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【自然の郷ものがたり#2】始まりは、一枚の絵だった。 「森の中にある温泉街」ができるまで【聞き書き】

阿寒摩周国立公園の満喫プロジェクトにおいて、川湯温泉で掲げられたコンセプトは「森の中にある温泉街」。
実はこのアイデアは、川湯観光ホテルの中嶋康雄さんが描いた「絵」から生まれたものでした。
イメージを多くの人と共有できるように、中嶋さんが1枚の絵に落とし込んだ川湯の未来図から物語が始まり、現実のものとなろうとしています。

中嶋さんが引き受けてきた責務と、川湯を盛り上げるために最前線で奔走し続ける原動力についてお聞きしました。

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中嶋 康雄(なかじま やすお)
1967年、弟子屈町川湯生まれ。川湯観光ホテル代表取締役。専門学校に通うために上京し、23歳で川湯に戻る。32歳で川湯観光ホテルの社長を継いで家業に注力する一方で、てしかがえこまち推進協議会の活動や、株式会社ツーリズムてしかが(現在の株式会社ツーテシ)の代表取締役社長、摩周湖観光協会の会長を歴任。自作の紙芝居やムックリを使った案内が人気。

※この記事はドット道東が制作した環境省で発行する書籍「#自然の郷ものがたり」に集録されている記事をWEB用に転載しているものです。


継ぎたくない意思を覆した、故郷の景色

私はね、高校卒業まではずっと弟子屈町におりました。その後3年間東京で、専門学校に通っていたんですね。
23歳のときに川湯に戻ってきて、それ以降はずっと川湯で暮らしています。なぜ東京の専門学校に行ったのか、それは、ホテルの仕事から逃れたかったからです。親の背中を見ているとね、盆も正月も全くない。
昼も夜もなく働いているというのはね、やっぱり10代の私にとっては非常に重いことでしたから。もう、嫌で嫌でしょうがなかったんですよ。

ただ、私は4人きょうだいの中で、ただひとりの男なんですよ。
やっぱり当時といえば「お前長男なんだから家を継げよ」ということを、10代どころか一桁のときから暗黙のうちに言われていまして。見えないレールがずっと敷かれていたんです。
だから、この仕事からいかに逃れるか。それがティーンエイジャーの私にとって最大のミッションだったんですよ。「絶対にホテルなんて継ぎたくない」と思っていました。
川湯を離れようと思ったのも、地元が好きだとか嫌だとかいう前に、ホテルの仕事を継ぎたくなかったからです。

それでも川湯を離れてた時期に、ときどき帰省はしていました。
20歳前後のときですかね、確か私が東京から釧路空港に戻ってきたんだと思うんですけど、父親が空港まで迎えに来てくれました。
で、「免許取ったんだから、自分で運転しろ」と言われまして、自分で運転して川湯まで戻ってきたんですね。そのときに釧路から弟子屈の市街地を過ぎて、硫黄山の道路に入っていきます。
あそこに植生の変化がありますけども、緑のトンネルをくぐり抜けた瞬間、ばっと視界が開けます。左側に硫黄山があって、正面に帽子山が見える。

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その景色を見た瞬間に私の心に芽生えた気持ちっていうのが、今でも忘れられないんですけども。
「今見えているこの景色のなかに、どれだけの生き物がいるんだろう」と。それは人間もいるんでしょうし、昆虫とか狐とか、鹿もいるでしょう。目には見えない生き物も含めて、ここには数えきれないたくさんの命があるんだ、と感じました。
これが、私に川湯に戻ろうと思わせた最大のターニングポイントになったんです。もちろん、同じ景色を何度も見てきましたよ。
だけれどやっぱり、東京から帰ってきた私の目にはですね、いつもとは違う、目に見えない部分を感じたわけですよ。それまでは家を継ぎたくないものだから、いかに行方不明者になるかを考えていたんですけどね(笑)。
そのときから、自分の考えが変わりました。その3年後に、私は川湯に帰ることになります。戻ったばかりの頃が、ホテルも川湯も最盛期で、とにかく忙しい日々を過ごしました。

川湯に目を向けてもらうために、「面」で発信する

私は川湯に憧れてここに住んでいるわけでもなく、ホテルをやってる家に自分で選んで生まれたわけでもないんですよ。
「それなのに中嶋さん、なんであれもこれも、そんなに一生懸命頑張ってるの?」って聞かれることがあります。
たしかに、今までいろんな役職をやってきました。2008年に観光を基軸としたまちづくりを進める「てしかがえこまち推進協議会」の立ち上げ、2009年には着地型旅行業を手がける「株式会社ツーリズムてしかが」の立ち上げに関わって、一時期は年間で300日くらいツーリズムてしかがの仕事をしていました。
ようやく小さな芽を出せるまでに、ここでは語り尽くせない歴史があります。あとはこの前まで、摩周湖観光協会の会長もさせていただきました。
そしてもちろん、自分のホテルの仕事もあります。

なぜこうやって地域に関わることをしているかというと、ひとつのホテルでなんとかして集客しようとしても、なかなか力が及びません。
非常に難しい。まずは、地域に目を向けてもらう必要があるわけです。地域の魅力を高めることが、すなわちホテルの集客に繋がる。これは不変の構図だと思いますね。
やっぱり弟子屈町川湯に目を向けてもらわないと、川湯にもうちのホテルにも泊まってもらえないですから。

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そういうことを考えているから、紙芝居をしたりするわけです。
私が外国から来られるお客様をおもてなしするときに、今の摩周湖を見せるだけではもったいなさすぎる、と思ったのがきっかけで、このエリアの歴史や成り立ちを伝える紙芝居をつくりました。
実はこの絵は、自分で描いたものです。それが好評だったので、まあ図に乗ってどんどん増えていく。今エピソード5の構成中です。

これを見て「中嶋は絵描きになったほうがよかったんじゃないか」とかよくいじられるんですけど、私なりに言うとね、好きでやっているわけじゃないんですよ。川湯温泉のこの状況をなんとかしなきゃならん、と窮鼠猫を噛んでいるだけです(笑)。
お客様をご案内するときに、単に「硫黄山ですよ」「摩周湖ですよ」ではなくて、紙芝居で「私たちは今こういう場所にいるんですよ」と歴史や背景を伝えると、「ゆっくり見てみたい」「もっと知りたい」と思ってもらえるじゃないですか。

「20年前に行ったけど、また行ってみよう」という方も含めて、この地域に目を向けてもらいたい。そのためにはこの地域のことを伝えていく必要があるわけです。
もう一度、振り向いてほしかった。その切実さをいかに楽しく見せるかということで、私はこうやって紙芝居をしています。

地域に関わる仕事をするのは、夢のためじゃない

よく「夢は何か」って聞かれるんです。「中嶋さん、そうやって地域のことをいろいろやっているのは、夢があるからなんだよね?」と言われたように記憶しています。
だけどその言葉が、自分にはすごく違和感があって、「いや、私は夢があってやってるわけじゃないんだよね」と申し上げたんです。
「だったら何のためにそんなにやってるの?」って聞かれて、すぐには言葉として答えることができなかった。だけど、あえて言葉に置き換えるとすれば「責務でしょうね」と。

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その責務が何に対してのものかと言ったら、地元よりも前に、まず自分の仕事に対する責務ですよね。
自分だけの仕事ではないですから。ホテルには働いてくれている従業員さんたちがいて、その人たちには家族のみなさんもいるわけで。川湯の観光客が減ってきた2000年以降、私はすごく危機感というか、もう本当に「うちも倒産するんじゃないか」と、恐れを抱くようになったんです。
川湯の旅館は、この20年間で3分の1くらいに数が減っています。次はうちが倒れるんじゃないか、と。

で、もし万が一のときに川湯の地域に与える影響を考えると、もう夜も眠れないし、朝起きたら汗びっしょりだし。
エンドレスの不安を抱えながら、毎日を送っていました。そんな私に、「地元のことを、今一度見つめ直してみませんか」と教えてくれた人がいたんです。そのときから、考えられることは全てやってみました。
「馬そりで行く硫黄山ヒストリーツアー」を企画したのも、その言葉がきっかけです。

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地域に関わる仕事をするのも、決して夢のためではない。かといって、嫌々やっているわけでもない。
これってどういうことなのかな、と自分で考えてみました。そのときに、ようやく気づいたんです。私にとっての、川湯温泉や硫黄山、摩周湖、屈斜路湖がどういう存在なのかってことをね。
これらは私にとって、「あ、親みたいなものだな」と。あなたも私も、親を選んで生まれたわけではありません。で、親のことがすごく好きかどうかと言われたら、人によって答えは違うでしょうけれど、必ずしも「好きで好きでどうしようもない」というわけではない。

それでも、親が歳をとって元気がなくなってきたとか、体が不自由になってきたと。
私でいえば、川湯の経済が、ずうっと下り坂だと。そしたら、なんとかせにゃならんぞと。だから地元を好きだとか愛してるとか、そういうポジティブな愛とはちょっと違うと思うんです。
大変だ、なんとかしなきゃならないと。そのままほっといちゃまずいよな、みたいなね。
地元愛というのは、親に対する愛みたいな、複雑な感情が混ざった愛なんです。それが短い言葉で、「責務」と出たんです。

地域の目指したい姿を描いた「絵」がもたらす未来

川湯のお客様がどんどん減って、ホテルもお店もどんどんなくなって。それを元に戻すのは、これは容易ではないなと。
もし元の数に戻せたとしても、それが本当に川湯温泉としてふさわしいのか。ここに私はずっと疑問を持っていたんですよね。
であれば、もう川を森にしてしまおうと。温泉街に緑を増やしましょうという発想とは逆で、森の中にお店やホテルが並んでいる。
そういう街をつくったらどうかということを、私が当時しゃべっていたんですけども、「中嶋、話だけじゃよく分からんから、何かつくれ」と。
そう言われて2014年に描いた絵が、これなんですね。

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中嶋さんが描いた「森の中にある温泉街」のイラスト。川湯温泉街の一帯が森に包まれることで、周辺の自然との一体感や川湯の特別感を演出する試み。阿寒摩周国立公園満喫プロジェクトの企画書にも、「森の中にある温泉街」を目指してまちづくりを進めることが明記されている

そのときに、何人か集まってもらって意見をもらうわけです。「川湯を、森にしたらいいと思うんだけど」「温泉川の周り、ウッドデッキを造って歩けたらどう?」「ここに廃屋になったホテルがあるからイベントスペースにしよう」と。
みんなが見ているなかで、この絵に色を塗っていきました。なんでかって、私の頭の中に構想はあったんだけど、自分ひとりでは全然発展しませんから。

そうやって完成した絵を、300枚くらいカラーコピーしていろんな人に説明してきたわけです。
町内の関係者をはじめ、旅行会社にも、テレビにもね。2014年から、現在までずっとです。それでこの絵がどこまでいったかというと、私ね、この絵を持って2015年に環境省の本省に行っているんです。
担当の方が絵を見て「ぜひ考えますね」と言ってくれました。

もちろんこの話をしたからというわけでは絶対にないんですけどね、翌年何がおこったかというと、2016年、全国から選ばれた8か所の国立公園で、満喫プロジェクトが始まりました。北海道では唯一、阿寒摩周国立公園が選ばれまして。
「それなら中嶋が描いた絵を実現するべ」ということで、川湯温泉と硫黄山では、「まちなみ等の景観整備」として「森の中にある温泉街」をコンセプトにすることが、正式に採択されました。

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「森の中にある温泉街」のイメージ写真(上 before・下 after)。
川湯にすでにある魅力を、森が引き立てている。馬車で硫黄山や川湯温泉街を巡るプランも、実現に至るまで中嶋さんが奔走した川湯にすでにある魅力を、森が引き立てている。


とはいえ「なんだ、満喫に選ばれても何も変わらないんじゃん」って思う方も多かったかもしれません。
しかし、2020年になって目に見える変化がおきてきたんですよ。環境省による整備の他に、弟子屈町によって温泉川の遊歩道化工事が動き始めて、2021年に完成します。
地域のみんなで出したアイデアが、川湯の未来を予言したんです。

何もつくらなくても、地域の価値を上げられる

 「森の中にある温泉街」の構想を通じて今の弟子屈・川湯が何に挑んでるかというと、「静かさを価値にすること」なんですよ。
今までは大型バスが組んだルートで観光する時代でしたから、阿寒があって知床があって、川湯、弟子屈、摩周湖はどうしても通過されがちでした。
だけど今は時代が変わり、お客様が行きたい場所を自ら選ぶ時代です。そういう時代に、ワーケーションや長期滞在の拠点として、川湯は最適な場所だと思います。観光のお客様も、昼はアクティブに阿寒に行ったり網走に行ったりして、あとは川湯に戻ってきて夜は静かに過ごす。
もちろんお仕事をするにも、静かな環境はいいですよね。そう考えると、静かさは価値になるんです。

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これまでは、にぎやかさや豪華さが価値として認められやすかった。
でもこれからは、静かなことを価値として発信できる時代です。そのためには、やはり住んでいる人が「何もないから価値が低い」ではなく、「何もないことが価値である」と思えることが重要です。てしかがえこまち推進協議会のスローガンとして「誰もが自慢し、誰もが誇れる町」がありますが、それに近い気持ちですね。
静かなことが価値である、これを私たちが伝えていきたいと思います。

静かさを価値にするというパラダイムシフトは、決して何かを新しくつくることではありません。
私は地元に対して「美しい」「素敵だ」という感情だけではないと申し上げましたけど、川湯はやはり、素晴らしいと思います。昔から変わらずね。ここに今あるものの価値を「再定義」できたら、地域の価値を上げることができるんです。今あるものをいかに守り、価値にするか。
そのことを続けていきたいし、若い人にもぜひそう考えてみてほしいなと思います。今ここにあるものは何の意味もなく存在しているのではありませんから、その背景を想像し、思い描いてみる。
それを周りの人に伝えていく、そのことが大切だと思うんです。そう、地元のことを知るっていうね。これを一緒に進めていきましょう、と。
そのように思っています。

取材・執筆:菊池 百合子
撮影:國分 知貴・.doto編集部


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