道徳のお話が面白くない理由

「こんな面白くない教材を使っているから道徳はつまらない。」

そう、思ったことはありませんか。

道徳の教科書のお話は基本的に面白くありません。

というより、わざと面白くないように作っていると言えます。

国語の教材の「ごんぎつね」とわかりやすく、「はしのうえのおおかみ」を比べてみましょう。

道徳的価値という観点から切り取ってみると、「ごんぎつね」には様々な価値が出現します。

兵十の母への思い、ごんと兵十の関係、悲しいすれ違い等々・・・・

人によって感動するポイントが違ったりいろいろな感想を持ったりするのは、それだけお話の中で様々な価値観が混ざり合い、葛藤し、多様な側面が見えるからこそであると言えます。

それに比べると、「はしのうえのおおかみ」では親切を扱っているのみです。また、基本的に一学年下の子どもが理解できるように話を作っているので、比較的優しいことばを使い、シンプルなストーリーとなっています。

どうして、このような構造になっているのかというと、道徳の読み物教材はそのお話を楽しむことを目的とせず、そのお話をもとに話し合うことを目的としているからです。

「ごんぎつね」等の文学作品は作品そのものを楽しむために作られているので、作者は楽しませるための仕掛けをたくさんお話の中にちりばめています。だからこそ、国語の学習では、作者の仕掛けを見つけていくことで、物語の読み方を学んでいくわけです。

一方、道徳の教材は一読してわかるように作られています。子どもたちには一読してお話の概要をさっさとつかんでもらって、そこで扱われているテーマについて話し合ってもらう必要があるのです。もし、お話の状況がわからないとなってしまっては、テーマについて話し合う前に状況を把握するだけで終わっていまいます。(それでも、教材によっては状況を確認することはあります。)

話し合いの土台に子ども全員を乗せ、テーマについて話し合うための足掛かりとなるものというのが道徳の読み物教材の位置づけです。

また、書いていないからわからない。というのも、「わからない」→「じゃあ、自分の頭で考えるしかない」という思考の流れを狙っているものと言えます。

じゃあ、時々入っている面白い話に関してはどうなるんだというと、それは、話し合うこと+物語の感動での感化を狙っているものと言えます。物語を読んで感動し、そのうえで、何について感動したのかを共有するというのが一連の流れになります。

今日はここまで。

この記事が良かったと思ったらスキ!&フォローよろしくお願いします。日々の投稿の励みになります。サポートも頂ければ、日々の教育の中で使おうと考えています。