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町から町へ越境しながら「自分ごと」を増やす 【ドット道東インタビューvol.5 中西拓郎】

道東エリアに散らばる点と点をつなぎ、『道東』の新たな輪郭をつくることをステートメントとして掲げて活動を続けてきた(一社)ドット道東。法人設立後、最初に実施したプロジェクト、道東のアンオフィシャルガイドブック『.doto』は累計発行部数1万部を記録。活動の中心を担ってきたクリエイターだけに留まらず、多くの道東のプレイヤーや道東に想いがある人を見える化したプロジェクトでした。

繋がりを、さらにその先へ。

ドット道東はこの春、『理想を実現できる道東にする』というビジョンを新たに掲げ、次のステージへの一歩を踏み出しました。

このインタビューは、ドット道東のこれまでとこれから、実現したい道東の未来について、メンバーの想いを綴ったインタビューシリーズです。

ドット道東インタビューの最後は、故郷である北海道北見市で暮らしながら、SNS全盛である今「直接会う」「直接話す」の価値を捨てず、広大な道東内を年間約100泊しながら駆け回る、ドット道東の代表理事・中西拓郎。多岐にわたる活動を通して「町から町へ越境し、“他人ごと”を“自分ごと”にしていきたい」という情熱の原動力について語りました。

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「遡上したての鮭のような勢いと、採れたてのじゃがいものような素朴さのある青年です」

中西拓郎くんのキャラクターを人から問われるとき、いつの間にかそう答えるのが定番になった。

「いつも面白そうなことしてるねえ」とふっかけると、「いやあ…大変なことの方が多いんすよ」と目を伏せながら微笑む。
そんな謙虚さとは裏腹に、ローカル領域で活躍するゲストに真冬の道東を怒涛のスケジュールでガイドした「道東誘致大作戦」(2018年)を皮切りとして、豊富な人脈による斬新な企画力で歩みを止めず、いまや押しも押されぬ「道東の顔」だ。

ローカルな相談ごとを持ちかければ、秒で答えが返ってくる引き出しの多さ。イベントに誘えば、どんなに離れていても都合がつく限り駆けつけるフットワークの軽さ。
反面、どこかとぼけていて、笑顔でポリポリと頭をかいているようなイメージも抜けない。活躍を重ねても変わらぬ佇まいで、いつも敬語を崩さず、意外なほど自分語りもしない。

いったい私は彼の何をどこまで知っているのだろう。インタビュアーに指名されたのが、数多の人材がいる道東内において、私である意味は何だろう。そういえば、まだ一緒に飲みに行ったこともない。

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同じオホーツク地域の、生まれ故郷である片田舎でお互いにリトルプレスを自主的に発行し、突飛な企画を無鉄砲に連発。面白そうなスポットと人あれば、距離を問わず泥くさく足を運ぶ。

オホーツク最大の中核都市である北見市と、世界自然遺産を擁する知床半島・斜里町という居住地の違いはあれど、常々シンパシーを感じていた共通項を掘り下げることから始まった。
しかし、同じだと思っていた部分は微妙に、いや、絶妙に違い、核心をつかみかけたと思ったらあちこちに話が飛び、最終的には中西くんの深い「道東愛」に打ちのめされる展開になりました。

長くなりましたが、お読みください。

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(中西くんと初めて出会った、北見市の美容室/カルチャー発信基地「WORLD LOVE hair+make-up」にて)

中西 拓郎
1988年生まれ、北海道北見市出身。一般社団法人ドット道東・代表理事。防衛省入省後、2012年まで千葉県で過ごし、Uターン。2015年、『道東をもっと刺激的にするメディア Magazine 1988』創刊。2017年、一般社団法人オホーツク・テロワール理事・『HARU』編集長就任。2019年5月、道東の主体的な活動を促す共同体・一般社団法人ドット道東を設立し現職。ローカルメディア運営他、編集・プロデュース・イベント企画に『道東誘致大作戦』など。幅広く道東を繋ぐ仕事を手がける。
執筆者
中山よしこ|北海道斜里町在住。札幌市からUターン後、地方紙記者を経て2011年に斜里町内の仲間と「シリエトクノート」を創刊(休刊中)。以後、DTPオペレーターとライターの傍ら、知床に来訪するアーティストとワークショップや展示を企画する「アーティスト・イン・シリエトク」や、移動古書店「流氷文庫」等で節操なく活動中。

はじまりはリトルプレス

―私と中西くんは、道東のオホーツ地域で生まれ育ち、それぞれ進学や就職で地域外に移住した後にUターンしてリトルプレスを立ち上げ、派生したローカルなプロジェクトに携わっていくという共通点があります。
中西くんが一人で執筆からデザイン、営業まで手掛けていた「Magazine 1988」の創刊(2015年)はすごく印象的でした。全国的にリトルプレスが花盛りな中、オホーツクにもその波がきたな!と。作るきっかけは何だったんですか?

高校卒業後、防衛省に入省して千葉に住んでいたんですけど、同じように北見から関東に移住している友達がたくさんいたんです。
皆と「いつかは地元帰りたいよね」と話しつつも、当時は北見のリアルな情報を得られるような判断材料が全然なかったんですよね。

―判断材料というのは、今どんな人が住んでいて、どんな仕事やお店があるのかというような情報?

ですです。果たしてUターン後に楽しく暮らせるのか、自分たちの求めている情報に行き当たらないもどかしさがありました。誰もやらないなら「北見でメディアを作ろう」、で、そもそも雑誌が好きなので「じゃあ紙媒体にしよう」と。
それで、5年間暮らした千葉を後にして、よく通っていた北見のセレクトショップ「DEF JAM」から、当時、市内で発行されていたフリーペーパー「BIS」の制作会社を紹介してもらって働き始めたんです。まず、一から勉強させてもらおうと思って。1年くらいいて、デザインやカメラに関して最低限のことを覚えて、そこから先は独学です。

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▲Magazine 1988

―北見市くらいの規模の地方都市で、紙媒体の下積みから始められるのってラッキーですよね。「地元に帰りたい」というはっきりした思いの根本は何だったんだろう。私は都会の情報量に疲れてなんとなくUターンしたものの、いつかはまた戻ろう…と思っていた方だから。

僕も都会に憧れがあったので、千葉での生活も刺激的で楽しかったんですよ。でも、ずーっと出稼ぎ感が抜けなかった。
生活の基盤はそっちなのに、盆と正月に北見に帰省したときの「ああ帰ってきた!」という安心感とは逆の違和感。
高卒だったので、防衛省ではいわゆる高級官僚にはなれなかったんですけれど、超頑張って出世できたとしても定年退職後の自分の席にはまた違う人が座るであろう未来が見えて、すごく虚しくなってきたというか。

―大きな組織では歯車の一部であって、自分の個性は活かせなかった?

そこへの絶望感はありました。例えば、東日本大震災のとき、自衛官のように被災地へ救助には行けないんですよ。僕はオフィスに留まって事務仕事をする後方支援だから。それも大事な仕事ではあるんですけどね。
「こんなことしかできないんだな」というもどかしさや、無力感もあって、自分がいなくても、また明日も組織は動いているんだと気付いたとき、自分にしかできないことをやりたいと思ったんですよね。

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―私は雑誌と本だけを田舎ライフでの心の支えにしていたから、作り手になりたいと思ったんです。たまたまデザインの学校に進んだけれど、デザイナーでもライターでもよかった。紙媒体が好きだから、いっそ「中の人」になりたかった。それとはまた、思いが違うよね。

そうですね。作り手への憧れがあったわけではなくて、地元の情報が得られにくいという課題を解決する手段として、紙媒体にたどり着いた。
だから逆に、ものづくりを突き詰めている作家性の強い人もうらやましいですよ。
僕は、相手ありき。困っている誰かのために何かを提案することが多いので、合気道とか大喜利に近いです(笑)

アンオフィシャルガイドブック「.doto」秘話

―ドット道東の存在は、これからクリエイターを目指す道東民にとっても大きな希望の光だと思います。今は、スマートなPRのスタイルや見栄えのするデザインもシェアしやすくて、個性を出していくのが大変な時代だと思いますが、どうでしょう。

それは思いますね。普通に生活してたら自分が本を出版できるなんてなかなかイメージできないじゃないですか?(笑)
それが今は技術の発達で、誰でも見よう見まねで一定のレベルのものが出来ちゃう。そこに差がつきにくい、個性が出にくいというのはある。
だからドット道東では「超クオリティの高いものをつくろう」という方向ではなくて、つくる過程自体を楽しんだり、あえて見せるようにしています。
盛大な「ごっこ遊び」というか、「雑誌を作っちゃってるよ!」「売っちゃってるよ!」って。

そこで協力してくれる人や応援してくれる人が増えて、さらに売り上げが伸びたりする。そうすると一つひとつの過程がみんなで楽しめるんですよね。

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―昨年、私もライターとして参加させてもらった、ドット道東アンオフィシャルガイドブック「.doto」も面白かったです。普通のガイドブックだとまず地図や観光スポットごとの紹介があるけれど、「.doto」は、道東全体が大きなグラデーションとなって一体化している感じがしました。どういう編集方針だったんですか?

というか、正式な編集会議はやってないんです。全体をみて役割分担するというよりも「それぞれの担当記事でベストを尽くそう!」みたいな感じです。各試合、タイトルマッチだけ決めて「それぞれ盛り上げてくれ!よろしく!!」って(笑)。
ドット道東の活動自体、そういうことばかりなんです。いろんな人が上がりたくなるような舞台を作ること自体が役割だと思うので。

僕はガイドブック全体を統括するポジションではあったんですけど、最後に原稿が上がってくるまで、皆が何を書いているのか把握していなかったんですよね。せいぜいタイトルくらい。
そして各コンテンツのチーム同士、対抗意識や試行錯誤もあるがゆえに、原稿もデザインも一向に上がってこない(笑)。
やっと初校が上がって思ったら、2校でガラッと変わる…みたいなことが、めっちゃあったんですよ!

良い意味で「初校でもダサいものを見せたくない、他のチーム負けたくない」という意識ゆえに、熱量は高かったと思います。

―なるほど。ガイドブック内で激しいタイトルマッチが繰り広げられていたとは!

上がってきた原稿はそれぞれ執筆した人も地域も違うけれど、生き方とか生き様を伝えるという共通点があって、それはガイドブック冒頭の「道東で、生きている」というコピーに集約されています。観光スポットだけではなく、道東での生き方を伝えるガイドブックなんだ、と。

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意図的にそういうものを作ろうとしたというよりも、出揃った原稿を見たらそうだった。みんな同じ気持ちだったんだと思ったら、グッときました。もう二度と、同じことはやれない。ドラゴンボールの元気玉みたいな1冊です。評価されたのは、そこに共感してくれた人が多かったからでしょうね。もともと、道東は「じゃない方(ほう)」の土地だったので。

―ああ。「札幌じゃない方」「都会じゃない方」「地味な方」(笑)

はい。そういう場所で、内に秘めていた思いがあって、それを「道東」という共通のキーワードで結実できたことが、ガイドブックの収穫です。
そういえば、ライターとして関わってくれた(絹張)蝦夷丸がめっちゃいいことを言ってて。

「こんな本が欲しかったというよりは、こんな事が起こってほしかったって思ってた事が起きてるって感じです。」って。

▲.doto発行時に公開した絹張蝦夷丸氏のnote

中西拓郎から見た、ドット道東メンバー

―中西くんから見た、ドット道東のメンバーそれぞれの人物像を教えてもらえますか。

みんな一人親方だったので、初めはチーム作業が探り探りだったと思うんですよね。でも、個人で請け負う仕事の限界もそれぞれに抱えていたし、プロジェクトを1つずつこなす内に、「このまま一緒にやっていこうか」となったのはうれしいです。
もっと馬の合う昔からの友達とか、馴染みのコミュニティの中で自然にできた団体ではなくて、共通点は「道東」だけ。考え方も趣味も違うメンバーが地域課題を解決するべく結集したのは、マジで奇跡的だと思うんですよね。

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▲撮影:原田 啓介

神宮司亜沙美(写真左端)
チームビルディングやオペレーションに関するバックオフィス構築の役割を担ってくれています。結婚して、育児して、地元で起業もして、積み重ねてきたしなやかさと強さがあります。僕や(名塚)ちひろちゃんがノリで楽しいほうに流されそうになるとき、ちゃんと手綱を引いてくれる人。実際、メンバーの中で一番年上ですし、社会性の指針として頼りにしています!

野澤一盛(右端)
僕が企画の言い出しっぺになるとしたら、しげちゃんはそれに対して着実に実装し、内容を肉付けしてくれる、名バイプレイヤー的な存在。場面を問わず、重宝されるんですよね。道東誘致大作戦後の2019年からの途中加入なので、本人はそこに引け目を感じていたのかもしれないけれど、年齢も感覚も近いし、なにより女性のほうが多くて強いメンバー内で唯一の男性なのでめちゃくちゃ頼りにしています!

須藤か志こ(右から2番目)
出会ったときは、まだ大学生(はこだて未来大学)だったにも関わらず、記事の執筆からスケジュール調整、クライアントとの連絡まで何でもこなす、ハイスペックの持ち主。賢いだけに無茶しない性格なので「不確かなことを形にしていく」ドット道東の活動は時に苦痛だったと思いますが、乗り越えて結果を出している。さらに自信をつけて将来的にドット道東の「顔」になってほしい!

名塚ちひろ(左から2番目)
ちひろちゃんの美意識に全幅の信頼を置いていて、自分のビジョンがダサくないか否かジャッジしてもらったり、デザインのみならず広い意味で助けられています。地方都市で育って、かつては東京に憧れがあった点でも感覚的に自分と一番近い。能ある鷹は爪を隠すといいますけど、もっとガンガン爪を出してってほしい。どんな企画でも一緒に駆け抜けてくれる心強さがあります!

境界線をまたいで、後押しできる存在に

―今はいい流れですか。紙媒体だけではなく、SNSや動画での発信やクラウドファウンディングだとか、課題解決のためのツールがすごく増えて、平行してそれらの仲間も増えていて。

公務員のときはAdobe(クリエイター向け画像編集ソフトウェアなどの世界最大手)の存在も知らなかったんですけどね(笑)
こっちに帰ってきてメディアを作る側になってから初めて編集ソフトを覚えて「これ便利っすね!」みたいな。
それが24歳のころで、今は32歳。だいぶ遠くまで来た感はあります。一人でリトルプレスを作っていたころは、周囲に同じような志で頑張っている人の姿さえ見えなかったし。

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―確かにそうかも。ローカルで新しい分野のチャレンジをしたら、目立つ一方、孤立というか「自分たちぼっち」になりがちというか…ね…。

何かチャレンジしようとしているときに「いいね」って後押ししてくれる存在がいないと、一歩踏み出せないですよね。
町単位でみると、そういう存在が限られちゃうけれど、道東全体までエリアを拡大してアピールすれば、共感してくれる人は増えますよね。

北海道は広いぶん町と町が分断されがちなので、そこのコミュニティや経済圏がもう少し溶けあうと、都市でしかできなかった試みが「ここでもやれる!」となる。それが僕にとってローカルで暮らすことの楽しさや豊かさだと思うんです。

―ドット道東の活動を振り返ってみて「道東でしかできないこと」「道東だからこそできること」の輪郭は掴みかけている感じですか?

そうですね…能動的に、道東で生きることを選ぶ人が増えることが大事かなあ。活動の分野とか規模とか、仕事であるか否かとか、関係なく「ここで、仕方なく」じゃなく「ここでしかできないこと」が増えたらいいなあ。
ドット道東として、そういう人たちのチャレンジを後押しする存在になりたいです。

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「増やしたい」よりも「減らさない」

―いろんな地域の行政や民間企業とタッグを組んで仕事をするようになった今、地元である北見についてはあらためてどう思っていますか?

あんまり自分の中では変わらないですね。北見はもちろん好きだし特別な場所ではありますけど、固執はしてないです。
道東各地を故郷みたいにしていきたい。最初に自分で作った「1988」も「道東をもっと刺激的にする」というのがキャッチコピーですし。

―そう考えると、一貫している。

そのつもりではあります。北見ではここ10年くらい、無くなるお店とか居なくなる人とか「減っていくこと」が多いんですよね。放っといたらそうなっていく。
最初に話していた、市内のセレクトショップ「DEF JAM」も「1988」を創刊した2015年に閉店しちゃって、高校生のころから通っていたから、すごくショックでしたね。

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もうこういう思いをしたくない、誰も助けてくれないなら自分たちで地域を支えていくしかないという意識がすごくあって。
だからこそ、新しいことにチャレンジする人が居なくならないように…「増やしたい」よりも、まず「減らさない」。
そういう芽を見つけたら、北見市内であるかどうかは関係なく、越境して、補強できる人材を探したり、コミュニティ同士を繋げてグラデーションにすることで活路を見いだせると思うんです。そう、狩猟民族的に。

今までは農耕民族的にあるものでそれなりに豊かさを保っていた地域が危うくなる中、スタイルを変えていかなければならない。
全員がそうできなくても、自分たちが得たスキルは地域を越えてシェアすることはできるじゃないですか。

道東は、パラダイスか?

―ドット道東で掲げている「理想を実現できる道東にする」というキャッチコピーには、どんな思いを込めていますか?

先ほど言った「減らしたくない」思いからです。最初は「理想“が”実現できる道東にする」だったんですよね。でも、似て異なるというか「道東に行けば自分の理想が実現できる」という意味になっちゃうんで。

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―道東自体がパラダイス、みたいに捉えられちゃうかもね。今、ドット道東の活躍もあって、そう思われているかもしれない中にあって、そのメッセージは大事ですよね。

そうそう。けしてパラダイスではないけれど、「道東でも実現できるんだよ、諦めなくていいんだよ」というメッセージなんです。
そもそも裏を返せば、周囲にあるもの、いる人間だけでどうにかしなければならない「理想を実現しにくい場所」という、これまでの現実も含めて伝えたかったので。そこで、求めている技術を持つ人材がいないからといって、諦めずに済むようにしたい。
一見、僕らは「道東いいですよ!」とだけ言ってるように見られがちですけど、人や場所が減っていく焦燥感が常にあるから、楽観的にはなれない。

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―こっち側が物事を繋げていくスピードよりも、減っていくスピードの方が早いもんね。斜里でも駅前の商店がかなり減りました。廃墟も多いし。

そうですね。だから僕らは、どのプロジェクトにしても「こういうことがやりたかった」というより「こうやるしかなかった」という気持ちに近い。
楽しく心豊かに暮らしたいと思ったときに引っ張り上げてくれる存在がいなかったから、自分たちがなりたい。

―最近の活動事例としては、置戸町「オケクラフト」のキャンペーンがすごく良かったです。もともと歴史ある製品だし、良いものだとは知られているけれど新しい購買層が増えるきっかけが、なかなかなかったと思いますし。

ありがとうございます。SNSでハッシュタグを付けたら製品が抽選で当たる懸賞方式だったので、それだけを目当てにした人が来る危惧はあったんですが。やっぱりすごく良いお客様ばかり反応してくれたんですよね。
「器の色が変わるぐらい愛用している」という人もいたし、世代を超えて気持ちのいい応援の言葉が寄せられて、感動しました。
バズりやすいけれど、ともすればうさんくささも伴いやすい懸賞系PRの中で、本当にブランドを愛している人たちを可視化できたのは収穫でしたね。

道東にしか、視点が向いていない

―これは応援したい!足を運ばなければ!という取り組みの共通点はありますか。これは車で100キロ以上走っても駆けつける価値あり!みたいな。

うーん、道東すべての新しいスポットや企画に足を運べているわけではないんですけどね。基本的には「自分から行かなきゃ来てもらえない。知らなきゃ知ってもらえない」と思います。相手の懐に飛び込まないと、新しいものは生まれない。

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官民問わず、いろんな分野の人とお付き合いがありますが、たとえレイヤーが違っても面白くなる予感があれば、仲介役となって繋げたい。
ドット道東では、プロジェクトごとに道東内外で繋がっているライターやデザイナー、フォトグラファーなど50人ほどのクリエイターの中からチームを編成し、ローカルの課題解決に取り組んでいます。

僕はそもそも道東にしか視点が向いていないんです。海外や東京はもちろん、札幌にさえ向いてなくて、すごくドメスティックな活動だと思うんですよ。あえての内輪ノリというか。
道東の人たちのチャレンジを、傍観せずに自分ごとのように一緒にアイデアを出したり応援すれば、楽しさは自ずから増えていくんじゃないかなと思います。

―他人ごとを、自分ごとにしていく。

そう。自分ごとが増えれば増えるだけ地域が豊かになると思うので。そのために「道東」という一つのキーワードでくくって、自分ごとにできるエリアを拡張していきたいです。

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―最近、「道東」という言葉を普通に発する人が増えているんですよ。それはドット道東の活動が実ってきている証拠なのかなあ。

それは一番の大きな成果だと思います。そうなると、例えば斜里に住む中山さんにとっても帯広や釧路で起きていることが他人ごとじゃなくなる。

―そして、「わが町だけが得しよう」という時代でもなくなってきている。

そうっすね。僕なんて特に、道東内で年間100泊くらいしいるのに、毎回知らないことや、新しい人との出会いがある。
こんなにも多様性に触れられるということ自体、道東のポテンシャルの高さだと思うんですよね。ほかの人にとっても可能性は無限大だと思う。
自分たちの手触りのある中で、道東の経済や技術の循環を高めていきたい。
物理的な地域間の距離の遠さも、おいおいテクノロジーが解決してくれると思うので。
よく、自治体でも「シビックプライド」を掲げたりするんですよね。要は住民が自分の街を好きになることで、ブランド力を高める。
インナーブランディング的な文脈で使われていますね。去年から取り組んでいる、「自然の郷ものがたり〜阿寒摩周国立公園の暮らしプロジェクト〜」も、まさにそう。

僕らはインナーブランディングを道東というエリア全体で試みていると言えるのかもしれません。
道東をもっと好きになる、誇りを持つことで「自分ごと」にしていく。それをあらゆる手段を駆使してやっていくのが「ドット道東」なんです。

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インタビューを終えても、最近の道東のトピックについて話は尽きなかった。
義務感からの情報交換ではなく、中西くんは心底、道東と、道東の人々が好きなんだ。

自分が道東にUターンした直後は、たびたび悩んだ。
都会であれば、同じ志を持ち、さまざまなスキルを持つ人々と出会うのは、うんと容易いだろう。地元でそんな仲間ができるまでは、とても時間がかかった。

心を癒やされに森を散策するも、ヒグマの気配には怯えなきゃいけないし、倒木には足をつっかえるし、虫の音はけたたましい。
とにかく動植物の主張がにぎやかで、守るべきものが見えすぎて、なんだかひどくくたびれてしまった記憶がある。(ちなみに今はエンジョイしてますよ!)

人間も同じ。都会に住んでいたころは接点のなかった世代や職種の人々と意見を交わしあうのは日常だし、自分たちの主張を通すために何故こんなに遠回りさせられるんだ…と理不尽さや、デコボコな人間関係にグヌヌとなったりもする。

それでも、なぜ道東で暮らしているのか。

理由は多々あるけれど、そのデコボコの人間たちや、時に過酷な自然環境も含めて、コントロール不能な面白さに満ちているからだと思う。
怒ったり泣いたりしながら、いつからか、この環境や人間関係ごと、愛していこう!と覚悟を決めた。

「最近、道東が熱いね」

そんな声がよく聞かれるけれど、熱源のひとつには中西くんが言っていたような、焦燥感がある。
人材や場所は増えるより、減っていくスピードの方が遙かに早い。
だからこそ、高く理想を掲げてクリエイティブのインフラを整えることが急務だ。皆、なりふり構っていられない、というのが実情だろう。

中西くんと話しながら、10年前の、初めてのリトルプレス企画会議のことを思い出していた。ライター、デザイナー、イラストレーター…たった3人だったけれど、チームでやれば夢が実現できるという喜びを。

広大な道東各地に点在している、そんな人材同士が出会えば「諦めなくてもいいこと」がもっと増えるはず。
ドット道東だったら、きっと繋げてくれる、伴走してくれるんじゃないかな。

心からの期待をこめて。

道東で、生きていこう。

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ドット道東は、「理想を実現する道東にする」というビジョンを掲げ、「1000人の道東の理想を載せたビジョンブック」を出版する新たなプロジェクトを開始しています。

取材:中山よしこ
写真:崎 一馬

▼ドット道東メンバーインタビュー記事 #道東の未来はこちらから


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