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君は笑うかも知れないが 

7月7日は、僕のおばあちゃんが亡くなった日だ。
振り返れば、もう4年も経っている。

その日は一日中雨が降っていた。
〆切ギリギリの原稿をなんとか書き上げ、編集からOKをもらった直後、母からの電話で、おばあちゃんが眠りについたと聞く。
なかなかのタイミングだ。
90近くまで生きたのだから大往生だろう。
母が言うには、最期は安らかな表情だったという。

窓を開けると、土砂降りだった雨はぱらぱらと小降りになっていた。
この季節独特の蒸し暑い匂いが飛び込んでくる。

葬式は明日らしい。

抱えていた原稿が終わり、身軽になった瞬間に知らせが入ったものだから、おばあちゃんに手招きされているとしか思えない。
どうしても顔が見たかったので、急遽弾丸で新潟へ向かうことを決めた。

「それにしても、七夕の日を選ぶなんて、相変わらずロマンチストだ」。
僕がそう伝えると、「ふふふ」と、母の小気味よい声が受話器から漏れた。
「おばあちゃんはね、永遠に乙女なのよ」。

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母が子どもの頃におじいちゃんは他界した
そのため、おばあちゃんは若くして母と伯父を女手ひとつで育てたのだった。
そう言ってしまうと、物凄い肝っ玉母さんを想像しそうなものだが、僕の知るおばあちゃんは違う。
茶目っ気たっぷりで、小洒落ていて、気持ちが若い。

幾度となく、前触れもなく我が家に遊びに来て両親を驚かせていた。
「来ちゃった」と、ペロッと舌を出しているおばあちゃんを、「なんで先に連絡しないの」と、叱る母。
その光景を見ていると、どっちが娘なのかわからないものだった。

「永遠の乙女」という表現もぴったりだ。

そんなかわいらしい姿も見せつつ、自分の考えを曲げない頑固な一面もあった。
小学生の当時、テレビで夕方放映されていたガンダムを観ていたら、「けんたくん、これは戦争をしているのかい」と、しかめっ面で声をかけてきた。
戦後間もない時代に育ったおばあちゃんにとって、フィクションであれ、戦争というテーマがデリケートであることは、僕にもわかった。

普段、笑顔を絶やさぬおばあちゃんが初めて見せた厳しい表情。
静かだが、迫力のある声。
凛とした、真っすぐな目。
言い返す言葉が出てくるはずもなく、僕はチャンネルを変えたのだった。

おばあちゃんはと言えば、ただ気になったことを聞いただけで、僕の楽しみを奪うつもりはなかったから、バツが悪そうな顔をしていた。
「好きなものを観ていいのよ。でも、画面の中で起きていることがどういうことなのか、考えられる大人になってね」。

振り返ってみれば、おばあちゃんは長いこと小学校の教師をしていた。
自分の感情を押し付けず、子どもにもわかる言葉で諭す力は、見習いたいものである。

そんなおばあちゃんも、歳を重ねるにつれて物忘れが増えてきた。

何度も、何度も、おなじ話をする。
会うたびに同じ話をする。
会っている数時間の間、同じ話をする。
でも、僕はその話がたまらなく好きだった。

「けんたくん、あなたは会ったことがないけれど。あなたのおじいちゃんは、とてもまじめで、優しい人だったのよ」。

目を細め、弾むような声で話し始める。

「結婚して間もない頃ね、おじいちゃんが、ぼそっと言ったことがあるの。
『君は笑うかも知れないが、あの角を曲がって家の方を見るだろう。俺たちの部屋の灯がついていると、ひとりでに足が早くなるんだよ』って。
なぜかしらね、すごく心を打たれたの」。

ふたりの新婚当時の話だ。

おばあちゃんは、僕にこの話を何度もした。
話し終えた矢先に、「そういえば、けんたくん」と、思い出したかのように話を始めた。
嬉しそうに、愛おしそうに。
何度も、何度もおなじ話を。

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棺で眠るおばあちゃんの顔を見たとき、この話を思い出した。
ああ、おばあちゃんは、やっとおじいちゃんに会いに行けたんだな。
皮肉屋でリアリストな僕だけど、素直に信じることができた。
それでも、おばあちゃんっことしては寂しくて、涙が止めどなく溢れて出た。

きっと、おばあちゃんは今、この瞬間。天の川のほとりで、おじいちゃんと手をつないで歩いている。

いいオッサンになったけれど、七夕の夜くらい、そんな妄想を信じても罰は当たるまい。

永遠の乙女に、献杯。

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