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不条理の条理 「ドクター・ホフマンのサナトリウム」

空港おばさんをやり損ねましたが、ロンドンに着きました。こちらは昼間の気温が9度です。空気パリパリ。でもこの清涼感は嫌いじゃない。

そんなロンドンからなのに、出発直前に見た日本のお芝居のお話です。すみません。でも、書かないと忘れちゃうのです。

わたし、どこで間違った選択をしたのかしら?

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間違いとか正しいとか、どの時点で判断するかで変わるし、誰が判断するかでも変わるのだ。「絶対」なんて存在しない。世界はいつでも分岐している。だから、近所のタバコ屋の角を曲がった途端、100歳近いおばあちゃんが4歳だった時代にお孫さんが紛れ込んでしまうことも、ままあるのだ。永遠にゆるやかに気づかぬ間に、我々は時空の迷子を続けているのかもしれない。そして、迷子だと受け入れた瞬間、肉屋の前の交差点を越えた辺りで、元の世界に戻ってしまうのかも知れない。

情緒不安定な人間が正気ではないなんて、誰がどう見極めるのか。少数派が真実じゃないなんて、どう確信できるのか。

おばあちゃんがくすねたフランツ・カフカの未発表長編小説を出版して借金を返済しようと目論む男は、どんどん「ありえない」世界に入っていく。でもその不条理の中でなんとか「未来を成立させる為の真っ当な行動」を取る。未来を変えてしまわないように。元の世界の自分の生活が、ひいては自分の存在が脅かされないように。帰れるのかも定かではないのに、命を張って未来の自分を守ろうとする男。人間て、なんて滑稽で、なんて強靭な精神の持ち主なんだろう。

エッシャー風の階段のセットが、物語の不条理をさらに強調していた。下に向かって登っていたり、死者と生者が混在していたり。階段を登ったら上の階があるなんて、思い込み以外の何物でもないのだ。

セットも時空も踊る空間で、人間も踊る。一体何に踊らされているんだろう。でもどうせ踊るなら全力で踊り、本当にやばいと感じたら、走っている電車から飛び降りる。主人公カーヤはそんな強さを持つ人だった。

プロジェクションも振り付けも、条理の通った不条理の一環。世の中って、こんなもんだ。くくー。


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