異常なこの世はディストピア」だって感じることもあるんだなとか。

世界は広いから、それこそ異世界に住んでいるのでは?と思うくらい関わらない人もたくさんいる。自分と異なるから興味が湧かないとか、好きにならないわけではないけれど、AAAMYYYちゃんに関してはご自身の内面について話している記事を読んで「私もそう思ったことある」って共通点を感じてから更に好きになったような気がする。

MCでAAAMYYYちゃんが1月にご出産されたことをお話された。その話の流れだったと思うが「この曲を聞いたら泣けちゃって」と仰って、MONJOEさんと一緒に歌ったのが『DAYZ』だった。
引用したインタビューに「歌詞で内省して自己完結するタイプ」と書いてあったので、『DAYZ』には当時のAAAMYYYちゃんの色んな思いが詰まっているのではないかと思う。
過去に自分がつくった曲を聞いて泣けるって、すごく素敵だなと思ったら泣けてしまった。AAAMYYYちゃんが『DAYZ』を聴いてどんな思いになったかはお話されなかったし分からないけれど、過去の自分が未来の自分に影響を及ぼすことにすごく感動した。

去年から日記を書き始めて、意味があると思えたり、反対に何のためにやってるんだって思ったりする。この前自分のnoteのトップページを開いたら思ったより投稿していて、足跡みたいに感じられた。
今の私はそれらを読み返すわけでもないけれど、いつか何か思ったりするのかなあなんて想像した。

saccharin

AAAMYYYちゃんのライブの後、DOGステージに移動してsaccharinのライブを観た。
リハ中、ステージに立つ人の殆どが黒っぽい服を着ていたので、AAAMYYYちゃんが「私だけ白くて大丈夫かな」っておろおろしていたり、ベースの熊代崇人さんにぺこって挨拶していたりかわいかった。

saccharinのステージのVJは山田遼志さんだった。手描きのアニメーションだけでなく、酒場や歓楽街の映像(3D?)もあった。
AAAMYYYちゃんのライブを観て泣いたばかりなのに、『Taion』を聴いてまた泣いた(泣きすぎ)。スクリーンの映像も良かった。
saccharinの曲はどんな人でもまるっと受け止めてくれる包容力を感じられる。
酒場族でしか酒場に行ったことがないレベルなので想像しかできないけれど、きっと酒場には色んな人がお客さんとして訪れるのだと思う。
だからsaccharinの曲というか大樹さん自身に、まずは何も言わずに受け止めてくれる安心感を覚えるのかなあと思った。とりあえずお店に入れてくれる感じ。一見さんお断りしない感じ。

saccharinのライブの後、会場の外に出て少し休んだ。休憩中に鷲田清一先生の『「待つ」ということ』を読んだ。
本書の66頁から「聴くことのむずかしさ」について書かれている。カウンセリングにおいて何よりも肝要だとされているのは、「相手の言葉をなんの留保もなしに受けとること、まちがっていると思っても反論せずにいったんは言葉をそれとして受けとめること」らしい。言葉を迎えにゆくのではなく、言葉が不意にしたたり落ちるのをひたすら待つこと。

言葉を迎えにゆくのは「聴く」ことの最悪のかたちだという。「語る」とは、自らに距離をとることだ。しかし苦しみは最も語りにくいものである。言葉にしようにも、「こんな言葉では伝わらない」、「こんな軽い言葉ではとうてい言い尽くせない」と、断片的に、言葉の感触を一つ一つ確かめながらしか語り出せない。
聴く人はその訥々とした語りを聴かなければ、待たなければならない。耐えきれずに「あなたが言いたいのは、こういうことではないか?」と言ってしまう。語り手は、ついその滑らかな「物語」に飛びついてしまう。でも、それは何の解決にもならない。

語る、つまりはじぶんを鬱ぎから解き放つそのプロセスが、そのことで省略されるからだ。そのときはすかっとした気になるが、問題の解決は先送りされたにすぎない。語る者がみずからの鬱ぎから距離をとるそのチャンスが、聴く者によって横取りされたのである。

鷲田清一先『「待つ」ということ』71頁

この話を読んで、聴くことの重要性は自分対自分の会話にも言えるのではないかと思った。
ずっとモヤモヤを抱えておくのってしんどい。モヤモヤの正体についてそれっぽい答えが提示されると飛び付きたくなる。「私の悩みはこれだったんだ!」って、一時的に分かったようなつもりになる。でもしばらく経つと、またモヤモヤが生まれる。
自分の声に、辛抱強く聴き耳を立ててあげることが大事なのではないかと思う。
子どもの頃、カウンセリングに通っていたが何も効果を感じなかった。うまいカウンセラーは、クライアントに聞こえない声を聴くお手伝いをしてくれるのかもしれない。私のカウンセラーは下手だったのだろう(素人判断良くない)。

どんな文章も言葉にするまでの過程は表れない。私の稚拙な文章でさえ、投稿するまでに書いては消して、書いては消してを繰り返している。
「言いたいことをうまく言葉にできない」と試行錯誤しながら言語化を試みるその行為が、耳を澄ますことに繋がっていると良いのだけれど。
『「待つ」ということ』は休憩時間に読み終わらなかったので、余暇に読み進めようと思う。

Tempalay

会場に戻り、Tempalayのライブに備えた。Margtによる映像の全体を視界に収めたかったので、少し後ろの場所を選んだ。
サウンドチェックが終わると一度幕が閉まり、ジングルがかかった後『JOE』で開演した。幕が開く演出してくれるのありがたい。「ドォォォン!!」ツアーで、『JOE』+開幕=最高の公式を発見してしまったので……。
Margtの映像演出が入るのは、夏のライブナタリー以来だろうか?未だに続・ゴーストツアーの映像を思い出すくらい大好きなので、再びTempalayの曲を聴きながらMargtの映像を観られる幸せに震えた。

公式アカウントさんが載せてくれたこの日のセットリストが以下の8曲。綾斗さんがMCで仰っていたが、Margtが考えたらしい!

01.JOE
02.SONIC WAVE
03.my name is GREENMAN
04.どうしよう
05.あびばのんのん
06.LOVE MY CAR
07.革命
08.Last Dance

『あびばのんのん』まで、私の記憶はあったはずだ。スクリーンに『LOVE MY CAR』のMVが表示された瞬間、その驚きで記憶が飛んでしまった。しかも続けて『革命』、『Last Dance』とは……。

今年の4月、「ドォォォン!!」ツアーで聴きたい曲をリクエストできる企画があった(選曲に悩んでいる日記)。1曲ずつ吟味して投票した10曲に『LOVE MY CAR』と『革命』と『Last Dance』を入れたので、思いもよらず願いが叶って本当に本当にうれしかった。
しかし驚きが大きすぎて、「わーっ」と思っているうちにライブが終わってしまった。

『LOVE MY CAR』の「きっとこの感情もいつか忘れてしまう」という歌詞が好きすぎて。
何度か書いたが、死ぬまでに読みたい本を全て読めないまま死ぬことを既に後悔している。後悔って「自分のしてしまったことを、あとになって失敗であったとくやむこと」だから、まだ起きていないことに対して後悔しているのはおかしい。でも絶対に叶うわけがないので、既に後悔している(後悔という表現がおかしい説はある)。
「動詞+てしまう」は、残念な気持ちや後悔の気持ちを表す。「この感情」を忘れてしまう前から「忘れてしまう」って残念に思う気持ちが非常に美しいと思う。きっと自分は忘れてしまうだろうという、諦めの感情が美しい。
『LOVE MY CAR』には歌詞の一人称の他にもう一人いるが、一人称がそのもう一人に対して「自分と同じように思ってないんだろうな」って感じるところまで想像(妄想?)しちゃう。
歌詞に「真っ白」「青」「赤」「黄」「緑」って色が散りばめられているのも良くて、記憶の彩りを感じられる。

現在から「未来の私は(過去を振り返り)こう思うだろう」って想像できる人、たぶん好きなんだよね。太宰治の『女生徒』の影響なのかな。

おみおつけの温まるまで、台所口に腰掛けて、前の雑木林を、ぼんやり見ていた。そしたら、昔にも、これから先にも、こうやって、台所の口に腰かけて、このとおりの姿勢でもって、しかもそっくり同じことを考えながら前の雑木林を見ていた、見ている、ような気がして、過去、現在、未来、それが一瞬間のうちに感じられるような、変な気持がした。

太宰治『女生徒』22頁

小原綾斗とフランチャイズオーナーの東京公演の日記に、星野道夫さんの文章が好きって書いた。具体的な理由は自分でもよく分かっていないが、遠くを見詰める眼差しみたいなものを感じられるから好きなのだと思う。その眼差しは未来に限ったものではなく、過去にも向けられている気がする。
ここではないどこかへ向けた眼差しを持つ人、良い。ちょっと諦めてるから、優しくてさみしい目をしている。星野さんがそうって言いたいのではないのだけれど、なんて言うんだろう………まだ私の中であまり考えられていないや。

『革命』も聴けて本当にうれしかった。「どんな気がする?誰にも知られないことは」という歌詞がすごく良い。
普段、Tempalayとピアノの曲と環境音楽くらいしか聴かないため調べるまで知らなかったのだけれど、ボブ・ディランのアルバム『追憶のハイウェイ61』に収録されている『Like a Rolling Stone』に"How does it feel?"という歌詞があるのね。
曲のWikipediaまであって「ディラン最大のヒット・シングルであるだけでなく、60年代のロック変革期を象徴する曲」と書いてあった。そんなに有名なのか。本当に知らなさすぎる。

曲を聴いてイメージが浮かんでくるのって、どういう作用なのだろう。『革命』は、物にあふれた狭い部屋でTV(薄型ではない)をじっと見詰める子どもの後ろ姿が思い浮かぶ。部屋には二段ベッドがあってほしい。
はじめて音楽に感動したときの衝撃……衝撃っていうのは、神聖かまってちゃんの『ロックンロールは鳴り止まないっ』みたいに「MD取っても、イヤホン取っても なんでだ全然鳴り止まねぇっ」って勢いのある衝撃もあるだろうし、人知れず実感するような静かな衝撃もあると思う。
革命ってタイトルが付いているくらいだから、それまでの物事が根本的に覆るような大きな変革を想像する。その衝撃が最初の音に込められている気がしてすごく良い。
でも曲の始まりから想像できないところに着地するのも良くて。始まりから終わりまでの間に、子どもが大人になるくらいの時が経過している。

続・ゴーストツアーの映像で、一番忘れられないのが『Last Dance』だ。空間を通り抜けた先にある、荒廃した砂漠のような風景が良かった。
今回の映像は殆ど覚えていないのだけれど……色んな場面がパッパッと切り替わるシーンがあったように思う。
以前、『Last Dance』を聴くとスライド映写機で静止画が切り替わるようなイメージが浮かんでくるってツイートしたことがある、はずなのだが……自分のツイートが見付からない。
個人的に「スライド映写機」がポイントだったので、簡単に検索できると思ったのだけれど、出てこない……消しちゃったのかな(恥ずかしくなってよくやる)。

死ぬ間際に「人生が走馬灯のように駆け巡る」ってよく言うけれど、『Last Dance』における風景の断片は、走馬灯というより、写真が切り替わるようなイメージを受ける。
だから数々の場面が切り替わってゆくMargtの映像がすごく良かった。もし全然違ったらどうしよう。良いか。「良かった」って思えたのは確かなのだから。

来年のMargt Islandも楽しみだ。行ける日程だと良いなあ。そしてまたMargtがTempalayのセットリストを考えてくれると良いなあって、Tempalayが出る前提で妄想するのでした。出るでしょ!!!