加藤先生の模擬授業

8月10日に筑波大学で加藤先生の公開研究会に参加してきました。

筑波大学附属小学校はすごいですね。休みでも、子どもたちが来ての公開授業です。(何か別の行事と重なっていたのかもしれませんね。)

今回の加藤先生の授業は「ミレーとルソー」という教材です。子どもたちの友情観にいかにして、画家同士のライバルとして、尊敬するものとしての関係を見せていくか。道徳の教材の中にはちょいちょい出て来る、ライバルと書いて友と呼ぶみたいな関係です。

加藤先生としては、今までに考えてきた友情観に対してこだわりを持ちつつも、新たな友情観を見せたいと考えていたようです。

ただ、今まで考えていた友情観にこだわりを持ちながら比較検討すること、新たな友情観を見せること。二つを狙った感じになってしまい、先生が子どもたちの意見に右往左往してし待っているように見えました。

子どもたちがミレーとルソーの友情観に掠ることを言っているところを何とか本質的なところを見せたいと問い返しを色々としていたのですが、バチっとはまらず・・・という展開でした。加藤先生の問い返し自体も変なものは無かったと思います。(見ていても他の手が思いつきませんでした。)

画家同士の友情観が子どもたちにとっては新しいものであったのでそれをしっかりと見る展開の方が良かったのかなと思いました。(見たから言える結果論なんですけどね。えらそうにすみません・・・)

子どもたちとの公開授業の後は、大人相手の模擬授業もありました。「最後の贈り物」という教材です。私も子ども役として参加しました。

基本的に模擬授業というと子どもに成り切って受けますが、この研究会での模擬授業は大人として参加します。

そして、教師役の大人と子ども役の大人が共に作る授業という形をとっています。道徳の授業では、この形の模擬授業はかなり有効だと思いました。教師役にも子ども役にも子どもとして参加するよりもメリットが大きいように感じました。(これは、また今度書こうと思います。)
加藤先生の授業を受けて感じたことは、

・授業は超教師主導(ただし、かなりの程度、教師が深く読み取れていないといけない。)

・子どもの意見を位置づけるときは位置づけるが、切るときは切る。(ただし、共感的に受け止めている)

・終わった後はモヤモヤとする。スッキリはしない。→考えをまとめたくなる。

・自分の意見をとてもではないが話し足りない。→人に話したくなる。

・問い返しが多い(この問い返しで授業の流れを作っていく。)

・問い返しにより、考えたくなるというよりは、思考の泥沼に引きずり込まれる。

・何かを教えようとするというよりは一緒に発見していくというスタンスを取っている。→だから、理想的な意見が出てこないことは失敗ではない。

・したがって自分の意見をまとめたくなる。

・大事なところは見せる(かなり引っ張って)

授業であるからこそ、何か「わかった!」という感覚が強いのかなと思っていたのですが、そうは感じなかったです。

モヤっとして終わった方が考え続けるには良いのかもしれませんね。

この記事が良かったと思ったらスキ!&フォローよろしくお願いします。日々の投稿の励みになります。サポートも頂ければ、日々の教育の中で使おうと考えています。