見出し画像

37/365 【号泣】 映画「ジョジョ・ラビット」

2020年、感情noteを始めます。心が震えたお芝居や映画や本、訪れた場所といったコト録も続けますが、それらは言わばハレの日。その合間にある「普通」の毎日を、も少し書いてみたいのです。でも、何でも良いってなると、ちょっぴりハードルが高いんです。

その点、感情は毎日動く。喜怒哀楽のようにパッキリしたものもあるけれど、その隙間にある色とりどりのあわいも見つめてみる。良くも悪くも、なんかもやっとしたやつ。1日を振り返って、感情がなーんも沸かなかった、なんて日もあるかも知れません。それはそれで興味深い。

写真と140字だけの日もOK。ちゃんと整理できていなくてもOK。毎日書いていたら、何かが変わるかも知れないし、何も変わらないかも知れません。なーんも定かではありません。

でも、やってみたいをやってみる。できることなら、365日。意地っ張りな自分を見据えた上での、やってみようを始めます。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ただ、信じるのよ

ヒットラー・ユーゲントと言えば、「アドルフに告ぐ」で描かれた少年アドルフの洗脳の過程が頭に浮かぶ。

でも、ジョジョが参加する次世代ユーゲント向けのキャンプはそれとは少し様相が違う。指導員からして、負け戦を本部が隠していると暴露する。それを少年らは、ぽかーんとした顔で聞いている。そりゃそうだ。彼らの耳に入ってくるのは、自軍の圧倒的有利の報ばかりなのだから。

... どこかで聞いた話だ。

ユダヤ人はケダモノ同様だと小さな頃から教えられ、それをそのまま鵜呑みにして育った無邪気な少年たち。ユダヤ、という言葉を変えれば、インターネット以前、あらゆる国に存在した戦時の少年らの姿と重なるだろう。

だが、母と二人暮らしの自宅の屋根裏にユダヤ人の少女、エルザが匿われていることを知ってから、ジョジョの信じていたナチス一辺倒の世界に、少しずつ綻びが生じていく。言われたことだけを信じていればいい時代は終わり、自分の頭で判断しなければならなくなっていく。

10歳なんて、木を登って、そこから落ちて、人生を楽しむ時期でしょう。政治とか戦争とかの話じゃなくて。

ママは、政治の世界に息子を巻き込みたくなかった。ただ命の輝きを感じていて欲しかった。だから踊って見せた。あの赤いカッコイイ革靴で。

広場に晒し者にされる市井の犠牲者の姿を前にして、ちゃんと見なさい、とお説教ではなく諭してみせた。

- 外に出たら、まず何がしたい?
- 踊りたいわ

戦争のプロパガンダに惑わされた人々を美化するでなく、卑下するでもなく、淡々と描く。でも、一般市民の中には、事実をしっかりと見ている強い人もいる。そして、そういう人の強さは、ナチスのプロパガンダに逆らい切れなかった人に、最後に少しの勇気をくれる。

最後の機銃掃射の音で、涙腺が崩壊した。「ライフ・イズ・ビューティフル」の、一発の銃声だ。

今できることをしよう。まずは、生きているこの瞬間を言祝ごう。そして、踊ろう。不器用なら、不器用なりに。

そして、ジョジョとエルサの待つあの家に、いつかパパが帰ってくる。そんな未来を描こう。

全てを経験せよ (Let everything happen to you)
美も恐怖も (Beauty and terror)
生き続けよ (Just keep going)
恐怖が最後ではない (No feeling is final)
               - リルケ(Rilke)


言葉は言霊!あなたのサポートのおかげで、明日もコトバを紡いでいけます!明日も良い日に。どうぞよしなに。