できない私のいいわけ。
はじめて目の前でタロットカードを引いてくれたひとが
「稼げるのに稼げないふりしてるよね」
と言った。
それを指摘したひとはいなかったので驚いた。
私はずっと稼ぎ方がわからない、働けど働けど我が暮らしギリギリ・・・
という生活でなんとか首の皮一枚でやってきた。
やれてきてしまった。
大きく稼いだことは一度もない。
行き当たりばったりで仕事を選んでいたせいもある。
最近、真面目に占い師の活動を始めて、無償では25年やってきていて、有料でも自分にニーズがあると知って、これを時間管理して精度を上げていけば稼ぎになる、と脳内で理解できた。
ただ、それをする気持ちにならなくて一旦休止することにした。
宣伝をして、知名度を上げて、件数を増やし、収益を上げる。
想像しただけで充分だった。
より早く、よりたくさん、ということが私の意に沿わないのかもしれない。
そして、より多く稼ぐことに対して言い知れない不安もある。
主婦のパートくらいがちょうどいい、自分はいつもそう思っていた。
すると別のヒーラーの方には
「自分で範囲を限定しないほうがいい」
と言われた。
その線を越えると何になってしまうのか私は考えたくなかった。
「幼い頃、家庭で人形みたいにかわいがられませんでしたか?」
と占星術のセッションで聞かれたことがある。
人格を尊重する、の対義語みたいなもので、ただかわいがるという意味では母と姉からそのように扱われていた一面もある。
崩壊家庭で、意思疎通がスムーズではないなかでなぜか私はペットのような接し方をされていた部分もあった。
何もできなくていい、どうせできないから、ほらやってあげる、と用事を代わってもらえるのだが個人を尊重しない、成長を許さない、自分で決めさせない、そういう空気を受け取った私は、できない私であることを選んだ。
生きていくために最適化したのだ。
母と姉のことは憎いけれど愛していたから。
そうすると、できない私を証明するような出来事に見舞われる。
自分で自分を呪うみたいなことだ。
思考が現実化する、というやつ。
母と姉からは妬みのエネルギーも感じていたので、彼らより優れないよう細心の注意を払った。
「私を越えるな」彼女たちの意思はそれだったのかもしれない。
女の嫉妬がなによりも怖いということを当時から感じていた。
そこを刺激しないようにいかに振る舞うか、よく勉強させてもらった。
できない私のマインドのままで母親になり、それなら率先して助けてあげようというマインドの夫を引き寄せた。
至極当然の結果である。
私が自立しないで、周りを立てた方が上手く行くのだ、楽なのだ。
その考えのままで人生の半ばも過ぎてしまった。
このことに向き合わないで、なあなあの生活で、やり過ごすことはできる。
できるんだが、そろそろなにか自分のなかで大変なことになりそうな気がして。
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