第49回日本フィル九州ツアー
昨日まで、日本フィルハーモニー交響楽団の九州ツアーに参加してきました。
私がエキストラとして初めて日本フィルに伺ったのが1998年。そこからもう25年になるのですが、この九州ツアーは初参加。「毎年九州に長いツアーで行っているらしい」という程度の認識でした。
ツアー前に団員さんたちから「とにかく長くて過酷です」と言われていましたが、私はこれまでに比較的長くて過酷なツアーをいくつも経験しているので、まあ大丈夫だろうという根拠のない自信がありました。
夜本番を終えてメンバー全員でバスに乗り込み県をまたいで夜中にホテルに到着して翌日また本番とか、17時半にリハーサルを終えて川崎から大阪に車で移動して日付が変わってからホテル到着、当然その日本番などという労働基準法的にどうなのというようなツアーを何度も乗り越えてきてますから。
今回は移動を含め2週間で9回本番。九州全県を周りました。プログラムは2種類用意されていて、メインはベルリオーズ/幻想交響曲を4回とドヴォルザーク/交響曲第8番を5回。ソリストにヴァイオリンの服部百音さんがメンデルスゾーン/ヴァイオリン協奏曲を6回、ピアノの小山実稚恵さんがモーツァルト/ピアノ協奏曲第20番を3回、そこにモーツァルトの序曲が2曲。指揮は下野竜也さんでした。
実は私はこの幻想交響曲が大の苦手で、苦手曲TOP3に入っていたのですが、リハーサルの時点で「あれ?下野さんの指揮だと入り易いぞ」となり、ツアーを終える頃にはすっかり苦手意識が消えていました。下野さん、とにかく無駄がなくて的確な指示、分かりやすい指揮、本当に素晴らしかったです。
さてツアーは小倉→大牟田→博多→熊本→鹿児島→宮崎→大分(別府)→佐賀→長崎(佐世保)。最初の福岡県3連発が全て昼公演だったので、まずここを乗り越える事が最初の壁かなと思って、博多で大学の同級生と会った以外は夜なるべく大人しくして体調管理に努めました。その後も鹿児島で大学の同級生と再会したくらいで、アルコールは一度も口にせず。
こうしたツアーで大切なのは日頃と生活環境をなるべく変えないこと。ホテルの部屋で過ごすスウェットや電動歯ブラシなどは家で使用している物を持込み、7時起床・23時就寝の生活習慣も出来る限り守るようにしました。自宅では週4回朝のジョギングをしていますが、さすがにこのツアー中は3回しか走れませんでした。さらに普段は月に2度整体に通っているので、今回も熊本と宮崎で整体へ。移動で凝り固まった身体をほぐして貰いました。
初日の小倉公演が終わってから「交流会」なるものにお誘い頂いて顔を出してみてこのツアーの仕組みが分かりました。
このツアー、財団や音楽事務所ではなく、各地の「日本フィル実行委員会」が主催(例えば熊本日本フィル実行委員会、北九州日本フィル実行委員会など)で、各地で日本フィルを応援して下さっている方々によって成り立っているようなんです。それが今年で49回目、来年50回という大変な歳月を重ねてきている訳で、これほど人の力、信頼の積み重ねを感じるイベントは無いなあ…と感嘆するばかりでした。継続は力なり。
この交流会というのは演奏会後にそうした実行委員会の皆様に感謝を伝えるための機会な訳です。
私は初参加でしかもエキストラなのでそこまで内情に詳しい訳ではありませんが、交流会である実行委員の方が「正直このツアーを続けるのはもう限界だ、という地域もある。私たちと交流しなくて良いからもっとオーケストラのメンバーがお客様と交流して次に繋げる集客をして欲しい」という意見を聞いて、これはオーケストラ業界全体が聞くべき意見ではないだろうかと感じたりもしたのでした。
事務局の方のお話では、既に来年の予定もほとんど決まっているとのこと。演奏者がなるべくスムーズに移動出来るよう考えつつ、「土日じゃないと集客出来ない」など各地の要望を取り入れ、さらに他のイベントとの兼ね合いもあってホールの予約も大変なんだそうです。本当に多くの方のご尽力によって成立しているんですね。
ツアー2公演目となる大牟田ではゲネプロで弓が壊れるハプニング。演奏中にどうも弓の調子がおかしいと見てみたら、フロッシュの中の雌ネジが割れており、毛が締められなくなっていたのです。ステージスタッフさんにドライバーを借りて仮留めしたものの本番中に外れたら困るということで、本番は同じエキストラの森田くんのサブ弓をお借りして演奏し、彼の紹介で次の公演地となる博多の楽器屋さんをご紹介頂き、急遽飛び込みで修理して頂いたのでした。こうしたハプニングも旅の良き思い出話ですね。
その森田良平君ですが、鹿児島に生まれ、熊本の大学に通い、現在は福岡に住んでいて大分に何とプロオーケストラを立ち上げ、大分と鹿児島でラジオ番組を持っているという九州の顔のような存在。
おそらく今回私たちが呼ばれたのは「旅慣れている、または地理感がある」というところが理由かと思います。団員さんたちがいちいち目をかけなくて済みますからね。
森田君と一緒に行動する時間も多くて、彼のお陰で宮崎では有名なラジオDJであるDJポッキーさん、別府ではOBS大分放送のアナウンサー村津孝仁さんとお食事をする機会に恵まれ、私が主宰するコントラバスコンテストの告知にご協力頂ける事になり、更には別府から佐賀に移動する日に村津さんのラジオ番組に出演する事となったのでした。本当に、森田くんには心から感謝申し上げます。
このツアー、基本的に移動は各自で勝手にどうぞというシステム。本番前のゲネプロの段階でホールに居れば良いので、ツアーでありがちな「常に誰かと一緒にいなければならない」という縛りがなくて気楽でした。食事も誰かとしたければ声をかける、一人が良ければフラッと出かけるという感じで、自分のペースを守れるのがありがたかったですね。みんなで楽しく、というのも良いのですが、長く続くと人疲れ気疲れしてしまうんです。
ある程度移動行程も自分で組めるので、熊本で3泊する事にしていました。というのも、熊本にはコントラバスコンテストにご支援下さる方がいらっしゃり、一度お会いしてご挨拶をしたいと思っていたからなんです。支援者の方とは2日間お食事をご一緒させて頂き、正式にコンテストへのお力添えを頂ける運びとなりました。
体力の事を考えるとほとんど観光は出来ず、熊本でホールの真後ろにあった熊本城、そして鹿児島でもホールの真横にあった西郷隆盛像を眺めた程度。まあ、九州各県は過去にも演奏会で訪れていて、何となく主な名所はその際に訪れているので、今回は仕事に集中といったところ。
ツアーも終盤になってくると流石に皆さん疲労の色が濃くなり、ダウンするメンバーも出てきて、佐賀公演では急遽ピンチヒッターでメンデルスゾーンを弾く事となりました。これは久しぶりに緊張しました。これまで何十回もやっている曲とはいえ、服部百音さんのソロでやるのは初めてで、ゲネプロもほとんどやらなかったので、本番は彼女の音楽に乗り遅れないようかなり集中して演奏させて頂きました。大きな事故なく何とか務められて一安心。この数年、突然のピンチヒッターを何度か経験していた事も良かったのかもしれません。
今考えればあっという間の2週間で、本当に楽しい記憶しか残っていません。来年は50周年記念、もし再びお声がかかれば嬉しいなあ。