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22/365 【信じてみる】 なんくるないさ教の信者

2020年、感情noteを始めます。

心が震えたお芝居や映画や本、訪れた場所といったコト録も続けますが、それらは言わばハレの日。その合間にある「普通」の毎日を、も少し書いてみたいのです。でも、何でも良いってなると、ちょっぴりハードルが高いんです。

感情は毎日動くもの。喜怒哀楽のようにパッキリしたものもあるけれど、その隙間にある色とりどりのあわいも見つめてみる。良くも悪くも、なんかもやっとしたやつ。1日を振り返って、感情がなーんも沸かなかった、なんて日もあるかも知れません。それはそれで興味深い。

写真と140字だけの日もOK。ちゃんと整理できていなくてもOK。毎日書いていたら、何かが変わるかも知れないし、何も変わらないかも知れません。なーんも定かではありません。

でも、やってみたいをやってみる。できることなら、365日。意地っ張りな自分を見据えた上での、やってみようを始めます。

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Church of Worriesという言い回しがある。

Church of Worriesの信者は、これから起こるかも知れないことをひたすら心配する。それでもやっぱりそれが起こってしまったら、「ああ、自分の心配が足らなかったのだ」と思い、さらに心配を精進する。

神にすがることを少しブラックにした言葉だ。心配症ならぬ、心配教。

「自分の祈りが足りなかったのだ」と直接言わないところが、一捻りあって面白い。

この表現は、他にも応用できる。

私だったら何だろう。

Church of Happy-go-lucky教に入信しているのは間違いない。なんくるないさ信者。きっと大丈夫、うまくいくと、どこかでいつも思っている。うまくいかなかった場合、ああ、うまくいくと十分に思わなかったからなんだな、と反省する。

この思考を反転させて、「これからなりたい教」を作ってみてはどうだろう。そしてその信仰に、自ら入信するのだ。

例えば、Church of Talents 。私には才能がある信者。何かでうまくいかなかったら、ああ、自分には才能がある、と十分に思わなかったから、うまくいかなかったのだ、と反省して益々精進する。

Church of compassionなら、思いやりの信者。誰かに辛くあたられたら、自分の思いやりの度合いが足りなかったんだ、となる。右頬叩かれたら左の頬をって、こんな感じか。

人によって異なる聖堂、教会、礼拝堂やお寺が建てられそうだ。さて、どんな教会を建ててみよう。どんな人が集うだろう。

楽しみ。

言葉は言霊!あなたのサポートのおかげで、明日もコトバを紡いでいけます!明日も良い日に。どうぞよしなに。