見出し画像

家族も結局他人

「なんで自分は家族とうまくできないのか」

周りの友人は家族と仲が良く、家族の話をされる度に劣等感に包まれた。
そして、家族の話を振られたら当たり障りのない仲良し家族を作り上げて話していた。事実と嘘を半々にして。
自分がおかしいと悩んでいた。家族は特別な存在であるはずなのに、煩わしいと感じたり、一番近い存在と思えない私はおかしいんだって。
私がおかしいと思っていたから、いい子を演じていた。
親に反抗することもなく、兄弟とも仲良くして、外では家族が好きな自分を身にまとい、そんな風に過ごしてきた。

でも自分らしくいられないと、いつしか限界がやってくる。
そんな時にまた壁にぶつかる。

「やっぱり、私がおかしいの?」

自分でどうにかして答えにたどり着くことができる時と、
誰かが答えに導いてくれる時がある。
私の家族問題については誰かの助けで出口に一歩近づくことができた。
その人も同じように家族という存在について悩んでいた。
だからこそ彼からの言葉は私の中にスッと入ってきた。

「家族って言っても結局は他人と一緒じゃないかな?
血のつながっている他人。結局、自分以外は他人なんだから」

腑に落ちた。そして、ずっと引っかかっていた何かが消えた気がした。
そしたら家族の存在も私の中にすんなりと受け入れることができた。


家族だけど他人。
親と価値観が合わなくて悩んでいた私にとって欲しかった言葉だった。
嫌いじゃないけど、理解してもらえずに苦しい。
でもそれは他人だから仕方がないって受け入れることができるようになった。
家族を他人と思うことが冷たいように感じられるかもしれないが、自分を守るために、そして家族との関係性を守るために必要だった。

人と人の関係性って複雑に思うかもしれないが、意外とシンプルかもしれない。
私と私以外の誰かしかいない。
その誰かに家族だったり、友達だったり、恋人といった名札がついただけ。
そう思うとシンプルで、いろんな悩みが少し軽くなる気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?