旅行記(23) デュルンシュタインと夕食
日本→ハンガリー→チェコ→オーストリア→日本のパッケージツアーの、旅行記です。<()の中は更新の日付です。
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デュルンシュタイン
<(9/20)
道中、雪の積もった山がすごく近くまで迫るということもあった。葡萄のような、人の手の届きやすい位置に枝が制限された木が連なるところもあった。
バスが止まる。
旅程表では「ヴァッハウ渓谷」と書かれていた観光。デュルンシュタイン Dürnstein に立ち寄り、30分ほど徒歩観光をする。
修道院/教会の南側でバスを降り、川沿いを歩いて、教会の中庭まで、添乗員さんに案内される。
桜のような木が川沿いにあった。
教会。観光閑散期だからか車が止まっていた。
中庭から入る階段の先は関係者以外立ち入り禁止の学校のようなところだった。
そういえばちょうどここから子どもが数名出てきた記憶があるかもしれない。
教会は冬季閉鎖のようだった。
入れずとも、周囲のいくつか通れるアーチの天井画などが美しかった。
函館にありそうなおしゃれ消火器
教会を出て左へ、やや坂道(河岸段丘!?)を上がると多分メインの通り。しかし、自分たちが行った時は閑古鳥が鳴く状況だった。
人も居なけりゃ店もやってねぇ。
唯一赤いトラクターがひょっこり出てきて、メイン通りを、遠ざかって行った。
えっと……ここの石畳つよいなぁ、うん。
写真を見返して気付いたが、踏み板の先端が白い石で分かりやすくなっている。
天気があまりよろしくなく、トラクターなど住民らしき存在は見たがひと気もほぼなく、くらぼったい印象を受けてしまった。人目をあまり気にせず観光できた、といえばできた。一人旅で来ているような、自らどこが面白いのか探していくような時間だった。
他の方々の写真を見ると、人がいるときはとても華やかな街である。コロナ禍の今は人が居ないだろう。はやく元に戻ると良いなあと思う。
<9/21
48°24'12.7"N 15°35'17.3"E ラウンドアバウトを通過する。
Sankt Pölten経由でウィーンに向かった。
ドナウ川の旅人という小説の話を、ドナウ好きと言う添乗員さんがしていた。母が行方不明になり探すと父ではない別の男性とドナウ川に沿って旅をしており、3人でドナウ川を辿る旅をする話だと言っていた気がする。読もうかなと思ったがまだ読んでいない。今、ウィキペディアであらすじを確認したら4人で旅をする話だった。
ウィーンは、気が付くと地下鉄?道路よりは低い、川の横を走るUバーンと並走する道路にいた。わお。乗りたい。
そのまま夕食のレストランに連れていかれる。
ウィーンの夕食
<9/22
SchwablかCafé Restaurant Schönbrunnだったが位置情報ログからはどっちだか分からない。しかし去り際、団体行動のさなか必死に撮った写真から、後者のようだ。(この時から来た店がどこであるかを絶対忘れると確信していた。この時の筆者はしっかり者。)
店内はやや広かった。3人ずつソファ?布張りの長いベンチに座れる、6人向かい合わせのボックス席が、通路に対し両側にあった。他の客も団体客だった気がするが、今回は言葉が分からない団体客だった気がする。
犬がいた。添乗員さんも知っている犬らしい。今回も添乗員さんは我々とは違う席に座っていたが、飲み物の種類や料金を説明しに、各テーブルを回ってきた。
写真がないので6人掛けの真ん中だったのかもしれない。しかし、なんとなく左側に窓のある、端の席で、友人は向かいだった気がする。
<9/23
最後の、ツアーめしということで、レモネードかジンジャエールを頼む。筆者は炭酸×揚げ物だとお腹に来るタイプだし、その後炭酸とボリューミーなメインでお腹いっぱいになったという人を傍からみたように思う、これらから考えるにレモネードだったように思う。
まずはスープが来た。テーブルが広いがテーブルの短辺しか通路に接していないので、他の人の手で筆者のもとまで運ばれてきた。
名物のカツレツ「wiener schnitzel」(なお、wienerschnitzelと空白を入れずにググると検索検索ががらりと変わるのでど暇な時に、やってみるといい)
思ったよりサイズが大きい。また、ナイフでなかなか切れない。行儀悪くぎしぎしと切る。もちろん友人は綺麗に解体して口に運んでいる。
「カツレツ」という単語、「とんかつ」と何が違うのか分からず事前にググった。このシュニッツェルととんかつは、牛の肉と豚の肉という違いくらいしか知らなかった。今回食べたものは、薄っぺらいという印象だった。これがシュニッツェルの特徴なのか、カツレツの特徴なのか、不明。
確かこの回で近所に座ったのは、いつものおっとりとしたグループではなく、華やかな、オペラを身に行ったりいつもビールを頼んでいたりするグループだった。彼らはビールの炭酸もお腹に溜まったからか、シュニッツェルをあまり食べていなかった。お店も、要らないと見ればすぐに下げる。これは他の店でも同様だった。文化としてそうなのだなと思った。
確か途中で添乗員さんが味変用の調味料を出してくれたか、お店の人がくれたかして、テーブルに届いた。カツレツは、まい泉や和幸のかつよりも薄く、いける気がした。初めは勢いで半分くらい食べ、味変しつつ残りを食べた。
<9/22
他の人が全然食べない中、私が塩を手元においてしまったところ、友人も味変のため「塩をくれ、君はいつも気が利かないね」と言われたような記憶がある。すまぬ。
色々な食べ物を、周りが残す中で、筆者は全部食べようと思い、かつ食べるのが遅くて、一人だけ食べているということがあった。しかしだいたいいつも待ってくれていた。食べきるということに関して理解してくれる友人で、本当によかった。ありがとう。
<9/23
なおデザートもあった。果物の煮たものが柔らかいパイ生地で包まれ、それが太さ5cmくらいの短冊状に切られたのものがひとりぶん。
シュニッツェルは食べられずとも、「これは別腹」と言って食べている人が居た。
1時間余りで食べ終わり、19時にはお店を出る。筆者 in 日本なら「これからが私の時間だ!」というところだが、このままホテルへ向かう。離脱して鉄道で帰ります!とか言えれば良かった(笑)しかし重いスーツケースを運んでくれるバスが居るし、しゃーない。なお結局ウィーンの鉄道駅は見なかった。
<9/24
ホテルへ。運転手さんとの別れ
コンサートを聞きに来る人の為のシェーンブルン宮殿の入口に沿って走る道路を、来た時も通ったがまた通る。自由時間に聞きに来る人への説明のため、バスを降りる前と乗った時に、バスの運転手さんに通るように言っていたらしい。なお翌日も説明を受けた。
地下鉄の駅?の脇を通りすぎるなどしながら、バスは北上する。
地図を見たところ、翌朝、シェーンブルン宮殿の上から、「まっすぐ!あの道行ってみたい!」と思っていた道だったようだ。満足なり。
ホテルに着いた。
運転手さんとはここでお別れと聞いた。7日間くらい一緒に、ヨーロッパの右の方を移動させてくださった、プロフェッショナル。マクドナルドに横付けしてくださった、ファストフード愛好家(多分)。ありがとうございました。
手前にバスが居たり、ホテルの前が大きな道路過ぎて長時間泊まっていたり、歩道を占拠するのがはばかられたりしてあまり写真を撮ったり、別れを惜しむことが叶わなかった。お元気だと良いなと思う。
バスごとスロバキアに帰るらしい。
長旅なんだろうなあ。慣れているとどのように感じるんだろう。帰国は一日と少し後だが、若干すでに感慨深くなった。
ホテル
セネタ―ホテルウィーン。入り口入って右前にあるフロントはザルツブルクで泊まったホテルよりは広めだった。あまり近寄らなかったので詳細を覚えていない。ロビースペースが大通り側にあった。ホテルの出入口はホテルの東端。
すぐ隣がスーパーのLidlだが、開店・閉店時間の関係で、一度も寄らなかった。
7階くらいに泊まった気がする。個室は赤を基調とした内装だった。
ダブルベッドではなく、ツインだった。ツアーパンフレットには「ダブルの可能性もある」と書いてあったが、結局ダブルは無かった。筆者はコンセントをゲットすべく、最初の位置からだいぶサイドテーブルとベッドを動かした。
シャワーヘッドが動くので、二人して喜んだ。(今までの宿で、シャワーヘッド固定のところが一つあったため)
友人が窓際で、筆者は窓の外の写真を撮らなかった。トラムが走っていたのに。
迷ったが駅まで歩いて鉄道を見る勇気が無かったので歩くのをやめた。
さくっと寝た。
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