道徳の授業で実際の解決策を考えて良いのか、NGか。

論争の三つ目の論点について僕の考えを述べていきたいと思います。

僕の考えでは、実際の解決策を考えても良いと思います。ただし、(毎度のことですが・・・)道徳的価値について深く考えた後ならばという条件つきです。

まず、ただ道徳的問題の解決策のみを考える授業の場合について考えます。この場合、どうするべきかということに焦点が当てられます。つまり、行動面に着目して解決策を考えていくわけです。行動しなければ解決には至らないので、当然と言えば当然ですが・・・

その際の行動の動機という点に注目してみるとどうでしょうか?先生に怒られるから。大人がそういうから、そうした方が相手も自分もうれしいから、みんなが仲良く暮らしていく為にはそうする方が良いから等々・・・様々な理由が考えられると思います。そして、そこに価値観の深まりはあるかどうかが問題です。とても善い解決方法があったとして、その理由がお母さんに怒られるからでは、何か物足らない感じがしないでしょうか。

より良い解決策を見つけたからと言って、それが即、より良い理由になるわけではありません。

とはいえ、やらない善よりやる偽善という言葉もあるように実際に行動に起こすこと、それ自体は大切なことです。

道徳の授業の中で実際の解決の行動を求めるとするならば、その価値についての理解を深めた後にするべきではないでしょうか。

そうすることで、よい考えであったとしても、いざ、自分の身に降りかかり、行動に移すとなるとその価値を実現するのが難しいと感じるかもしれません。また、みんなで話し合っているなかでは、重要視されていなかった側面が新たに見えてくるかもしれません。(私はあまり、直接的な解決策を考えさせたことがないのであくまでも推測です。)

そういった授業であれば、実際にどう行動(解決)するかを考えるのもありだと思います。

とはいえ、実際の行動を考えようとすると、子どもたちが急にしゅんとするのも、また、事実で、道徳教育自体は学校教育全体を通して行うわけですから、実践的な場面は他の時間に譲ってもよいのではないでしょうか。

もし、「実際の解決策を考えさせるとこんないいことがあるよ。」とか「この点が矛盾してないか?」ということがあればコメントを頂けると幸いです。

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