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習うより食べろ。

母は料理が得意であった。
土井善晴氏の父上である土井勝氏の料理教室に祖母と通っていたそうだ。
貧しかったり急に富豪になったりしていたようなので、余裕のあった時のことなのだろう。

私と姉がアレルギー体質だったので低農薬野菜や自然食品の店で食材を買ったり、いまで言うスムージーのような大量のパセリとリンゴで作ったジュースを日々飲まされていた。すごくクサかった。
母は熱心におやつを手作りしたり、酵母のサプリメントを与えたりした。
過敏症はいまもあるが、そのおかげで少しでもましになったのかは判然としない。

思春期になると母が都会へ働きに行くことになって忙しくなり、コンビニパンやおにぎりなどの新しい世界の食べものを見た。

私は母の手料理は美味しいことを知っていたが、買ったものもそれなりに良いと思っていた。
なんでも自分で作ってしまう母の元で育ったので、永谷園の麻婆春雨やケンミンの焼きビーフン(関西人)の味はおとなになるまで知らなかった。すし太郎も。
自分がこどもを産んでシングルマザーになったので、惣菜のコロッケやキャベツがあればすぐできるみたいな便利な商品を利用するようになった。
冷凍食品も好みに合えば値打ちのあるものが多いとわかった。


母がぶち壊れてからは、いろんなオジサンといっしょに外食に出掛けて自分たちでは行かれないような店でめずらしいものを食べた。

高校生の頃は、お金と時間と自由があったので、いっしょに住んでいた好きな女の子とふたりでモスバーガーやサブウェイやタイ料理や駅前のお酒が出てくるようなレストランで洋食を食べたり、自宅で炒飯を作って食べたりした。

幼少期から、ハーブやスパイスやケッパーなどの味の強いものを日常的に食していたので、食べるものにあまり抵抗がない。
それらを食べて、どんな風に作るのか完全にではないものの想像ができるようになった。

凝った料理は食べたことがあるが作りたいとは思わない。
そこまでの情熱がない。

ただ、なんとなく美味しかった「はりはり鍋」を再現したくなって牛肉で作ってみたりとか、家にあるもので簡単にできるものを作る。

私はよく自分の料理は給食レベルと表している。
はじめた勤めた飲食店が国道沿いの定食屋だったので定食屋並みとも言う。

さまざまな美味しいものを食べさせてもらった。その記憶を元に誰でも知っているような家庭料理を作る。
決して欲張らない。美しくしない。凝らない。
だいたい、できないし。

お菓子も作らない。買ったほうが美味しいから。

地元の農家の野菜で作ったサンドイッチは美味しい。
そういうことで喜びたい。

私は料理教室には行っていない。
それよりも、さまざまな場所やシチュエーションでたくさん美味しいものを食べた経験が、いま料理を作るのに役立ったと思っている。

こどもたちは、手伝いたいと言ったので息子には3歳から包丁を持たせている。娘は4歳くらいから鍋の野菜を切っていた。
まだひとりで完全にはできないけれど、横で見ながら教えればおかずを作れるようになった。

娘には赤ん坊の頃、母乳以外のはじめての味として、鰹と昆布の出汁を与えた。そういう記憶も大事かと思う。味に敏感で小さな違いに気づける舌になった。
息子には母乳の次にイオン水を与えてしまい少々後悔している。味に関しては感覚が大雑把である。関係あるのか定かではないが。

味をめぐる体験はやはり幼少期から大切だと考えている。

おとなになってからでも冒険はできる。

どちらにしても、食事に楽しいシチュエーションが必要なのは言うまでもない。

昔、知り合いが恋人の実家に行った時に提供された素麺にめんつゆのほかに具がなにもついていなかったという。
恋人と家族はそれを黙々と食べていたので耐えられなくて別れた、と言っていた。

そのくらい食におけるこだわりや楽しみは重要で、そこに個人から家族の価値観までが反映されているということ。


みなさんの素麺のお供はなんでしょうか。
なにも添えない方もいることでしょう。
それはそれで楽しめたらいいのです。

私は細切りキュウリが必要です。
キュウリ以外は、日によって違います。

素麺が永遠に別れる理由になるなんて。。。
価値観の一致は大切ですね。


覗いてくれたあなた、ありがとう。

不定期更新します。
質問にはお答えしかねます。

また私の12ハウスに遊びにきてくださいね。










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