夜明けの僕の叫び<BEAT>

遂に8月。夏到来という感じでございますね。更新が遅れてすみません。忙しかったわけでもないのですが。。。今回はこのnote自粛中(ただのサボり)に感じたことでも綴ろうかなと思っています。

一番はドラマ『モテキ』に出会えたこと。映画版は見たことがあったのですがドラマ版は初めてで。映画版も好きなんですけどあれは長澤まさみの映画ですね。森山未来の泥くささがない。ドラマ版の方が心に刺さる。舞台も我が町、世田谷区下北沢。この設定だけでも熱いのに挿入曲も最高なんですよね。こんな曲があったのかと毎回驚く。大根仁監督のセンスの良さが光っております。大根監督の『SUNNY』の挿入曲も良かったのですが、そっちは大衆曲で『モテキ』の方はサブカルって感じで僕の知らなかった世界を教えてくれました。感謝。

『モテキ』で知った、小沢健二とかくるりとか(今まで知らなくてすみませんを語り続けてもいいのですが、このコラムはこじらせ一本でやってきているのでね。『モテキ』で感じた恋愛観を語らせてもらいます。でもせっかくなので音楽の話は有料マガジンの方でするとしましょうか。今までHuluに持っていく日テレはクソだと思ってましたが、金儲けする側としては楽しいですね。はい。

ここから本題。少しネタバレも入ると思いますがご了承ください。結論から言うと、森山未来演じる主人公幸世は4人(実質3人)の女性と恋愛関係を持てそうになりながらも最終的には持てずに終わってしまう。そこが切ないけどまたいい。見せない希望とでも言うのだろうか。ラストシーンで一番好きだった子への想いを精算し、彼女にも別れを告げられ「モテキ」が終わった幸世は気付く。自分が望んでいる自分のことを100%で好きでいてくれる子などいない。女の子の中で幸世の存在が意識されただけなのだと。自分を好きになってくれたのは単にそこに幸世がいたから、ただそこに曲がり角があったから曲がってみただけなのだと。だからこれからは自分が誰かのモテキになろう。そこに曲がり角があったら曲がってみよう、朝焼けの中そう叫んでドラマは終わる。心に刺さった。今まで自分は幸世のように恐れていたと思う。相手は自分のことを好きなのかと。しかしそんなことはない。相手はただ曲がり角を曲がってみただけだ。だからこっちも曲がり角を曲がってみたような気持ちでいればいいんじゃないか。もっと気楽に行こう。当たって砕けろ。「格好悪いふられ方」でいいじゃないか。けどやっぱり君が欲しくなるんだろう。そして今でも君のことを思うのだろうね。

気楽に行こうと書いたが、僕はやはり気楽に行けるようなタイプではない。どうしても真剣になってしまう気がする。そりゃ誰だって真剣だろうと思うかもしれないが、多分それよりももっと前から、真剣になる必要のない時から真剣になっているのかもしれない。

要するに僕は長澤まさみに「なんだ、ちょっとかっこいーじゃん〜」と言われたいだけなのである。これを読んだ長澤まさみさんはぜひとも僕に連絡してきて欲しい。そして僕を神輿に載せて「モテキだああー」と叫ばせて欲しい。

それでは。


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