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113/365 【言葉は言霊なので】 今必要なのは、ソーシャル・ディスタンスではなく、フィジカル・ディスタンス

「ソーシャルディスタンス」という言葉が日本でも使われるようになって久しい。直訳すると「社会的距離」。

でも、今保たねばならない距離は「物理的な」距離であって、社会との断絶ではない。大切な人と物理的な距離を保つために会うことを控えたり、会っても2メートル離れるよう気をつける。でも、物理的な距離を保つからこそなお、精神的にはより一層繋がりたいと願うし、相手への思いは強くなる。

物理的に離れていても、社会としての絆はよりしっかりと繋ぐ必要がある。それが孤独を和らげる安心材料になる。

人間はそもそもがソーシャルな生き物なのだから。

私は昔から協調性が薄いし、自宅作業も多い。友人も少ない。飲み歩くことも稀だ(家ではたらふく飲んでいる)。それでも社会とは何がしか繋がっていたいと思うものなのだ、とNoteを書くたびに痛感している。

その日に思ったことをつらつらと綴ることもあれば、お芝居を見終えたり、本の最後のページをめくり終えたりした時の感情を、外に向けて発信したくなることもある。それは、社会的な行為だ。

ねえ、私はここにいるよ。あなたはどこにいて、何をしているの?

モゴモゴと夜な夜な呟いている。

国連もSocial Distancingではなく、Physical Distancingという言葉を推奨しており、Physical Distancingを含めた6つのメッセージを世界のあらゆる人々に行き渡らせるため、先月から各国の言語に翻訳したクリエイティブ作品を募っている。

どんな言葉なら無理なく浸透していくのだろう。物理的な距離は、心の距離に直結していない。むしろ心が近いからこその物理的な距離なのだ、ということを、誰でも分かるような優しい、平易な言葉で表したい。

スーパーなどで距離を置いて粛々と並んでいる時、2メートル離れて並んでいることに気づかずに、すっと割り込んでしまう人をspace invader (スペースインベーダー)と呼んでいる友人がいた。悪気は無かったのだろうが、そういった人を逐一注意するのも、心がカサつく。

covidiot(コヴィディオット)という言葉も頻繁に聞くようになった。「公衆衛生上推奨される行動を、度が過ぎるくらいに無視している人」の総称だが、この中には、例えばトイレットペーパーの買い占めや、4月1日に首都封鎖があるというデマが流れた時にスーパーに駆け込んだpanic buying (パニック買い)する人なども含まれるだろう。

そういったマイナスな言葉ばかりが広がる前に、なんとか社会との繋がりを強化できるような言葉を思いつけないものだろうか、とむにむにと考えている。

ちなみにこの件でネットを徘徊していたら、Coronaspeckというドイツ語に遭遇した。「コロナ太り」という意味だ。パンツにポテッと乗っかっている、人差し指で弾くとペロンペロンとなるお肉のイメージだ。どうしてそこまでイメージできるのかなんて、聞くまいよ聞くまいよ。

世界中がこんなに同じ経験をしていることなんて、なかなか無い。だからこそ、優しい言葉を生み出せたら、と思う。

何かないかな。


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