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コロナで分かった読書離れの本当の理由

コロナによる自粛が続いています。緊急事態というのは色々な本質が見えてくるものです。人の動きや変化したことを追っていくというのも、自粛中にできることかもしれませんね。

さて、昨今、というよりずっと前からですが、読書離れということが言われています。全国学力調査でも、読書と学力には高い相関関係があると言われています。(因果関係ではないことに注意してください。)

活字を読むというのは中々に能動的に文字文化と関わっていくことになります。知識基盤社会では、文字の関りの量はそのまま、一つの重要な能力値になっていると言えるでしょう。

実は、コロナ渦中になって本屋さんの売り上げが上がっているそうです。本屋さんには、とてつもない人が会計の列に並んでいるとか。多くの人が、家で本を読むために、書籍を買い求めている姿があるそうです。ここに、意外なクラスター原になっているのかもしれませんね。(ステイ・ホームにも限界があるのが分かります。)

では、本題に入っていきます。読書離れの本当の理由は何か?

それは、読書が人にとっての一線級の娯楽ではなくなったからです。娯楽という観点から見ると、現在の娯楽の最たるものは、「YOU TUBE」でしょう。ライブ、ショッピング、スポーツ等も娯楽といってよいでしょう。ところが、それらの様々なレジャー施設、歓楽街、スポーツセンターがことごとく閉鎖されてしまいました。行く場所を失った人たちは、前時代の遊戯施設である、公園、そして読書に向かうことになります。

つまり、今までにあった楽しみが、緊急事態宣言によって取り上げられたことによって、新たなる娯楽を人々は探し始めたということでしょう。いくら、緊急事態だからと言っても人間はその中に楽しみを見出そうとするものです。

コロナウイルスが終息して、緊急事態宣言が解除された後、人々は再び読書に向かうでしょうか。おそらく、そんなことはないでしょう。今までの反動とばかりに取り上げられていた娯楽に浸る人が多いのではないでしょうか。これは、今の世の中では、どうやっても、読書は他の娯楽には勝てないということになります。

しかし、読書に楽しみを見出している人もいます。(僕もそうです。)今の日本では少数派ですが、読書に楽しみを見出している人は少なからずいます。

では、読書の楽しみと、今できない他の娯楽との楽しみの違いは何でしょうか。これは、先ほども触れましたが、能動性です

他の娯楽と比べると読書は、それをする人に対して強く能動性を要求するものだからです。だから、読み切るには忍耐力もいります。わからない言葉が出てきたら、調べるか、それともわからないままいったん読み進めるかを自分で選択していかなければなりません。時には、わからないために、同じ文章を何回も読む必要が出てくるかもしれません。

その様に考えると、子どもが本を読むようになる為のヒントが見えてくるような気がします。読書は現在では、第一線級の娯楽にはなっていない。まずは、この事実を基にして、どうすればよいか、考えていけるといいですね。


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