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終わった恋愛を肯定すること

恋バナってやつが好きだ。
もしかしなくても、わたしは結構恋愛体質なんだろう。

映画「花束みたいな恋をした」を観に行ってきた。お気に入りの俳優、タイトル、予告の音楽など、公開前からイメージ先行でかなり気に入り、公開を楽しみにしていた。映画を観て、恋愛について考えたことの備忘録。

(ネタバレありますのでご注意ください。)

主人公たちの、出会ってからの5年間の恋愛を丁寧に描いた作品。謳い文句は「終電を逃して始まった恋」。恋愛の潤いにとても惹かれるし、何より「終電のある世界」で過ごしてきたことがないので、都市部の人間にとっての「あたりまえ」に憧れや興味があった。
事実、わたしの学生時代の恋愛とは似ても似つかないような、華やかな世界との接点が彼らにはあって、写真家の年上の知り合いがいたり、気軽に好きな芸人の単独ライブを逃したり、気になる展覧会にさくっとデートで行けたりするあたり、「都会の大学生(社会人)はさぞ楽しかろうな、、」と思った。ジェラシーを感じながら、でも素直に羨ましがることはできなかった。し、羨ましがったところでわたしの学生時代はとうに終わってしまっている。

それでも共感する部分はとても多かった。それは、恋愛の過程が個人同士の関わり合いだからなんだろう。28歳のわたしには、彼らの両思いの喜びや些細な喧嘩や、相手からのひとことへの感情など、小さいことが自分の経験であるかのように共感できる部分が多く、中盤以降ずっと「わかるわかるマシーン」と化していた。
特に、LINEで近所のパン屋が閉店したことを恋人に伝えるシーン。相手から「駅前で買えば良いじゃん」って返事が来たらどうだろう。本当に細かいところに、男女の関わり合い方が出ているなと思った。個人的にはそういう時は、代案じゃなくてやっぱり共感が欲しいんだけどな。そんなふうに自分と重ね合わせながら楽しんだ。

1つ、共感できなかったところは、別れ話のシーン。2人のようにさっぱりとした恋の終わりもあるのだな、という点は、見終わった後すぐには共感ができなかった。

恋愛体質で、いつも別れは相手から告げられることが多く、わたしは自分のこれまでの過去の恋愛を自分から終わらせたことがない。なので、「もう別れようと思う」とお互いが思ったこと、そしてその決断が揺らぐことなく離れられたことが、「4年もずっと一緒にいた相手同士で、こんなことが本当に可能なのか!」と主人公たちとすこし距離を感じた。

わたしにも学生時代、かなり長く付き合った相手がいた。彼は、将来的にもずっと一緒にいられるような居心地の良さを感じた人で、学生時代の短くはない時間を共有した恋人だった。その彼と別れることになったのも互いの生活環境の変化など、居心地が良かった自分達でいられなくなったからだったのだけれど、当時、わたしは彼からの別れの申し出に対して相当に食い下がった。

「別れたくない」
「ずっと一緒にいようと言ったのに」
「もう一度考え直して」

一度別れを考えると、瘡蓋みたいに気になっちゃうのよね、と劇中で誰かが言っていたが、どちらかが本気で別れを考えたらもう駄目なのだ。わたしはその事実から目を逸らし、自分と同じくらい大事にしていたはずの彼と向き合うことを避け、自分のことばかりを考えていた。勝手に彼との将来を想像して自分の未来を考え、急な変更は聞いてない、と自分の感情を優先し、別れ話は平行線でぐずぐずと長引き、執着や未練という後ろ向きの感情を長く引きずった。

本当に好きだったから、これだけ引きずるのだ、これだけ未練や執着が残っているのだ、と失恋後の自分の感情が整理できていない混沌とした時期をわたしは正当化した。きちんと立ち直り、再び恋愛をするのにかなりの時間を要したけれど、それこそが「本気で恋愛をした証」と信じていた。

そんな感情爆発型のわたしからすると、ラストは驚くほどさっぱりとしていた。勿論主人公たちの感情の揺れ動きは見事に表現されていたけれど、本気の恋愛の終わりってそんなもんじゃないだろ、と正直思った。


帰宅後、脚本家や俳優のインタビューを読んだり、内容を思い返す中で気づけたことがある。前のめりに感情を出すことだけが、その恋愛が本気だった証ではないのだということだ。 

「楽しかったね」
「楽しかったね」

楽しかった思い出だけ、持っていこう
彼らにとっては、そのことが一番大切だったのかもしれない。
さっぱりと、平和的に別れた彼らの心の中にも、きっと葛藤は存在していた。それでも、「楽しかったこと」を肯定するために、負の感情を、前に出さなかったのかもしれない。
もしかしたら、2人とも恋の死を感じ取っていて、そのタイミングがぴったりだったのかもしれない。
2人が何を優先させたかったのか、というところが、ラストシーンを思い出して、少し理解することができた。

映画では、別れた後にそれぞれ別の相手と一緒にいる状況で、2人は再会する。昔を懐かしむような視線の交わし合いや会話はなかった。
好きだった人と別れても、生きていかなくちゃならない。戻りたいという気持ちが無くても、彼らがお互いのことを思い合っている姿には、恋の死を経験したからこそ感じるものがあった。

最後にこじれて終わった自分自身の恋愛のことを、友人たちには「宝物みたいな思い出」と話していた。ただ、終わり方の方が印象的で、どうしても本心からそう思えない時期もあったし、別れる時に言われた言葉の方が強く残っている。
それでも、別れるという行為とそれまでの過程は別物で、何が起きてどう別れても、楽しかったのは楽しかった、それでいいじゃないか、と
、思い合えた相手がいたことを肯定的に捉えた作品を見て、わたしも自分の恋を花束にしてもらえたような気分になれた。相手との再会を望まないけれど、相手のことを思ったりするような、過去の恋愛はあってもいい。

#花束みたいな恋をした
#恋愛 #花恋 #映画 #終わった恋愛を考える

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