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【ディスコミュニケーションとは】 映画 「ドライブ・マイ・カー」

 私の言葉が通じないのは、いつものことだから。

様々なレイヤーでの、ディスコミュニケーションのお話だった。

抑揚のない本読みで、言葉を落とし込んでいく舞台稽古。

言語が異なる為、意味内容で次の話者が話すタイミングを図ることができない。だから、コツン、とゲンコツで机を叩いて自分のセリフが終わったことを合図する。

テープに吹き込まれた自分以外のセリフを流しながら、自分のセリフの練習をする演出家。うまくいけば、息遣いから何から、掛け合いがピッタリと合う。

その声の主はもうこの世にはいないのに、会話が成立しているように聞こえてしまう。

言葉でうまく伝えられないから、身体を重ね、感情を暴力に込める俳優。

運転技術を介して伝わる母への(或いは別人格への)思い。

誰もが皆、伝えられなかったことを抱えている。

その上で、「ワーニャ叔父さん」の戯曲に自分を差し出して、「生きていくこと」「仕事をすること」に想いを馳せる。

生きていきましょう。果てしなく続く毎日を、終わらない長い夜を... 与えられた試練にじっと耐えて、片時も休まず、歳をとるまで、人のために働きましょう... やがて定の時がきたら、素直に死んでいきましょうね... 

うちにある「ワーニャ伯父さん」の戯曲を読み直した。(ケラリーノ ・サンドロヴィッチさんの上演台本)

舞台で見た時とは全く違う感情が吹き出た。

そしてあの世へ着いたら、残らず話すの。(中略)どれだけ辛い人生だったか。きっと神様は私たちを哀れんでくださるわ...

もう会話ができない相手のことも、そのまんまで受け止めて。辛いことを辛いままで自分の中に取り込んで。昇華する必要はない。辛いは、辛いのままでもいい。

果てしなく続く毎日を、その瞬間瞬間を、ただ生きる。ただ仕事をする。

丹念な映画だった。

でも!一言だけ言わせて頂けるならば!

同じ濱口監督の「偶然と想像」の方が好きだった。根底に流れるテーマは共通しているけれど、「偶然と想像」の方が、人間が生きていることの偶然という奇跡に対する希望や讃歌が織り込まれていた。

どちらも良い映画だったのだけどもね。

明日も良い日に。



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