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謝礼を求める話を2つも目にした。

朝ウォーキングしていると、だいぶ秋らしい感じになってきました。上着は長袖ですが、下はまだ短パン。ジャージにするのは11月かなぁ。

青い空、イチョウ、金木犀


書いてみて気がついたのですが、割とこの手の「見返りを求めすぎる話」にちょっとだけ嫌悪感が自分の中にあるんだなって思った。なんでだろうか。


今回は、片方はその奢った人がポストした人とは別かもしれないし、もう片方もラジオの中での話だったんだけど。そんな謝礼というとちょっと大げさだけど、見返りについての話を目にした。

アラフィフで、自分が上なら若手には奢るのは基本だと思っているけど、別に翌日にわざわざお礼に言いに来なくても良いなぁ。

そりゃ、お店出たところで「ごちそうさまでした」ぐらいは欲しいですよ。でもそれで十分かな。

ふと思ったんだけど、これ10年経ってないかも、30代後半から40代前半ぐらいに同僚に言われたことあるな。その時にも「え、わざわざ翌日に言いに行く必要ある?その場ではごちそうさまですを言っているんだよ。何かのきっかけで話すことがあれば、言うかもしれないけど。さらに言えば、下手したら領収書で会社経費にしているかもしれないんだよ。」って内心思っていたなぁ。

なので、奢るってやっているときに領収書もらっている場合は、あんまり「奢られた」っていう意識をもっていないんですよね。昔から。


こっちのお土産の話も、「ご自由にどうぞ」のメモの書き方や内容、そもそもの配り方で返事があるかどうかっていう話もあるんですけど、これも別に求めないなぁ。

自分自身、コロナ禍の前は旅行に行くとお菓子のお土産を買ってきて、配るのが好きだったんですよ。それは根底には「自分でもそのお土産のお菓子を食べて味見にしたいから」っていうのがありまして。

だから「食べてくれない」ってのにはちょっと嫌な気持ちにはなるけど、別にお礼は不要だなぁ。「どこ行った?」とかちょっとした会話のきっかけになれば良いかなぐらいの気持ちはありますけど。


他人に期待しないとかいう表現になることもあるけど、案外自分自身は、わがままというか、やりたいように生きているのかもしれないなぁ。

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