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【自然の郷ものがたり#3】阿寒摩周国立公園で考える 持続可能な観光と環境【座談会】


雌阿寒岳や雄阿寒岳、阿寒湖などがある阿寒地域と、摩周湖や屈斜路湖を有する摩周地域からなる阿寒摩周国立公園。2つのエリアは阿寒横断道路で繋がっていますが、それぞれの地域で活動するプレイヤーが地域全体の未来をともに考える機会は、これまであまりありませんでした。

そこで本企画では、阿寒地域と摩周地域で働く若い世代の方々が、地域の未来について語り合う座談会を実施。その模様をお届けします。

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▼プロフィール(左から)
藤原 仁(ふじわら じん)
1972年生まれ、神奈川県出身。アウトドアガイド。大学時代から北海道で暮らし始め、現在までアウトドアガイドとして弟子屈町川湯エリアで暮らす。リバー&フィールド所属、二足歩行代表。
榎本 竜太郎(えのもと りゅうたろう)
1980年生まれ、弟子屈町川湯出身。「お宿 欣喜湯」4代目。中学生から本州で暮らし、旅行代理店勤務を経て、2011年から家業のホテルで働き始める。2017年から株式会社川湯ホテルプラザ代表。
松岡 篤寛(まつおか あつひろ)
1980年生まれ、釧路市阿寒町阿寒湖畔出身。阿寒観光ハイヤー代表。高校から阿寒湖を離れるが、2003年にUターンして家業のタクシー会社で働き始める。2005年から阿寒観光ハイヤー代表/くしろロコサイクルプロジェクト代表。
安井 岳(やすい がく)
1980年生まれ、帯広市出身。ネイチャーガイド。2001年に阿寒湖に移り住み、阿寒ネイチャーセンターにて自然ガイド・カヌーガイドを務める。

※この記事はドット道東が制作した環境省で発行する書籍「#自然の郷ものがたり」に集録されている記事をWEB用に転載しているものです。

阿寒摩周国立公園で暮らす、それぞれの理由


—みなさんは、もともと阿寒摩周国立公園のエリアが地元なんですか?

藤原 僕は神奈川県出身で、大学から北海道に来ました。卒業後に釧路川でカヌーガイドを始めた友人に誘われて、弟子屈へ引っ越してきたんですよね。最初は腰掛けのつもりだったんですけど、気づけば、こっちに住み始めて22年目になります(笑)。道東というエリアに、まんまと魅了されてしまって。
 とにかく広いんですよ、道東って。だだっ広い。そこが魅力ですね。それに、冬でも晴れの日が多いから、鬱々した気持ちにならないのもいいです(笑)。

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榎本 僕は川湯で生まれ育って、中学からは進学の都合で大阪に住んでいました。大学と就職は東京だったんですけど、2011年に家業の旅館を引き継ぐために川湯に戻ってきたんです。なので、川湯での暮らしと、外での暮らしがちょうど半々くらいですね。
高校生までは地元に帰ってくるか迷ってたんですけど、大学の頃には家業を継ぐつもりでいました。潜在的に「いつかは川湯に戻る」という気持ちがあったんだと思います。

松岡 私も中学卒業までは阿寒湖に住んでいました。そこから地元を離れて大学まで進学したんですけど、ちょうど就職活動をしていたときに、JRが北海道のキャンペーンを行なっていたんですよね。そのポスターに阿寒の森の動物が使われていて。それを見た瞬間に、なぜかボロボロと涙が出てきたんです……。
それまでは別に阿寒のことを考えたりしてなかったんですけど、心の奥にはやっぱり故郷に帰りたいという気持ちがあったんでしょうね。それで、2003年に戻ってきて、父が経営しているタクシー会社に勤めることになりました。だから、あのときにJRが北海道キャンペーンをやっていなかったら、全然違う人生を歩んでいたかもしれません(笑)。

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安井 僕は帯広出身で、父が日高山脈の登山ガイドをやっていたので、ずっと山奥で育ちました。阿寒に来たのは2001年からで、こっちで父が立ち上げた会社を手伝うようになって、そこからガイドとして活動しています。こういう静かな雰囲気が好きだったし、同世代の人も多かったので、そういう出会いのおかげで20年近く居続けられているなと感じています。
阿寒摩周には小さなガイド会社が多いんですよ。というのも、道南や道央に比べるとお客さんが少ないですし、オフシーズンが長いので、会社を大きくして、たくさん人を雇うってことが難しいんです。
だから、みんな夏場はカヌー、冬場はスキーみたいな感じで、いろんなガイドをしていますし、必要に応じてお互いをヘルプしながら仕事をしています。

持続可能な環境と観光のバランス


―阿寒摩周国立公園へ来るお客さんは、どの辺りからいらっしゃる方が多いんですか?

安井 うちは阿寒を中心にガイドをしてますけど、お客さんはほとんどが道外の方ですね。

藤原 弟子屈も、道外からのお客さんが8割くらいかなぁ。

―ガイドをされているお2人から見て、このエリアに遊びに来る方々が求めているものは何だと感じますか?

藤原 やっぱり、人の少なさじゃないですかね。このエリアの特徴っていうと、そこかなぁ。
北海道が好きな人って、どんどん東に向かっていくんですよ。人里を離れ、ワイルドな環境を目指して。道東は、北海道の中でも自然が近い距離にあるし、異国感がありますよね。

安井 僕も、人が少ないっていうのが、このエリアの一番の魅力だと思いますね。そういう感覚が、僕らガイドと、このエリアに遊びに来てくれるお客さんとでマッチしてるんじゃないかなと。
だから、アクセスが悪いっていうのは、道東の武器だと思っています。

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―なるほど。ただ、タクシー会社を経営されている松岡さんからすると、人が少ないというのは商売の難しさに直結するのかなと思うんですが。

松岡 そうですね。タクシー会社としては地域に住んでいる方が多いほうがいいんでしょうけど、阿寒湖に関して言えば、自然環境のキャパシティに対して、今の人口くらいがちょうどいいのかなと思います。
阿寒湖って人口が1000人程度で、宿泊のキャパが5000人分ぐらいあるのかな。なので、時期によっては6000人くらいが、この町に滞在しているんですよ。その人たちが使った排水を流すということは、少なからず環境に負荷をかけているわけじゃないですか。
そう考えると、これからは「もっと観光客を増やしましょう!」という時代ではないのかなと思いますね。

安井 みんなが地域のキャパを上手く認識できればいいですけど、そこはやはり商売との兼ね合いになるので難しいですよね。いっぱいお客さんが来れば儲かるけど、それだけを追い求めていいのかってことは、ちゃんと考えなきゃいけない部分だと思います。
阿寒湖温泉は、最盛期で年間100万人以上のお客さんが来ていました。だけど、それは明らかにオーバーユースだったんですよね。今は半分近くまで減ってますが、自然環境はどんどん回復しているんです。

松岡 昔は、夏になると阿寒湖がものすごく臭かったんですよ。下水が全て湖に垂れ流しになっていたので。環境保護みたいな意識は、ほとんどなかったんだと思います。

安井 そこからまず下水処理場ができて、観光客の方も減って、今は阿寒湖も周囲の森もだいぶ綺麗になってきています。
そういうことを考えると、もし今の水準でもこのエリアの人たちが暮らしていけるなら、観光と環境のバランスを保ちながら生活していったほうがいいんじゃないかなと思いますよね。それが、持続可能な地域のあり方なんじゃないかなと。

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―観光客の数が減ったことで自然環境が良くなったという一方で、旅館としては観光客が減ると直接的な打撃を受けますよね。その辺りのバランスについて、榎本さんはどのように捉えてますか?

榎本 難しいですよね。私たちを含め川湯の宿泊施設は、温泉という資源を利用して営業しているところがほとんどです。なので、宿泊施設が増えれば増えるほど温泉は枯渇していくんです。
うちも最盛期は源泉まで30メートルくらい掘っていたんですけど、今はお湯の量が地上近くまできています。つまり、宿泊施設が減少した影響で、使用される湯量が減って、水位が上がってきてるんですよね。

―前は使われていたお湯が、余ってきてるってことなんですね。そもそも温泉って、使えば使うほど減っていくものなんですか?

榎本 それは自然のものなので分からないんですよ。例えば、僕が中学生くらいのときに釧路沖で大きな地震があったんですけど、そのときには3日間、川湯の温泉が止まったと聞いています。そうやって、いつどうなるか分からない資源なんです、温泉って。
そう考えると、我々にとっても環境と観光のバランスというのは非常に大事で、僕個人としては拡大路線ではなく、来てくれたお客様の満足度を上げていく方向に進むのが重要だと思っています。

―ガイド業も、タクシーや旅館のお仕事も、結局は環境と観光のバランスが重要ということでしたが、今のようなお話って、業種を超えて議論する機会もあるんですか?

榎本 うーん、川湯では定例的にやっている会議もありますけど、持続可能性のある観光地を目指すというような題目ではないですね。

安井 ガイド同士も、そういうことを話し合う機会はありません。でも、みなさんの話を聞いていて、阿寒も川湯も同じようなことを考えてるんだなと思いましたね。

藤原 僕も安井さんや松岡さんの話を聞いて、同じことを思いました。考えてることは一緒だなって。仕事で行き来することはあるんですけど、わざわざ話をするために集まるってことはないんですよね。阿寒横断道路を越えるっていうのは、お互いになかなかハードルが高いことなので。

安井 そうですね。だけど、ずっと阿寒とか、ずっと川湯だけにいると、良くも悪くも落ち着いちゃう部分があるので、たまには外へ出て自分から刺激を求めないといけないなと思います。

藤原 そうだね。たまにはカルデラから出て、外の世界を見に行かないとね(笑)。

松岡 カルデラの中は居心地いいですからね(笑)。

一同 (笑)

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藤原 でも本当に、外の人と話すのは大事だと思います。今みたいに、この地域で環境保全というテーマが考えられるようになったのも、わりと最近の話なんです。僕は弟子屈で20年ガイド業をやってますけど、そこまで手が回せない状況でしたから。
 ここ数年で、SDGsとか持続可能という言葉が浸透してきて、環境保全に対する関心が高まっているじゃないですか。だから、せめて我々の世代からでも、この地域の自然を未来に残していく取り組みをしなくちゃいけないと思っています。

安井 僕がガイドを始めた頃って、観光のピークが過ぎて、環境が回復し始めてきた時期だったんです。だからこそ、落ち着いて環境保全に向き合えるというのはあると思いますね。

松岡 昔って、阿寒にも大型観光バスがガンガン来てたんですよ。でも、そういう旅行客の人たちって、別に阿寒湖じゃなくてもよかったんだと思うんです。温泉があって、おいしいご飯が食べられれば。
 そういう時代を経て、観光のピークを過ぎたときに、我々はどういう町を目指していくのか。それを真剣に考えるタイミングにきてるなと思いますね。

安井 そういう意識改革って時間がかかりますけど、コロナの影響でいろんなことがストップした今っていうのは、ポジティブに捉えれば良い機会ですよね。
 アウトドアツアーへの参加者は、明らかに団体客から個人旅行者へとシフトしています。「どこでもいいから温泉とおいしいご飯があるところ」ではなく、明確に阿寒の雰囲気を好んで来てくれてる方も多くなってるんですよね。そういう意味でも、今のような静かで落ち着いた雰囲気を、僕らは守っていかなきゃなと思っています。

次世代に残したい地域の宝

—みなさん、お休みの日はどんなふうに過ごされていますか?

榎本 最近は子どもが野球を始めたので、キャッチボールをしたり、あとは釣りに行ったりですかね。自分が子どもだった頃も、そこら中を自転車で走り回ったり、野球したりして遊んでたので、あまり変わらないなと思ってます(笑)。

藤原 うちもよく子どもと釣りに行きますけど、ここは湖も海も川も、1時間以内で行けるんですよ。だから、釣り好きとしてはたまらない環境ですね。

—子育てをする場所としても、阿寒摩周国立公園エリアはいい環境だと思いますか?

榎本 そうですね。ただ、学年が上がっていくごとに、部活や進学の選択肢が限られてくるっていうのはあって。
うちの子も、少年野球のチームに入るには、阿寒や標茶まで行かなきゃいけないんです。それは子どもにとっても、親にとっても負担ではありますね。
だから、豊かな自然のなかでのびのび過ごすのか、やりたいことをやるために地元を離れるかという選択が必要な時期は来ると思います。僕自身も、野球がやりたくて中学から地元を離れたので。

松岡 僕の場合、同級生の大半は進学や就職で外に出ていったままで、地元に残っているのは5人くらいしかいません。
この辺りって、やっぱり観光関係の仕事をしている家が多いんですけど、そういう仕事って土日はもちろん、夏休みとか冬休みとか、みんなが休みのときに働くじゃないですか。
小さい頃は、それが当たり前だと思っていたんですけど、離れてみてから自分は特殊な環境に暮らしていたんだなと気づきました。
そういうことを考えると、土日休みの仕事を求めて外に出ていく人たちの気持ちも分かります。

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安井 ガイドの仕事もまさにそうで、僕も子どもの頃は夏休みに親と遊びに出かけた記憶はないですし、自分の子どもたちともあまり遊んであげられませんでした。家族で出かけられるのは、年に数回だけです。
それに、高校進学のタイミングで家を出た子どももいるので、実家から通う子に比べたらお金もかかります。
もちろん、都会ではできない経験はたくさんありますが、地方のほうが子育てにお金がかかるというのはあると思いますね。

藤原 そういう面は確かにありますよね。ただ、こっちに移住してきた身としては、やっぱり北海道の自然のスケール感は何物にも代えがたいなと思います。

松岡 自分も小さい頃から湖で遊んだり、自転車に乗ったりと、本当に自然が近い環境で生まれ育ったんだなってことに、地元を離れてから気づいたんですよ。「自分が当たり前だと思ってた環境は、どこにでもあるものじゃなかったんだ」って。
だから最近は、利用者が減少したサイクリングロードの利活用をする団体を立ち上げて、隣接するスキー場のゲレンデを夏場にマウンテンバイクで走れるアクティビティを始めたんです。
しばらくは誰も使ってなくて、私が仕事で嫌なことがあったときにひとりで走ってただけなんですけど(笑)。
今は利用者も増えてきて、去年はマウンテンバイクの大会もやったんです。そこで、地元の高校生が優勝したのを見てたら、なんかすごく嬉しくて。

—忘れ去られていた場所が、再び人が集まる場所になったんですね。

松岡 そうなんですよ。ここに住んでいる中高生の多くは、いつか地元を離れるタイミングが来ると思うんです。だけど、ふとしたときに、「そういえば昔、マウンテンバイクで遊んでたよな」とか思い出してくれたらいいなって。そういう阿寒ならではの体験を、若い世代の人たちに残していきたいなという気持ちは、年々強くなっています。

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自分の大切な町を守っていくために

—阿寒摩周国立公園のエリアで暮らしていく上で、今後この地域がどうなっていってほしいという思いや展望はありますか?

安井 個人的には、今の状況をどう維持していくかが重要だと思っています。変に欲張りすぎず、反対に水準を下げすぎたりもせず、そのギリギリの境目を維持していくというか。
ガイドの仕事は、観光と環境保全の境目にあるんです。仕事をする上で、自然に対して最低限の負荷はかかってしまう。
だけど、保全の考えがいきすぎると自然を体感する機会が失われてしまいます。なので、そのバランスを見ながら、なるべく持続可能な暮らしをしていきたいなとは思いますね。
それぞれ生活もあるから、綺麗事ばかりではやっていけないんですけど。

藤原 僕は、基本的に楽しく暮らしていければいいなと思ってます。だから、仕事ありきではなく、いかに地域の人たちと仲良く、楽しく暮らしていけるかを考えてますね。
とはいえ、この地域の環境に惹かれて住んでいるので、楽しく暮らしていくためには自然をきちんと守っていく必要もあります。
ここ数年、大雨で屈斜路湖の水があふれたり、雪が少なくなってきたりという変化があるんですよね。
そういうのを目の当たりにしていると、人間だけではなく、この地球に暮らしている動物や植物のことも考えながら、いかにして未来に自然環境を残していけるかということは意識します。
ただ、あくまで楽しくという気持ちは忘れずにいたいですね。そうじゃないと、自分自身が詰まってしまうので。

摩周・屈斜路_10

—自然のために自分を犠牲にするのではなく、あくまで共存できる道を目指して。

藤原 そうですね。最近は、子どもたちのほうが環境保護に対するアンテナが高いし、情報も豊富なので、彼らに対しても恥ずかしくないような生き方をしていければいいなと思っています。

榎本 私は、抽象的な話になっちゃいますけど、川湯で働くことや住むことが誇りになっていったらいいなと思っていて。そのために、我々が民間事業者としてできることを少しずつ進めています。
例えば、スタッフの労働環境や住居環境の改善ですね。
そういうことをしていかないと、いい人材は来てくれませんし、すぐにスタッフが辞めてしまうようだと事業としても継続性がないですから。
先ほどお話したように、自分たちの子どもも進学のタイミングで一度は町を出ていくと思うんです。
でも、その後で「地元に帰りたい」とか「家業を継ぎたい」とか、そう思ってもらえるような町にしていきたいなって。ちょっと漠然としてますけど、そのために民間事業者としての役割をしっかりやりたいと思いますし、行政にも働きかけていきたいです。

—川湯について、榎本さんがそこまで強い思いを持って活動されているのは、やはり郷土愛なんですか?

榎本 それもありますけど、半分は意地ですね。そっちのほうが強いかもしれないです。経済規模としては小さくなってきてますけど、川湯は本当に人が良いんです。
人との繋がりの強さっていうのは、帰ってきてから10年ですごく感じていますし、みんな応援してくれるんですよね。
それがプレッシャーになってるところもあるんですけど(笑)。
でも、やっぱり周りの期待に応えたいという意地があるので、川湯をもっと良くしていきたいです。

藤原 いやぁ、同じ川湯なのに、「楽しく暮らしていればいい」なんて言っちゃって恥ずかしいです(笑)。

一同 (笑)

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—松岡さんはいかがですか? 今後の展望があれば聞かせてください。

松岡 榎本さんの後で話すのはプレッシャーですね(笑)。
だけど、お話を聞きながら、我々に共通するのは、この場所が故郷だという点なんだなと思って。
私は、故郷がなくなってしまったら、自分を維持できないような気がするんですよね。だから、帰れる故郷がいつまでもあってほしいと思ってます。
阿寒は小さな町ですけど、湖で釣りができたり、山でマウンバイクに乗れたり、地域のお祭りがあったり、働くときはちゃんと働くっていうメリハリがあって、すごく良いところなんですね。
そういう大切な場所なので、次の世代にできるだけ今の状態のまま引き渡せるようにしたいと思っています。

藤原 2020年に、弟子屈で摩周・屈斜路トレイルっていうのがオープンしたんですよ。その名のとおり、摩周湖、川湯を経由して屈斜路湖までを繋ぐトレイルコースなんですけど、阿寒まで延ばしたいねって話もあって。

松岡 トレイルって、繋がってなんぼじゃないですか。やっぱり隣町でそういう活動をしているのを見てると、繋げたいなと思いますよね。
完成してすぐにたくさんの人が来ないとしても、50年後とか、もっと長い目で見たら、阿寒と弟子屈を繋ぐトレイルコースは地域にとっての宝になると思うんです。
もし、我々の世代が恩恵を受けられなくても、自分たちがやらないと次の世代には何も残らないじゃないですか。だったら、自分たちがやる意味はありますよね。

取材・執筆:阿部 光平
撮影:國分 知貴・.doto編集部

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