道徳は水みたいなもの

道徳って何ですか?と聞かれたときに、私の中で一番しっくりと来ている表現が「道徳とは魚にとっての水のようなもの」です。

まず、魚にとって水は生きていくうえで絶対に必要なものです。水がなければ生きていくことはできません。

人間は社会的動物と言われています。人との関係の中で生きているのです。その関係を良好なものに保ちつつ発展させていくためには道徳は必要不可欠なものです。つまり、道徳のない世界では人は生きていけません。

次に水の透明度について考えてみましょう。完全に濁りきった水では生き物は生きていくことができません。逆にとてつもなくきれいな殺菌消毒された水では一定の生き物は生きていくことができるかもしれませんが、生きていけない、もしくは生き辛い生き物がいるかもしれません。

人間も同じで、完全に高潔なエリート道徳(きれいすぎる水)では生きていける人は限られてきます。逆に退廃的になりすぎれば、もはや道徳は意味をなさないでしょう。

そして、水は流れます。「ゆく川の流れは絶えずして~」という言葉がありますが、水は常に変化していてとどまることはありません。

道徳も同じで大切にされることは時代によって変わっていきます。(もちろん、普遍的なものもあります。)水が留まった状態というのは道徳で言えば、価値観が時代に合わず閉塞感を感じている状態でしょうか。

その水で育てば、その水になじむ魚が育ちます。道徳も同じで、馴染んだ道徳観を変えることはとても難しいでしょう。

何よりも大切なことは、そこで、前を向いて生きるということ。「暗殺教室」に出てくる殺せんせいが「どぶ川だろうが清流だろうが前を向いて泳げば魚は美しく育つ」と言っています。

どのような道徳観であれ前を向いて生きること。これが大切になってくるのではないでしょうか。



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