姥捨介護キリングホーム🏠❺

島井静枝はいつ老衰で亡くなってもおかしくない。頭を打ってそれが命取りになる事だってあるだろう。正直、あの息子とはもう会いたくない。もうすぐ40になる男に「言い訳するな」だ。介護は世間で言うところの最底辺の職だろう。見下すのは分かる。俺でも最近まではド底辺職にありながら人糞を扱う介護職はその中でも最底辺だと思っていた。女でもできる家事の延長なのだからと…。

8月のお盆に面倒な事が起きた。お盆の期間中15時から18時まで島井の息子が毎日来設した。食事介助や排泄介助を自分の手でするのではなく、職員の横に立ち全ての作業を監視するために来たようだ。この男も65にもなってみっともない…。職員達から白い目で見られている事に気づかないのだろうか…。やはり職員のミスが起きた。何でもないミスだ。ベッド上でオムツを交換する際に体を横にしてオムツを抜くのだが、その時島井の膝がベッド柵にコツンと当たった。これだけで息子は騒ぎ立てる。さらに、食事介助では軽く咽せただけで「殺す気か!」と。こんな事を食堂で喚かれるとそこにいる利用者達に動揺を与える。間に入りその職員を助けたくても、先日トラブルを起こした俺が間に入るわけにもいかなかった。

「どうかしましたか?」と助け舟を出したのは大島陽子55歳。うちの職員の中では勤続年数トップの大ベテランで主任だ。「やはり、お母様もこんなに愛してもらってる息子さんに食べさせてもらいたいんじゃないかしら?宜しくお願いします」と言い、スプーンを差し出した。しぶしぶトロミのついた味噌汁を母親の口に流し込む。また咽せる。職員達の視線が一気に息子に向けられると申し訳なさそうに俯いた。それ以上追い込むのは良くない。集団リンチと同じだ。この主任はいざという時頼りになる。

この日の帰りの電車は久々に小森咲子と一緒になった。1日の愚痴を散々聞かされたが、聞いてさえいればワンチャンあるかもと無駄な期待で胸いっぱいな俺…。俺より年上のくせにツンと上を向いているであろう胸の膨らみにそそられる…。自分から何かを誘うという事ができなくなってる事に今さら気づいた。小さな男だ…。もしかしたら、女の方が待っているのかもしれないという可能性も考えずモジモジしている。…どこまでアホなのだろう。女職場で働いているんだ。少ない可能性に無理矢理火をつけようとすれば、たちまち飛び火して俺の居場所は無くなるというのに…。その点、牧野知里は例外だった。あの流れであの状況ならどう考えても俺から男女の仲になる流れを彼女は待っていた。だが、俺から誘えないのを彼女は分かっていた。それで薬を盛って俺の下半身をイタズラしたのだろう。

それから数日後、俺にとって初めての「見取り」が訪れた。武田貞雄89歳。嚥下機能低下で飲み込みが悪く、胃ろうも拒否。それにも増して腎機能の低下から尿の出が悪い。体に水分が溜まり始めている。口から食べさせても気管に流れるから、それで死んだ場合介護していた人間の責任になる。よって、家族の同意も取ってある武田は「兵糧攻め」となる。なんと残酷な事だろう。寝ていても目は開眼したままだ。大きな声で話しかけると、「おはよう」くらいはまだ言える。夜勤は水野と一緒だった。水野も見取りだけは堪え難い様子だ。二人で相談して、ガーゼに水を少量含ませた物を唇に当ててみる。1日中水を与えられていなかったのだろう。「助かったぁ」と言わんばかりの表情を浮かべる。が…俺達にできる事はそこまでだった。

俺達は殺人に加担している。合法的とはいえ、これは立派な犯罪だと思う。犯罪は犯罪でも殺人だ。どうしてこれを平気な顔して実行できるのか…。あらゆる意味で最底辺の仕事だ。間違っても「やりがいのある良い仕事だよ」などと人に勧める仕事ではない。武田はその日を含め4日も生きた。最後に何かと闘って死んでいったように思えた…。体をきれいに拭き上げ、居室の一番マシな服を着せてあげる。「おくりびと」みたいな事も介護の仕事に含まれる。そこまで聞かずにこの仕事に就いた俺は、命に関する覚悟が全くできていなかった。こんな事は「ポックリ」も含めると年に2回か3回は覚悟が必要らしい。

うちの施設は入居後、月に1度顔を出す家族もいれば2ヶ月に1度の家族もいるが、殆どは全然顔を出さない。半年か年に1度だ。面倒なのだろう。あらゆる意味で…。中には親を恨んでる息子や娘もいる。そうなればここは文字通りの『姥捨山』だ。俺もその気持ちは分かる。親を恨んでるタイプだ。必要な物だけ電話でお願いして送ってさえもらえれば文句はない。だけど、死ぬその時まで誰も来ないとなると家族に一言くらいは言いたい事も出てくる。いくらなんでも寂しいじゃないか…。この年で独り身である事に突然不安を覚えてきた…。

☆フィクションです。

気が向いたら投げ銭でもしてください。バナナと納豆を毎日食べたいですw


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