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響け!ユーフォニアム 久石奏3年生編を待ちきれず盛大に妄想した全10万字(1/9) 一章:二年生後半

目次、お断り(リンク先)


プロローグ①

もうすぐ桜という季節がめぐってきた。正直、卒業式というものに大した感慨はないし、妙にガヤガヤした人の群がりも好きじゃない。
真っ白ではない少し白い息を吐く。
ただ・・・あいつにもう一度会いたかったな。もう一度一緒に演奏したかったな。
突然いなくなりやがって。

踵を返し、見えないくらいにうっすら積もった雪を踏みしめながら歩き始める。
自分にはどうしようもできないこと。でも。
だからといって忘れるのは難しい。純粋に、忘れるには惜しい。しょうがない、では片付けられない。
でも、大丈夫、一人ででも吹いていく。なぜなら私は。私には。


一章:二年生後半

四人の苦悩

「奏、来てくれたのね。」
「・・・何、三人して真面目な顔して待ってるって。リンチ?」
「・・・来年の、その、私達が三年になったときの役職の相談をしたい。」
北宇治高校吹奏楽部は10月の吹奏楽コンクール全国大会で金賞を勝ち取った。部内は浮かれだち、はたまた目標がなくなって戸惑う者もいるなか、美玲は次を見据えている。だからさつき、求も交えて四人で集まった。
「そんなの、コンクールメンバーだけでお決めになれば?」
「どうしてそんな寂しいこと・・・」
「さつきなんかに何がわかるのよ!」
「ひっ!・・・」
「久石落ち着け!」
お互いに大人気なく声を荒げてしまう。
-こんなことをしたいわけじゃないのに、コンクールという言葉が嫌でたまらない-
奏は言葉を飲み込むように制服の胸元をぐっと握りしめている。
「奏、本当にごめんなさい・・・」
美玲はひれ伏すように頭を下げる。
「なんですか、何をどう謝るつもりなのです。」
「・・・どうしても聞いてほしい。」
美玲は体を小さく震わせながら顔を上げて話し続ける。身長の高い彼女だが今はいささか小さく見える。
「だって、奏がコンクールに出られなかったのは、私のせい。チューバにパワーがなかったから、楽譜の一部しか吹けなくてもすずめをコンクールメンバーにせざるを得なかったから、出場者の・・・ユーフォの枠が減った。私にパワーが無いから。だから・・・」
「そんな・・・みっちゃんめちゃくちゃうまいじゃない、そんなこと言ったら私のほうが・・・」
「・・・それを言えば、合奏の最低音という意味では俺も同罪かもしれん。」
「なんなんですかあなたたち、自意識過剰なのでは?。久美子先輩、黒江先輩の二人がうますぎた。二人で十分、私は要らない。それだけでしょ?。それをなんなの?」
「奏、お願い、聞いて。今のあなたに届かないかも知れないけど聞いて欲しい。あなたは本当にうまくなった。そして、あなたはコンクーメンバーから外れても手を抜くことはなかった。パート練習部屋で聞いていればわかる。佳穂たち一年生の面倒もしっかりみてくれた。あなたのおかげで私達はあの厳しいつらいコンクールに挑めたと言っても過言じゃない。私は・・・あなたの才能が埋もれるのが悔しい、死にそうに悔しいの。」
「・・・まったく、いつまで続くのです・・・」
「久石、聞いてやってくれ、頼む。」
「・・・で?役職って?。そんなのはごめんです。そんな人間じゃない、私は。」
「うん、知ってる。そんなお願いできない。したくない。だから、私が次のパートリーダーをやる。徹底的にチューバの底力をあげる。自分も、さつきも。あの一年生たちも。そして低音パート内のいっさいがっさい私が請け負う。あなたへ幹部職の勧誘があってもあなたを守る、させない。」
美玲は一気に言葉を連ねた後、わずかに表情を緩め、すぐにまた引き締め直して奏に正対した。
「私、純粋に願っている。あなたには思う存分演奏してほしい。あなたの演奏には魅力がある。そんなあなたの姿を見たい、あなたの演奏を聴きたい。三人の総意なの。」
さつきは言葉を紡ぎ出せず瞳を揺らしながら必死に首を縦に振る。求は言葉こそ発しないものの眼差しを逸らそうとはしない。
「・・・みんな私のことを買いかぶり過ぎ。私は役職なんて初めから興味ない。それに・・・部活も。」
「!・・・」
「奏ちゃん!」
「久石!」
「馴れ馴れしく呼ばないで!。」
美玲がひゅっと息を呑む音をさつきと求の声が覆い、さらにそれをかき消すかのように奏は声を荒らげて地団駄を踏む。
「ごめん、うまく言えなくて。でも、私の三年生での目標は決まってるの。待ってるから、奏、いつまでも。」
美玲の弱々しい呼びかけに対して奏はそれ以上言葉を発することなく、三人を振りほどくように立ち去った。


奏の彷徨

あれから奏はほとんど部活へ来なくなった。見かけるのはたまにある合奏練習のみで、それも終われば声を交わすこともなく足早に帰っていった。それすら次第に少なくなっていった。周囲からユーフォニアムが佳穂の一人だけとはどういうことだと聞かれるが、待ってほしいと言い続けた。私だけじゃない、低音メンバー、梨々花も時々LINEを送るが、既読になるまでには何日もかかり、返信は来なかった。
同じ二年生の部員がちらほらと辞めているようだ。全国大会金賞を果たして燃え尽きたのか、厳しい練習が嫌になったのか、他の何かに愛想を尽かしたのか。まさか奏まで・・・想像もしたくない。一年前、関西大会で終わった吹奏楽部の新しい舞台となったアンサンブルコンテスト。部長・副部長・ドラムメジャーが参加したグループを押さえての得票順位だったのに。私から見たら眩いばかりのエース的存在。彼女はユーフォニアムに一途だった、私がチューバを続けようかどうか迷っていたあの時から、入部説明会で会ったあの日から、ずっと。

・・・・・・

あれからほとんど部活へ行かなくなった。ときどき楽器を吹こうかと思う日もあるが、この状態で行っても迷惑だろう。それに、上達どころかかえって奏法が崩れてしまう。
同じ二年生の部員がちらほらと辞めているようだ。私と同じ気分なのだろうか。目標がなくなると人は脆い。
そう言えば、今年は全国大会まで行ったためかアンサンブルコンテストの参加はなくなったらしい。思い返せば一年前のアンサンブルコンテストでは得票数第二位だった。自分の演奏と存在が認めてもらえたと実感できた。だが今はこのありさま。思い出すだけでつらい。
認められると嬉しかった。じゃあ今は?・・・ますます部活へ行きたくなくなる。自分の音を聴かれるのが怖い、自分を見られるのが怖い、自分の音を聴くのが怖い、自分を見るのが・・・怖い。

・・・・・・

「部長、お久しぶりです。黄前相談所はもう無くなりましたか。」
「久しぶり。もちろんいつでも、奏ちゃんのためなら。もう部長じゃなくなるから全員の面倒見なくていいし。そんな呼び方しなくていいし。奏ちゃんに独り占めされるなら本望だよ。」
「ずいぶんと気前の良いことで。」
「私で役に立つかな・・・。頑張っていればいつか報われる、ずいぶん昔にそんなことを言ったかな・・・そんな簡単な話じゃなさそうだね。」
「・・・久美子先輩は部活へ行くのが怖い時期はありましたか。」
「うん、部長になってからずっと毎日怖かったよ。やっと全国大会直前で少し楽になったくらい。・・・怖いんだ、今。奏ちゃん。」
「はい・・・私、部活へ行くのが怖い・・・どうしても行く意味を見いだせないんです。頑張れないんです。頭では残された者として、佳穂の先輩としてってわかってるはずなのに。」
「・・・そっか。」
重苦しい時間をはさみ、奏が再び口を開いた。
「どうして久美子先輩はあんなに頑張れたんですか? うまくなりたいからですか? コンクール全国金賞のためですか? それだけじゃないですよね?」
「・・・私、確かに部長のこと自分のこといっぱい頑張った。でもね、結局は目の前のことでいっぱいいっぱいだったし、正直に言うと進路を考えることから逃げたかったからかも。なんてね。無我夢中でよく覚えていない気がする。だから、奏ちゃんの聞きたいこと、感じていること、思っていること、わかるよなんて言えない、言う資格ない。今の私には、ただ、もっと楽しんでほしいって言葉くらいしか思いつかない。これも、受け売りでしかない。ごめん、なんか、もう、偉そうに話せなくなっちゃった。」
「・・・・・・」
沈黙が流れる。
「・・・あの頃が懐かしいです。」
「ハッピーアイスクリーム、同じこと思い出したかな?」
「夏紀先輩とのコンクール、ですね。」
「そう。やっぱり。こんどおごるよ。」
「・・・こんどって言われても・・・」
「奏ちゃん、二つだけ、守って欲しいことがある。」
「は、はい。」
「慌てないで。」
「・・・もう一つは。」
「もっと自分中心になって。誰かのためになんて、頑張らなくていい。」
「・・・もう少し、考えてみます。」
「ありがとうね、私に話してくれて。」
「・・・さすが黄前相談所ですね。」

次の幹部職:美玲の意地

「お呼びでしょうか、部長、ドラムメジャー。」
「みっちゃん、忙しいところありがと、もうそうやって呼ばなくていいよ。」
そこには久美子、麗奈だけでなく、緑もいた。
「緑先輩・・・なるほど、察しはつきました。」
「そう、なら話は早い。あ、どうぞ。」
麗奈は美玲を席へと促す。
「失礼します。・・・早速ですが、次のドラムメジャーであれば、お断りします。」
「・・・そう、ずいぶん早速ね。」
「ね、緑の言ったとおりじゃありませんか。」
久美子は少し引いたところから麗奈を見ている。
・・・このひとの俯瞰する能力は高い。でも、ときどきわからなくなる。今は何を見ているのだろう。・・・
「鈴木さん?」
「すみません、ちょっと考え込んでしまいました」
美玲は我に返り、会釈をしたあと、改めて口を開いた。
「もっとトランペットとかクラリネットとかサックスとか、花形楽器の人がふさわしいんじゃないでしょうか。チューバは旋律も無いですし。」
知っている人はごくわずかだが、美玲はかつて他の楽器へ転向しようと思った事があった。今では押しも押されぬチューバ奏者だが、心のなかで何か思うところがあるのかも知れない。
「本当にその理由だとしたら、ちょっと残念。違うと思うけど。」
美玲の視線が一瞬泳いだのを麗奈は知ってか知らずか小さく咳払いをして続ける。
「確かに楽器を上手に操る子はずいぶん増えた。演奏をリードできる子もけっこういる。だけど・・・まわりの楽器を聴けて、そしてまわりの楽器の楽譜を読める人は限られている。こういうのはわかっていない人にはどうしようもない。だけど、鈴木さん、あなたにはそれができる。」
「・・・そう言って頂けるのはありがたいのですが。」
麗奈は冷静な口調で続ける。
「基礎教養がないからとにかくハードな練習をするしかなくなる。理屈がわかっていないから再現性を高めるのに練習回数が膨大になる。滝先生にどんどん負担がかかる。私レベルの人間が北宇治からいなくなると思うと。」
「さすが麗奈、すっごい自信。」
「当然でしょ。ただ、私も・・・もっとうまくトレーニングできたかもとは思ってる。」
「みっちゃんにはみっちゃんの考えがあるんだよね?聞いてもいいかな。」
久美子がわずかに身を乗り出して美玲を促す。
「はい・・・私は低音のパートリーダーをやらせて頂き、それに専念したいです。」
「ユーフォによく吹ける二年生いるじゃない。任せられない?。コンクールには出てなかったと思うけど。」
「麗奈ちゃん!いくら麗奈ちゃんでもその言い方は聞き捨てなりません!チョップ!」
「・・・川島さん?」
「ごめんねみっちゃん。どうぞ続けて。」
「・・・私達の学年みんなでの話し合いを踏まえての考えです。奏は・・・幹部職もパートリーダーもやりません。やらせたくありません。それに・・・」
美玲は目を伏せて唇を噛んだ。
久美子が静かにうなだれた。緑はそれでも姿勢も視線も崩さない。
「緑は、ここで言うのはずるいかもしれないけど、みっちゃんに低音パートを託したいってずっと思ってた。今お話を聞く前から、ずっと。上手いだけじゃない別の魅力がみっちゃんにはある。久美子ちゃんも麗奈ちゃんもわからないかな。」
「なんか・・・ごめん。」
「久美子が謝ることじゃない。私のせい。」
麗奈は目を閉じて少し天井を仰いだあと、姿勢を直してややうつむき加減に言った。
「わかった・・・もうこれ以上は言いません。私が責任を持って、低音パート以外から後継者を探します。」
麗奈は視線を外してため息をついた。
「麗奈・・・珍しいね、なんか。」
「・・・まだ開花していないダイヤの原石を探して、卒業までに磨かないといけない、か。」
「みつかるかなぁ・・・」
「久美子は相変わらずね。見つけて磨くの。」
「麗奈ちゃんは磨きすぎに注意ですよ!擦り減っちゃいますよ!」
「ちょ、そうくるの?」
「緑ちゃんうますぎる。」
「久美子まで!性格悪っ!」
「あの・・・もうそろそろ良いですか?。」
「うん。みっちゃん、話してくれてありがとう。あのね・・・部長でもない一人のユーフォとして、奏ちゃんのこと・・・お願いね。どうか。」
久美子の視線は、真っ直ぐだった。部長としてではなく、去りゆく一人の最上級生として。
「最善を尽くします。約束なので。」
美玲は無意識に拳を握る。
「約束・・・」
「久美子ちゃん、麗奈ちゃん、そろそろ行きましょうか。みっちゃん、ありがとうね。来年、低音をよろしくお願いします。」
緑はきちんと気をつけの姿勢をし、時間をかけて美玲に丁寧に一礼した。久美子も続いて頭を下げた。麗奈も所在なさげだが会釈をした。美玲は一礼して踵を返し去っていった。

「・・・奏、一つ、近づけた・・・」

先輩の卒業式

「黄前部長!」
「久美子部長!」
既に現二年生に代替わりされているが、今日ばかりはかつての役職名呼びが復活しているようだ。我がユーフォニアムパートは歴代副部長・部長を三代続けて輩出している。私のひとつ上の黄前久美子先輩は部長、全国大会金賞の立役者であり牽引者だ。その前は中川夏紀副部長、その前も副部長。・・・もっとも、四代目はいないのだが。
彼女はたくさんの人に囲まれている。その周りは、当然ながら彼女とともにコンクールで演奏し闘い抜いたメンバーばかりだ。低音パートの同じ学年の三人も、今はあの人だかりの中だ。
そう、コンクールメンバーになれなかった私はそこに入ることができない。ちょうどいい、ひどく風邪をこじらせている。入試を控えている先輩もいるだろう、私は行かないのがふさわしいのだ。
そんな私のそばにひとり、一学年下の後輩がいてくれる。針谷佳穂。同じユーフォニアムで、高校になってから楽器を、音楽を始めた。長かったコンクール練習期間・・・いや、コンクールメンバーだけの合奏に参加できない個人練習の期間、一緒にいたのはもっぱら佳穂だった。
「佳穂、あまり近くにいると私の風邪がうつりますよ。ゴホゴホ。」
「気にしません。」
「あちらへ行かないのですか?」
「奏先輩といます。」
「頑固ですね・・・ゴホゴホ。」
「無理しないでくださいね。」

・・・・・・

「・・・奏ちゃん!」
奏の遠くから声が聞こえてきた。
「あの声は・・・」
声の主は人だかりから離れて 小走りにこちらへ向かってくる。
「奏ちゃん、待っててくれたの?。遅くなってごめんね。佳穂ちゃんもありがとう。」
「・・・ゴホゴホ・・・久美子先輩、ご卒業おめでとうございます。あまり近寄らないでくださいね。」
「ありがとう。大丈夫?、苦しそうだね。今日あまり吹けてなかった?」
「・・・ゴホゴホ・・・ご自分の式でしょうに。」
「・・・体調悪いのに参加してくれてありがとう。ちゃんと奏ちゃんにも佳穂ちゃんにもお礼が言いたくて。あと少し大丈夫かな?」
しばらくの無言の後、奏はやはり無言でうなずいた。
「まず、謝らせて。私、いい先輩にはなれなかった。夏紀先輩も、もう一つ上の先輩も、役職としても一人の先輩としても両立していた。でも私には無理だったよ。いろんなこと一度にできない、いっぱいいっぱいだった。ごめんね。」
「そんなこと・・・」
久美子は視線を奏から佳穂の方へ少し向ける。
「佳穂ちゃんにはほとんど奏ちゃんへお任せになっちゃって、何もしてあげられなくて、ごめんね。」
「そんなことありません!。」
「私はそれが役割でしたから。ゴホゴホ。相変わらずお話がお上手ですね。」
「ごめん。でも、ほんとうはありがとうを言いたかったの。これだけは信じてほしい。」
「疑っていませんよ。ゴホゴホ。」
「ありがとう。あと少しだけ・・・これ、奏ちゃんに託すね。」
「・・・あのときの曲の?」
久美子は荷物を全て地面に置き、そのノートを両手で恭しく奏に差し出した。手は震えていた。
奏はようやく視線を上げ始めたが、瞳は曇ったままだ。
「・・・大切にします。久美子先輩との思い出。」
久美子はノートを持つ手を少し伸ばし、奏もまた震える手で静かにノートを引き寄せようとした時、久美子がノートを強く握り返した。
「ダメ。」
「え?」
言葉とは対象的に久美子は微笑みかけてくる。瞳は潤んでいる。
「私のことよりも、佳穂ちゃんと次の新入生と思い出を作っていってほしい。あと、真由ちゃんとの思い出もできれば大切にしてほしい。なにもなかったってこと、無いと思う。」
「・・・それはそうと黒江先輩は?」
「明日遠くで入試本番だから急いで行っちゃったよ、ちょっと気の毒だった。ありがとうって言ってたよ。」
「・・・最後まで久美子先輩は説得上手です。」
「約束してくれること、信じてる。」
奏はうなずき、久美子は手の力を緩め、今度こそノートは奏の手に渡った。
「じゃあ、行くね。ほんとうにありがとう。最後は、笑お。ね。」
「・・・はい!ありがとうございました!・・・」
「久美子先輩!ありがとうございました!」
久美子は小さく手を降って、不器用に精一杯笑って、そして静かに歩き出した。その背中はようやく何かから解放されたようだった。少し先にいた長身の男子-塚本-が出迎えて、手をつないで歩いていった。
黄前久美子は、去った。名実ともに、奏には、上級生が、先輩が、いなくなった。
奏は頭を下げたままで、久美子の方を向くことができなかった。ノートを手握りしめたまま両肩を震わせ、歯を食いしばっていた。最後まで顔向けできなかった、悔しい、こんなことしかできない自分が不甲斐ない。そんな涙が奏の頬を伝った。

久美子の姿が小さくなった時、佳穂が奏に声をかけた。
「奏先輩、風邪がひどくなっちゃいます・・・行きましょう。」
「・・・私、最低な後輩だね、ゴホゴホ・・・先輩としても最低なのに・・・」
佳穂は黙ってそばにいて、ゆっくり背中をさすってくれる。
「佳穂、ありがとう。」
暖房の効いた室内へ戻り、奏はノートをパラパラとめくった。見覚えのある五線譜のページを越えた先に、何やら別の紙が挟まっている。しおり?、いやもう少し厚みがある。
ゆっくりとそのページまでめくった箇所にあったのは葉書だった。そこには付箋紙が貼り付けてある。
「奏ちゃんのチカラになってくれると思う。変わった人だけど^^。」
そう書いてあった。そして残された隙間を埋めるように、
「私のチカラが足りなくて、ごめんなさい。」
とやや歪んだ字で書かれていた。
・・・ずるいです。久美子先輩。
付箋が貼られた葉書を手に取る、鮮やかな橙色に彩られた花畑が描かれている。奏がゆっくりと裏返し、視界に入った宛名面には・・・・・・
・・・一番ずるいのは、私。
・・・一番ひどいのは、私。
・・・一番恵まれているのは、私。
奏は人目もはばからず嗚咽した。

奏の復活

今日は穏やかな陽気だ。天気がいいと心なしか足取りも軽くなる。とはいえ、ハードケースに入ったユーフォニアムはやっぱり重すぎる。学校備品にずっと軽いソフトケースがあるが、今回ばかりはそうは行かない。大切な大切な代物だ、ぶつけたり凹ませたりしてはならない。右手に左手、ときには両手、ときに置いて休憩しているが、さすがに腕も手のひらも痛くなってくる。しかたない、覚悟していたがタクシーを使うしか無いか。これなら最初から呼んでおけばよかった。やれやれと一度地面へ置いて、眺めては頬が緩む。学校備品とさして変わらないデザインのケースなのだが。我ながら単純だ。
と、後ろからクラクションが鳴った。しまった、車の邪魔をしてしまったか。楽器ケースをかばいつつ車道側から一歩遠ざかる。車はすぐ近くに止まり、自動ウィンドウがするすると下りてきた。中には若い男性が運転席に座っていた。二十歳すぎだろうか、少々身だしなみが雑で血色が良くないためか野暮ったく見える。
「それ、ユーフォニアムのハードケース?重たいんじゃないですか?よければ乗っていきませんか?」
車の中から聞こえてきたのは穏やかで明るい声だった。
なんとも親切でありがたいが、なんだか話がうますぎる。うまい話はさっき十分味わってきたというのに。
「なんでしょういったい、ナンパですか。」
しまった、興奮冷めやらぬとはいえ、なんて失礼なことを。
「す、すみません!。その・・・」
「いいですよ、こちらこそいきなりすみません。大変そうに見えたので。」
「楽ではありませんが大丈夫です。」
「そうおっしゃらず。」
「それはそうと、どうしてこれがユーフォニアムだと?」
吹奏楽を舞台にした小説やアニメが話題になり知名度はずいぶん上がったようだが、それでもこの楽器はマイナーな部類だ。しかも、ハードケースに収めてしまうと出っ張りがあるスーツケースにしか見えない。
「楽器、好きなんです。ノンコンペでも四キロ、コンペならもっと重たい。さらにハードケースだけで五キロ、合計十キロ!。さあ、怪しいものではありませんから。」
「そんな数字がスラスラ出てくるほうが怪しいです。」
「あちゃーしまった・・・ははは。」
頭をかくその表情があまりに無邪気なので、信じてみる気になってきた。それに、面白い人かも知れない。
「ですが、楽器への想いと知識は本物のようですね。」
すこし体を傾け、車の中を覗き込んだ。よく見ればおとなしそうな人だ。大丈夫だろう。
「・・・では、お言葉に甘えます。」
そのひとはすぐに車から降り、歩道側の後ろのドアを開けて促した。
「さ、どうぞ。」
車のドアを開けてもらうなど初めてで少し戸惑う。映画かドラマでもあるまいし。
「では失礼します。」
会釈をし、楽器を抱えて乗り込んだ。トランクに積み込むのは気が引けたからだ。
「おっ?。621、いや、642かな?素晴らしい楽器ですよね。」
「はあ。」
そうこう言っている間にその人は運転席に戻ってきた。腕のしびれが和らいていく。
「さてどちらへ行きましょうか?」
「○○駅までお願いします。」
「わかりました。」
車はするすると動き出した。若い男の人は荒っぽい運転をするものだと聞いたことがあるが、偏見だったようだ。まるで楽器を見守る揺りかごのようにゆったりとしていた。
「遅すぎますか?もっと速く走ることはできますよ。」
「あ、このままで大丈夫です。」
車内は会話もなく無言だった。それもそうか、今会ったばかりだ。なんだか落ち着かなくて口を開いた。
「あの・・・ユーフォニアム、吹奏楽、やられていたんですか?。」
「ええ・・・以前に少し。」
そのちょっとした言葉の中に、なにか苦しそうな、そして不思議な感慨を感じ、つなぐ言葉を見つけることができなかった。何故だろう、学校であればもっと口も頭もまわるのに、今は何も思いつかない。疲れたのか、車の振動が心地よかったのか、いつしか意識はぼやけていく。

はたと気づき、鮮明さを取り戻した景色は、お願いした駅の二つある出入り口それぞれへつながる交差点だった。
「起きましたね。ちょうどよかった、この交差点はどちらへ?」
「あ・・・では左へ。」
「はい。」
どこまでもその人の口調は穏やかで丁寧だ。ナンパなどと口にした自分が恥ずかしくなってきた。目が覚めたせいか腕と手のひらの疲労感を再び感じるがずいぶんと楽になっていた。
「もっと近くまで行きたければ、言ってくださいね。」
「ありがとうございます。では・・・あとひとつ先の交差点までお願いできますか。」
「はい・・・ここでよいですか。」
「はい。ほんとうに助かりました。あとは自分で運びます、いえ、運びたいんです。」
「わかりました。」
その人は車を停め、先ほどと同じように素早く歩道側の後ろのドアを開けてくれる。慎重に楽器ケースを下ろす。その人はじっと見守っている。
「あの、なにかお礼をさせてください。」
「そんな、いいんですよ。それより、ユーフォニアム、大切にしてあげてください。」
「はい!、頑張って練習してうまくなります!」
口をついた言葉に自分でもびっくりする。その人はニコリとする。
「あの、申し遅れました。私、久石奏といいます。」
「そうですか、奏さん、楽器演奏にぴったりな名前ですね。私は玉田といいます。」
ずいぶんとこそばゆいことを真面目に言う人だ。ちょっと赤面してしまうが、なんだか心地よい。
「玉田さん、ほんとうにありがとうございました。」

こころなしか速いスピードで去っていく車を見送りながら一度会釈をし、今日あったことを振り返った。
こんなうまい話ってあるのだろうか。まるで奇跡のようだ。
どちらも、背の高い人だった。

私は大きく深呼吸をし、拳を握った手を胸にしばらく考え込んだ。この奇跡、ものにしてみせる。ものにしなくては。
意を決した私はスマホを取り出した。しばらく既読スルーするだけだったLINE、片方向からの吹き出しが並ぶ画面を見ながら震える手で入力した。
「今まで迷惑をかけてごめんなさい」
程なく、既読の数がぽつぽつとついていく。まだ返信はない。
だめ、ここで心折れては。
「明日、練習行きます。」
あっという間に既読の数が上限に達し、そして、逆向きの色が違う吹き出しや色とりどりのスタンプが画面の上の方へどんどんスクロールされていく。目頭が熱くなる。目元を拭ってもう一度画面を見る。最後の求からのメッセージを見て、ハッとした。
「だから?」
覚悟を込めて返す。
「私、うまくなりたい。うまくなってみせる。」

続く

一つ後 二章 三年生進級~京都府大会(前)(2/9)

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