母の傘寿コンサート
2023年7月15日、母の傘寿コンサートに出演しました。
傘寿といえば80歳。息子ながら母はその年齢には相応しくない若さを保っていると感じますし、友人知人からも「年齢が信じられない」とのお言葉を頂戴する事も多々あります。ただ身近にいると、流石に年齢からくる母の体力の衰えを感じざるを得ない場面も多く、心配になる事も増えてきました。
今回のコンサートは現役の生徒さんに始まり、母の元を巣立ちピアニストや指導者として活躍中の方、そして今やソリストとして国際舞台で活躍する小菅優ちゃんまで総勢26名が演奏し、最後に母と私を含めたピアノ五重奏で締めくくるという演奏会だったので、母は自分の演奏に加えて出演する門下生一同のレッスンも抱えて準備しなければならず、かなり大変だったのではないかと想像します。
数年前に母が同じ市内に転居してきてから、二週に一度くらいのペースで「ケーキを焼いた」「食事を作った」など理由を作っては孫たちと会う機会を作ってくれていたのですが、このコンサートの一か月前からはほとんど連絡が来なくなりました。もともと修行僧のような母の事だから、孫たちに会いたい気持ちを我慢して演奏会の準備に入ったんだなと感じ取り、こちらからもあえて連絡する事はありませんでした。
7年前、私は母とシューベルトの「鱒」を共演しましたが、コントラバスを含むピアノとの「良い」室内楽曲が少ない事もあって、「これでもう母と同じ舞台に上がる事はない」と思っていました。ですから今回「ドゥシークという作品がある。もう一度一緒に弾かないか」と言われた時は、嬉しい気持ちが湧き上がると共に「なんだその作曲家は」という不安な気持ちに包まれたのも正直なところです。実際、いくつか音源を聴いてみたところパッとしない印象で、「俺と一緒にやりたいという気持ちだけで、このような曲を演奏して良いのだろうか」「一緒に演奏する仲間に申し訳ない」という気持ちもありました。
室内楽のメンバーですが、ヴィオラとチェロは私の昔からの演奏仲間である生野正樹君と金子鈴太郎君にお願いしました。彼らは以前にも母の室内楽の時に私が紹介した人たちで、素晴らしい演奏家であるだけでなく既に母と面識がありました。ヴァイオリンは今ソリストとして大活躍中の周防亮介さん。母は彼が高校生の時から可愛がっていたようなのですが、今回はピアニスト清水和音さんが「周防君にお願いしたらどうですか」とアドバイスして下さって母からお願いしたら二つ返事で引受けて下さったそうです。これまで母と私が紡いてきたご縁で集まったメンバーという事になります。
肝心なドゥシークのピアノ五重奏曲ですが、合わせは2回。初日はとりあえず一通り通して弦楽器のボウイングを決める流れ。二つ存在する版の楽譜に全く統一感がなく、ダイナミクスなどもバラバラで、「このダイナミクスは本当に本人が書いたのだろうか」という会話にもなり、バランスを整える作業が中心となりました。いくつか聞いた音源では楽譜をそのまま演奏しているようなものが多かったのですが、今回は二つの版の良いところを拾い合わせつつ修正していきました。
この合わせが終わった際、仲間と雑談していた私が「本番の日は母の誕生日なんだよ」と言ったら鈴太郎君から「え、ハッピーバースデー弾こうよ」という提案が出ました。オーケストラでは指揮者の誕生日にサプライズでハッピーバースデーを演奏するのはよくある事なので、この時点で何かやろうという方向が決まったのでした。
2回目の合わせは東京音楽大学にて。ここでサッと通して音楽の流れを見直して突き詰めていく段階で「なんか良い曲になってきたね」という感想が出るようになり、本番への期待感も高まって合わせは終了。2回を通じて終始合わせをリードしてくれた鈴太郎くんには感謝したいです。
実はこの2回目の合わせのとき、母はピアノの蓋を自力で開けられないほど疲れていて「大丈夫かな」と心配になったのですが、ここで心配するような素振りをみせるとより弱っていくような気がしたので、気づかないふりをして普段通り接する事に徹しました。
さて、私は普段オーケストラで演奏活動をしており、毎週のように演奏会があって、本番はそう特別な事ではありません。前回は「母との初めての共演」という環境にかなりの緊張感を抱えて臨みましたが、今回は日常の本番の一つ、という精神状態で準備を進める事が出来ていたはず・・・だったのですが、本番前夜に突然眠れなくなり、やはりどこかで母との共演は特別な時間だと思っているようだと自覚。
本番の日は10時半から五重奏メンバーのゲネプロ、13時に開演して18時までという長時間公演。浜離宮朝日ホールは前回の鱒の時と同じ会場でしたが、ゲネプロでステージに上がったとき「あれ、こんなに小さかったっけ」という印象を受けました。
ゲネプロを終えて楽屋に戻ったところで、チェロの鈴太郎君から「アンコールの愛の挨拶、途中から俺が無理矢理ハッピーバースデーに持ってくからみんな適当についてきて」と提案があったので、私も「母はきっと孫たちに会うのを我慢していたから、ウチの子供たちをステージに上げてプレゼントを渡させよう」と思いつき、楽屋で一気に話が展開。
その後妻に連絡して「五重奏が終わったら子供をステージ袖に寄越してくれ」とお願いし、私は銀座まで花束を買いに走りました。
花屋で予算を伝え事情を説明したら「素晴らしい親孝行だからサービスしますよ!傘寿は黄色、季節が夏だから向日葵を入れましょう。薔薇も入れて華やかにして…」と、あっという間に素敵な花束を作って下さいました。銀座フラワー様、本当にありがとうございました!ホールに戻ってからは事務所の方やステージスタッフさん、録音技術者の方までがサプライズを応援するため一体となって下さったのでした。
そこからは母の門下生たちが続々と到着し、私もステージ裏のアーティストラウンジで、昔から知っている幼馴染のような感覚の生徒さんたちとの再会を楽しむことが出来ました。
今回、2番目に演奏したのは私の東京音楽大学の同級生のお嬢さん。たまたま私が引越した街に同級生が住んでいて20年ぶりの再会を果たし、お嬢さんがピアノで音大を目指していると聞いて母を紹介したのですが、彼女が演奏している姿を見ていたら、何だか感情が溢れてきて涙が出てしまいました。歳をとったなあ。
その後もアーティストラウンジでは「きゃ~久しぶり!」という声が何度もあがり、再会を喜ぶ門下生の姿はさながら壮大な同窓会といった雰囲気でした。
そんななか、ある生徒さんが「今日は先生が最後に弾かれるから客席にはいらっしゃらないと思ってた、姿を見つけて驚いた」と話していました。母は自分の出番まで全員の演奏を客席で聴いたのでした。
演奏会翌日、母と食事をしたのですが「演奏した人が本当にみんな良い演奏をしてくれたのが嬉しくて何度も泣いた」と話していたので、門下生たちの演奏は最高のプレゼントになった事でしょう。
最後のドゥシーク、演奏がどうだったかは聴衆が判断してくれるでしょうが、良い演奏だったのではないかと思います。本番では本当に素晴らしいメンバーに囲まれて幸せだなあと思いながら演奏させて頂いておりました。コントラバスで小編成の室内楽はなかなかチャンスが無いのですが、こんなに楽しいならもっと機会が欲しい!と強く思った一日。今回の経験はオーケストラではなかなか得られない、何事にも替えられない貴重な時間でした。
終演後も多くの方から「知らない作曲家で、これまで聴いたこともなかったけれど、とても良い曲だった」と言って頂く事が出来たのですが、あのメンバーだからこそここまで作り上げる事が出来たのと思っています。
そして最後のサプライズは大成功といえるでしょう。愛の挨拶から鈴太郎くんの合図でハッピーバースデーの演奏が始まり、混乱している母を尻目に私が舞台袖に子供たちを迎えに行って花束贈呈。まさか母が舞台上で涙を流すとは思っていなくて、私までもらい泣きするところでした。いや、本当は少し泣きました。後で聞いたところ、客席で聴いていた門下生一同もハンカチを手にしたそうです。ある生徒さんは「いつも泣かされる側なので先生の涙を初めて見ました」と話していましたが 笑
私はこれまで母にとんでもない迷惑と苦労をかけてきて、どこかで少しでも感謝を形にしたいと思っていたので、嬉しいドッキリ大成功!でした。
こうして母の傘寿コンサートは幕を閉じましたが、最後に母が話した「出会い、愛、感謝を大切に」というスピーチはまさに母の生き方そのもので、この真っ直ぐな性格が多くの方から愛される所以なんだろうと改めて尊敬の念を抱かずにはいられませんでした。これは私に決定的に足りない部分で、大いに反省すべき点でもあるのですが。
次は88歳の米寿、という声もあったようですが、息子としては、まずはゆっくり休んでもらって、若い生徒さんたちから力を分けてもらいながら毎日を元気に過ごして欲しいと願うばかりです。
誕生日、そして傘寿のコンサートの盛会本当におめでとう。
最後に、この日の演奏をどうぞ。